紙幣の山
秋も深まった頃。
領館へ一台の荷馬車がゆっくりと入ってきた。
乗っていたのは、以前から取引のある首都の商人だった。
しかし、その姿を見た私は思わず息を呑む。
頬は痩せこけ、服も埃まみれ。
以前の余裕ある商人とはまるで別人だった。
「お久しぶりです」
私が声を掛けると、商人は力なく笑った。
「お嬢様……何とか、生きております」
その一言だけで、首都の状況が普通ではないことが伝わってきた。
応接室へ案内すると、父も同席する。
温かいお茶が運ばれ、一息ついた商人は静かに話し始めた。
「首都は……酷い有様です」
部屋の空気が重くなる。
「昨日まで持っていた金で、今日は半分も買えません」
「朝と夕方で値段が違う店もあります」
私は黙って聞き続ける。
商人は苦笑するように続けた。
「給料をもらったら、その日のうちに使わないと損をします」
「明日には、同じ紙幣で買える物が減ってしまうんです」
父も驚きを隠せなかった。
「そこまでか……」
商人はゆっくり頷く。
「ええ」
「今では紙幣を数えるより、重さで量った方が早いくらいですよ」
部屋が静まり返る。
誰も言葉を発しなかった。
⸻
その話はすぐに領内へ広まった。
市場でも商人達が顔を見合わせる。
「本当なのか?」
「紙幣がそんなことになるなんて……」
「信じられん」
だが、首都から来た商人は何人も同じ話をしていた。
誰一人として違うことは言わない。
領民達は初めて知る。
共和国全体で、何が起きているのかを。
⸻
幸い、シュタインベルク領はまだ落ち着いていた。
食料の備蓄。
木材。
鉄。
農具。
布。
以前から少しずつ蓄えていた物資が、領地を支えている。
市場では値上がりはしている。
それでも、首都ほどではない。
商人も慌てて店を閉めることはなかった。
執事が報告書を持ってくる。
「現在のところ、大きな混乱はございません」
私は静かに頷いた。
「備蓄が効いているわね」
「はい」
「皆様も伯爵家のお話を信じて準備してくださいました」
私は窓の外を見る。
市場には人が歩き。
荷車も行き交っている。
穏やかな景色だった。
⸻
それでも。
私の胸の中には、不安が残っていた。
「いやしかし……」
思わず独り言が漏れる。
「実際に目の当たりにすると、それほど酷い状況なのね……」
前世で本を読み、数字では知っていた。
けれど。
人の口から直接聞くと、その重みは全く違う。
私は机の上へ共和国の地図を広げる。
首都。
地方都市。
そしてシュタインベルク領。
「国の中の一領……」
私は地図を見つめながら小さく呟く。
「巻き込まれない訳がないわね」
領地だけで全てを賄える訳ではない。
塩。
薬。
鉄。
領外から仕入れる物はまだ多い。
共和国全体が混乱すれば、必ず影響は及ぶ。
私は静かに息を吐いた。
「でも……」
窓の外では子供達が笑いながら走っている。
市場もまだ動いている。
職人達も今日の仕事を続けている。
「まだ安定はしてるか……」
そう呟くと、少しだけ肩の力を抜いた。
「ふぅ……」
だが、それは安心ではなかった。
嵐の中ではない。
嵐が近づいている、その静けさだった。
私はノートを開き、一行だけ書き加える。
『これは始まりに過ぎない』
その文字は、小さく揺れるランプの明かりに照らされながら、静かにページへ刻まれていった。




