領民証
難民村ができて数か月。
最初は三十人ほどだった人々も、気付けば百人を超えていた。
仕事を見つけた者。学校へ通い始めた子供達。
新たに生まれた命まである。
一方で、別の領地から新しく流れてくる人々も後を絶たなかった。
その日、執事が困った顔で報告へ来る。
「旦那様、お嬢様。少々、問題が起きております」
父が顔を上げた。
「何だ」
「誰が領民で、誰が難民なのか、分からなくなり始めております」
私は静かに頷いた。
「やっぱり来たわね」
執事は帳簿を広げる。
「仕事へ就いている者。難民村で暮らしている者。新しく来た者。全て紙へ記録しておりますが……」
大きく息を吐いた。
「人数が増え過ぎました」
私は帳簿を眺めながら考える。
確かに限界だった。毎回名前を聞く。
誰がどこへ住んでいるのか確認する。
これでは時間も手間も掛かり過ぎる。
その夜。
私は父へ相談した。
「一人一人に登録証を発行しませんか」
父は少し驚いた表情を見せる。
「登録証?」
私は紙へ簡単な見本を書いた。
名前。年齢。住んでいる場所。仕事。発行日。
そして伯爵家の印。
「これだけで十分です。領民であることを証明できます」
父は紙を見つめる。
「身分証か」
「はい」
私は頷いた。
「立派な物は必要ありません。まずは誰が誰なのか、きちんと把握することが大切です」
翌週。
領館の一室で登録が始まった。
一人ずつ名前を確認する。
「お名前は、ハンスです。年齢は三十二歳」
「現在のお仕事は」
「鍛冶屋で働いております」
執事が丁寧に帳簿へ書き込んでいく。
登録が終わると、一枚の厚紙が渡された。
「こちらが登録証になります」
男性は大切そうに受け取った。
「ありがとうございます」
登録は何日も続いた。
農民。職人。教師。子供達。
難民村の全員が順番に登録されていく。
私はその様子を見ながら思う。
「これでようやく把握できる」
誰が働いているのか。誰が病気なのか。
誰が子供なのか。誰が新しく来たのか。
全て分かるようになる。
登録が終わった頃。
市場でも変化が現れた。
商人が登録証を見て笑う。
「この人は領民だな」
鍛冶屋も頷く。
「仕事の依頼もしやすくなった」
学校では教師が出席を確認しやすくなり、治安隊も巡回が楽になった。
一枚の紙だった。
それだけなのに、領地全体の動きが驚くほどスムーズになっていく。
父は登録証を手に取りながら呟く。
「最初は難民を把握するためだった」
私は微笑む。
「ええ。でも、それだけじゃありません」
父が続きを促す。
私は静かに答えた。
「この人が、この領地で暮らしている。それを皆が確認できる。その積み重ねが、安心にも繋がります」
執事も深く頷いた。
「領民を守るためには、まず領民を知ることが大切でございますな」
「その通りです」
私は窓の外を見る。
難民としてやって来た人々は、少しずつこの領地の一員になり始めていた。
その第一歩は、たった一枚の登録証だった。
私はノートへ新しい一文を書き加える。
『国を治める第一歩は、人を知ること。』
今は小さな登録証に過ぎない。
だが、この仕組みは、やがて領民台帳となり、さらに後の戸籍制度へと発展していく礎となるのだった。




