元海軍大将
首都へ到着した翌日。
私達は共和国政府へ向かうことなく、首都郊外へ馬車を走らせていた。
中心部の喧騒とは違い、この辺りは比較的落ち着いている。
古びた石造りの家々が並び、人通りも少ない。
ラインが地図を確認する。
「住所はここですね」
私は目の前の一軒家を見上げた。
「私の親戚か……どんな方なんだろう?」
ヴィルが扉の前へ立ち、二度ノックする。
コンコン。
しばらくして中から女性の声が聞こえた。
「はい」
扉がゆっくり開く。
現れたのは四十代前後と思われる女性だった。
茶色の髪。青い瞳。
落ち着いた服装だが、その鋭い眼差しだけで只者ではないと分かる。
ヴィルは姿勢を正し、大きな声で言った。
「グラウベ元帥閣下より――」
バシィッ!!
言い終わる前だった。
女性の右ストレートが、ヴィルの頬へ見事に炸裂した。
「ぶっ!」
ヴィルはそのまま数メートル吹き飛び、玄関先へ転がる。
私は思わず叫んだ。
「えぇぇっ!?」
ラインも反射的に一歩前へ出る。
「何をするんですか――」
しかし女性はラインを一瞥しただけだった。
周囲を素早く見回し、小さく顎で家の中を示す。
「入れ」
低く短い一言だった。
ヴィルは頬を押さえながら起き上がる。
「い、痛ぇ……」
ぶつぶつ文句を言いながら家へ入る。
私達も慌てて続いた。
全員が入ると、女性は静かに扉へ鍵を掛ける。
ガチャリ。
その瞬間だった。
女性が振り返り、二人へ怒鳴り声を上げる。
「てめぇら!」
部屋中へ響くほど大きな声だった。
「それでも護衛か!」
ラインとヴィルの背筋が伸びる。
「しかも旧軍の高官の名前を、あんなでかい声で言いやがって!」
ヴィルは小さく肩をすくめた。
「いや、その……」
「その、じゃねぇ!」
女性は今度はラインを指差す。
「そっちのモデルみてぇな姉ちゃん!」
「は、はい!」
「お前もだ!私服を着ていても軍人臭が強すぎる!」
「歩き方!立ち方!周囲の見方!全部軍人だ!」
ラインは何も言い返せなかった。
私はその光景を見ながら頭の中が真っ白になる。
何、この人……この人が私の親戚!?
女性はそんな私を見て急に表情を緩めた。
「まあ、座れ」
そして私を見て笑う。
「そっちのちっこいのもな」
「は、はい」
私は素直に椅子へ座った。
しばらくすると温かいお茶が運ばれてくる。
ヴィルはまだ頬をさすりながら封筒を差し出した。
「元……グラウベ様からの手紙です」
女性は封蝋を破り、中身へ目を通す。
静かに読み終えると、小さく頷いた。
「なるほどな。グラウベの事情は分かった」
その言葉にラインの眉がぴくりと動く。
「グラウベ……?元帥閣下を呼び捨てとは――」
女性は呆れたように笑う。
「当たり前だ。軍学校の同期だからな」
部屋が静まり返る。
女性は腕を組み、堂々と名乗った。
「俺の名前はヘルム・カナリス元海軍大将だ」
その瞬間。
ラインとヴィルは勢いよく立ち上がった。
「失礼しました!」
二人は反射的に敬礼する。
バシィッ!!
「ぐあっ!」
またしてもヴィルだけが右ストレートを食らった。
「だから軍人臭を出すな!」
ヴィルは頬を押さえながら涙目になる。
「な、何故……俺だけ殴られるんですか……」
ヘルムは平然と答えた。
「一人は女だからだ」
ラインは苦笑しながら肩をすくめる。
ヴィルは納得できないまま天井を見上げた。
「そんな理由かよ……」
私は思わず吹き出してしまう。
首都へ来てから初めて笑った気がした。
――この強烈な人物との出会いが、共和国での私の運命を大きく変えていくことになるとは、この時はまだ誰も知らなかった。




