違和感の正体
部屋の扉が静かに開いた。
年配の男がゆっくりと入ってくる。
白髪混じりの髪。口ひげ。
黒い上着に、長い革の鞄。
医者なのだろう。
男は私の枕元へ歩み寄ると、慣れた手つきで脈を取った。
「……ふむ」
次に瞼を持ち上げ、左目を覗き込む。
続いて胸へ聴診器を当てる――。
いや。違う。私は思わず男の手元を見つめた。
……木?
聴診器ではない。
木でできた筒のようなものを胸に当て、耳を近づけている。
記憶が蘇る。
十九世紀初頭に使われていた単耳式聴診器。
医療史の資料で見たことがある。
もちろん、本物を見るのは初めてだった。
ずいぶん古い器具だな?
私は頭の中で理由を探す。
紛争地帯では珍しいことではない。
医療物資が不足すれば、古い器具でも使えるものは使う。
きっとそうだ。
そう考えれば説明はつく。
男は額の包帯をゆっくり確認し、小さく頷いた。
「熱も下がっております」
穏やかな声だった。
「命に別状はありません。ご安心ください」
隣で控えていた女性が胸を撫で下ろす。
「本当ですか」
「ええ。お嬢様は峠を越えられました」
また、お嬢様……
私は小さく眉を寄せる。
いつまで勘違いを続けるつもりなのだろう。
それとも、本当に別人と間違えているのか。
医者は私へ微笑みかけた。
「お嬢様、お分かりになりますかな」
私は小さく口を開く。
「……ここ……は……」
かすれた声しか出ない。
それでも男は安心したように笑う。
「話せますな。よかった」
質問の答えにはなっていない。
私はもう一度聞こうとした。
しかし喉が痛み、咳き込んでしまう。
「まだ無理をなさらぬことです」
男はそう言って立ち上がった。
「奥様をお呼びしてください」
「はい」
女性は深々と頭を下げる。
そして急いで部屋を飛び出していった。
静寂が戻る。
……奥様?
その言葉が頭に引っ掛かった。
奥様。誰のことだ?
私の母は、とっくに他界している。
結婚もしていない。
当然、義母がいるわけでもない。
ならば――
そこまで考えた瞬間、胸の奥に小さな違和感が芽生えた。
私は、この部屋の誰一人として知らない。
それなのに、皆が私を見て、迷いなく「お嬢様」と呼ぶ。
誰一人として疑っていない。
人違いとは思えないほど自然に……何かがおかしい。
合理的に説明できるはずだった。
古い医療器具も。見慣れない部屋も。
暖炉も。服装も。
だが、一つひとつ積み重なる違和感が、少しずつ私の常識を揺さぶり始めていた。
そして数分後。
廊下から、誰かが駆けてくる足音が聞こえた。




