共和国の借金
朝食を終えた私は、いつものように新聞へ目を通していた。
政治欄。経済欄。そして最後に公告。
一通り読み終えた時、一つの記事へ視線が止まる。
『共和国、大規模な国債発行を決定』
『復興資金確保のため、新たな紙幣印刷も実施』
私は記事を最後まで読み終え、小さく新聞を畳んだ。
「やっぱり……」
父も新聞を受け取り、記事へ目を通す。
「戦争が終わったというのに、まだ金が無いとはな」
父は苦い表情を浮かべる。
「復興にも賠償金にも金が要るのだろう」
私は静かに首を横へ振った。
「それだけじゃ足りないわ」
父が私を見る。
「どういう意味だ?」
私は新聞を机へ置いた。
「国債を発行しても足りない。だから紙幣も印刷する。でも、それでも足りなくなる」
父は腕を組む。
「なぜそう思う」
私はゆっくり説明した。
「紙幣は物ではありません。増やそうと思えば、いくらでも増やせます。でも、小麦も鉄も木材も、すぐには増えません。物が増えないのに、お金だけ増えれば……」
父は静かに頷いた。
「物の値段が上がるということか」
「はい」
私は父の目を見て答えた。
「正確には、お金の価値が下がるんです」
部屋が静まり返る。
私は少し間を置いてから続けた。
「以前、少量の地金を購入しました。ですが、もう一度お願いがあります」
父は黙って続きを促す。
「可能な範囲で、もう少しだけ地金を購入してください。利益のためではありません。領地を守る最後の備えです」
父はしばらく考え込んだ。
やがて静かに頷く。
「分かった。市場へ影響が出ない範囲で手配しよう」
私は安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます」
私はさらに話を続ける。
「もう一つ、お願いがあります」
父は少し驚いたように笑う。
「まだあるのか」
「はい」
私も苦笑した。
「領内の商人さんや職人さんにも、できる範囲で備蓄をお願いしたいんです」
「備蓄?」
「鉄、木材、革、布、釘、それに食料です。買い占めではありません。いつもより少し多めに在庫を持っていただくだけです」
父は腕を組んだまま尋ねる。
「理由は説明するのか?」
「市場が不安定になる可能性があります、とだけ伝えてください。余計な不安を広げる必要はありません」
父は静かに頷いた。
「良いだろう」
数日後。
領館へ商人や職人達が集められた。
父と母が事情を説明し、執事が補足する。
最初は皆、不思議そうな顔をしていた。
「今のところ困ってはいませんが……」
そんな声も上がる。父は穏やかに答えた。
「これは命令ではない。備えの話だ。無理のない範囲で構わない」
その言葉に、皆が頷いた。
シュタインベルク伯爵家は、これまで何度も先を読んできた。
橋の修理も。食料の備蓄も。武器の回収も。
結果として、全て領地を守ることに繋がっていた。
「伯爵家が言うなら」
「少し多めに仕入れておこう」
鍛冶屋は鉄を。木工職人は木材を。
商人は布や塩を。農家は種子を。
それぞれが無理のない範囲で備蓄を始めた。
数週間後。
領内の備蓄は、おおむね終わっていた。
私は報告書を閉じ、小さく息を吐く。
「これで、できることはやったわね」
窓の外では穏やかな秋風が吹いている。
市場もいつも通り。
子供達は笑い、荷車が行き交い、人々は普通の生活を送っていた。
その平穏は、ある日突然終わりを迎える。
数週間後。
共和国全土で、誰も経験したことのない猛烈な物価上昇が始まった。
昨日まで百イマルで、買えたパンが、今日は二百イマル。翌日には四百イマル。
さらに数日後には千イマルでも買えなくなる。
人々は紙幣を抱えて市場へ走る。
しかし店の棚は空だった。
紙幣はある。それでも買う物がない。
共和国は、後に「ハイパーインフレ」と呼ばれる未曾有の経済混乱へ突入していく。
そして、その大きな波は、静かだったシュタインベルク領にも、ゆっくりと近づき始めていた。




