父の帰還
春の風が吹き始めた頃。
領館の前へ、一台の馬車が静かに止まった。
「旦那様がお戻りです!」
使用人の声が屋敷中へ響く。
私は思わず窓へ駆け寄った。
馬車から一人の男性が降りてくる。
軍服ではない。黒い外套を羽織った長身の男。
無駄な動きが一つもない。
周囲を一目見ただけで状況を把握するような鋭い視線。
「あの人が……」
グラウベ・フォン・シュタインベルク。
私の父だった。
玄関では母と妹が待っていた。
「お帰りなさい」
母の声は震えていた。
父は小さく頷く。
「ただいま」
派手な再会ではない。
だが、その一言だけで十分だった。
妹は嬉しそうに父へ飛び付く。
父は優しく頭を撫でた。
そして私を見る。
「ベレ」
私は一礼する。
「お帰りなさいませ、お父様」
初めて会う相手。
それなのに、不思議と緊張はしなかった。
応接室。
父は領地の報告書へ目を通していた。
橋の補修。帰還兵の雇用。治安隊の設立。
武器の回収。農具への再利用。
数字が並ぶ報告書を、一枚一枚静かに読んでいく。
やがて顔を上げた。
「これは……誰が考えた?」
執事が迷わず答える。
「お嬢様でございます」
父の視線が私へ向く。
「本当か?」
私は頷いた。
「はい」
「理由を聞こう」
私はゆっくり説明を始める。
帰還兵には仕事が必要なこと。
道路や橋は物流を支えること。
武器を農具へ変えた理由。
鍛冶屋で弟子を育て始めたこと。
学校のこと。給食を考えていること。
私は一つずつ話した。
父は最後まで口を挟まない。
ただ静かに聞いていた。
話し終えると、部屋は静まり返った。
やがて父は小さく息を吐く。
「十二歳とは思えんな」
私は思わず苦笑する。
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取ります」
父の口元がわずかに緩んだ。
それが今日初めて見せた笑顔だった。
「ベレ」
「はい」
「お前は戦場を見たことがあるか?」
私は少しだけ言葉に詰まる。
前世ならある。だが今は答えられない。
「……ありません」
父は頷いた。
「だが兵站を理解している。物流も治安も人材育成も全て戦を知る者の発想だ」
私は何も言えなかった。
前世の経験が、知らず知らずのうちに考え方へ表れていたのだろう。
しばらく考えた後、父は母へ向き直った。
「今後も、ベレの意見を取り入れてくれ」
母は頷く。
「もちろんです」
そして父は私を見る。
「正式に、お前へ領主代行の補佐権限を与える」
部屋が静まり返る。執事も驚いている。
私は思わず聞き返した。
「私に……ですか?」
「領主代行はリーブだ。だが、お前の提案は今後、領地運営の正式な案件として扱う。遠慮なく意見を出せ」
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
話はそこで終わらなかった。
父は静かに現状を語り始める。
「伯爵位は維持された。だが、軍は再編中だ。私が軍へ残れるかどうかは、まだ決まっていない」
母が心配そうに尋ねる。
「では、お仕事は……」
「分からん」
短い返事だった。それが現実なのだろう。
さらに続ける。
「もう一つ報告がある」
部屋の空気が少し重くなる。
「貴族の現金資産が大幅に没収される」
私は静かに頷いた。予想していた。
だが、その直後、執事が苦笑しながら口を開く。
「その件でしたら……当家には、あまり現金が残っておりません」
父が眉を上げる。
「どういうことだ?」
執事は庭を指差した。
「食料、種子、肥料、農具、木材。全て、お嬢様の提案で現物へ換えました」
しばらく沈黙が続く。やがて父は私を見た。
「……そこまで読んでいたのか」
私は首を振る。
「読んでいた訳ではありません。現物の方が、人を生かせると思っただけです」
父は小さく笑った。
「見事な采配だ」
その一言には、軍人としても、領主としても認めた重みがあった。
夕食の後。
私は廊下で父と二人きりになった。
父は私の顔を見て立ち止まる。
右頬に残る傷跡。
しばらく見つめた後、静かに言った。
「傷が残ってしまったな」
私は少しだけ笑った。
「はい。でも、気にしていません」
父は何も言わない。私は父の目を見て続けた。
「私にとっては勲章です。あの日、生き残れた証ですから」
父は驚いたように目を見開いた。
そして静かに頷く。
「……そうか」
短い返事だった。
だが、その目には、娘を誇らしく思う父親の優しさが宿っていた。
その日、シュタインベルク伯爵家は、ようやく家族全員が揃った。
そして同時に、領地再建は新たな段階へ進もうとしていた。




