海の未来
共和国海軍工廠。
巨大な建屋の中では、金属を打つ音と蒸気の音が絶え間なく響いていた。
工廠長がベレを出迎え、敬礼する。
「総統閣下。遠路お越しいただき、ありがとうございます」
ベレは笑顔で手を振った。
「いえいえ。こちらこそ案内をお願いするわ」
工廠内を歩くと、以前軍港で見た老朽艦がドックへ収められていた。
船体の錆は削り落とされ、新しい鋼板へ交換されている。
「あら。前よりずっとまともになりそうね」
工廠長は嬉しそうに頷く。
「はい。機関の整備と船体補修を進めております。まだ第一線とはいきませんが、近海警備には十分使用できる見込みです。それと現在、新型潜水艦の建造も始めております」
「そうだったわね」
ベレは思い出したように苦笑する。
「私が建造を指示したのだったわ」
工廠長は建造中の船体へ案内する。
「こちらが現在建造中の潜水艦です」
まだ骨組みが多く残る船体を見上げながら、ベレは尋ねた。
「今回の潜水艦は、どんな考え方で設計しているの?」
工廠長は図面を広げる。
「現在は長年建造が途絶えていたため、まずは製造技術者の育成を最優先としております。性能よりも、建造技術そのものを取り戻すことが目的です」
ベレは静かに頷いた。
「やっぱり戦争に負けた影響ね。技術が途中で途切れてしまっている」
「はい……」
工廠長も苦い表情を浮かべた。
しばらく潜水艦を眺めていたベレは、ふと思い付いたように尋ねる。
「ところで、潜水艦って潜っている時はどれくらいの速度が出るの?」
「現在建造中の近海型では、水中最大七・五ノット程度であります」
ベレは頭の中で計算する。
「七・五ノット……時速十四キロくらいかしら」
「はい。その程度になります」
「思ったより遅いのね」
工廠長は苦笑する。
「水中では抵抗が大きく、現在の技術ではこれが限界であります」
ベレは少し考え込んだあと、ゆっくり口を開いた。
「今すぐじゃなくていいわ。将来的には、この倍以上の大きさで。速度も倍以上を目指してほしい」
工廠長は思わず目を丸くする。
「倍……ですか?」
「もちろん、すぐには無理よ。夢として目標を持ってほしいだけ。技術は目標があってこそ進歩するものだから」
工廠長は深く頷いた。
「承知いたしました」
ベレは建造中の潜水艦を見つめながら、さらに口を開く。
「それと、これは本当に素人考えなんだけど……」
「はい?」
「潜水艦って、もっと流線型というか……涙みたいな形の方が良くない?」
工廠長は首を傾げた。
「涙型……ですか?」
「船体を見ていると、外装に段差や凸凹が多いでしょう?水の中を進むなら、もっと滑らかな形の方が水の抵抗が少なくなる気がするの」
工廠長は船体へ視線を移した。
「……なるほど。そのような発想は考えたことがありませんでした」
周囲の技術者たちも図面を見比べ始める。
「確かに、水の流れは変わるかもしれません」
「抵抗が減れば速度向上も期待できます」
ベレは苦笑した。
「外れていたら笑って忘れて」
「でも、試してみる価値くらいはあるんじゃないかしら」
工廠長は力強く敬礼した。
「開発部へ提案いたします」
「新しい可能性として、検証を進めます」
ベレは満足そうに頷いた。
兵器は一日では進歩しない。
だが、一つの発想が十年後の常識になることもある。
共和国の海軍もまた、新たな時代へ向けて静かに歩み始めていた。
ベレは図面を眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば、この潜水艦の資料を見ていて思ったんだけど」
工廠長が顔を上げる。
「はい」
「潜水艦って、浮上している時はディーゼルエンジンを回して航行しながらバッテリーへ充電して、潜航したら、その充電したバッテリーで動くのよね?」
「はい。その認識で間違いありません。現在の潜水艦は、その方式を採用しております」
ベレは腕を組んで考え込む。
「例えばなんだけど……海に潜る時に使うシュノーケルってあるでしょう?」
工廠長は少し首を傾げた。
「……はぁ。水面へ空気を取り入れるための管でありますね」
「それを潜水艦に付けられないかしら?」
工廠長だけでなく、周囲の技術者たちも一斉にベレを見つめる。
「潜水艦に……ですか?」
「もちろん深く潜ることはできないでしょうけど。海面近くを航行する時だけでも、その管で空気を取り込めれば、潜ったままエンジンを動かせるんじゃないかしら?そうすれば発電機も回せるから、航行しながらバッテリーの充電もできるわよね?」
工廠内が静まり返る。
ベレはさらに続けた。
「海面へ出るのは細い管だけでしょう?艦全体を浮上させるより見つかりにくいんじゃないかと思ったんだけど……」
工廠長は目を見開いたまま言葉を失う。
「……!」
隣にいた主任技師が慌てて図面を広げる。
「空気を取り込めれば……」
「排気も同じ管で処理できれば……」
「潜望鏡深度で機関を回せるかもしれない……」
別の技師も興奮気味に口を挟む。
「そうなれば、バッテリー切れを大幅に遅らせられるぞ!」
「行動時間が一気に伸びる!」
工廠長はゆっくりとベレへ向き直った。
「総統閣下……確かに、その発想はありませんでした。実現できれば、潜水艦の運用そのものが変わる可能性があります」
ベレは苦笑する。
「素人の思いつきだから、できるかどうかは分からないわ。でも、考えるだけならお金は掛からないでしょう?」
工廠長は力強く敬礼した。
「直ちに開発部と設計部で検討を開始いたします!」
技術者たちは一斉に図面へ集まり、新たな議論を始める。
一本の細い管という小さな発想が、共和国海軍の未来を大きく変えるかもしれなかった。




