静かなる潜入
共和国親衛隊本部。
ラインは執務机の上に積まれた報告書へ目を落としていた。
その一番上に置かれているのは、汚職政治家たちから差し押さえた資産の最終報告書だった。
現金。美術品。宝石。骨董品。高級ワイン。
豪邸から運び出された品々は、どれも一般市民が一生目にすることもないような高価な物ばかりだった。
ラインは最後の集計額を見つめ、小さく息を吐く。
「個人資産としては十分過ぎる金額だが……」
静かに報告書を閉じた。
「必要な金額には程遠い」
共和国が背負わされた隠れ債務。
その返済に必要なのは、金準備換算で三十トン。
押収した資産を全て処分したところで、その穴を埋めるには到底及ばない。
「やはり……チュコが抱えている金か」
壁に掛けられた地図へ視線を向ける。
チュコ共和国の金準備、およそ九十トン。
共和国が再建への道を進むには、どうしても無視できない存在だった。
「急ぎたいが……急ぎ過ぎればしくじる」
独り言のように呟いた、その時だった。
コンコン。執務室の扉が叩かれる。
「入れ」
親衛隊の将校が入室し、敬礼した。
「報告します。潜入部隊、チュコ共和国への潜入に成功しました」
ラインは僅かに目を細める。
「……随分と早いな」
将校は地図を指差した。
「チュコ共和国の一部地域は、かつて我が国の領土でありました。潜入部隊の中に、その地域の出身者がおります。故郷へ戻る形で潜入したため、不審に思われることもなく、現地の反政府組織との接触に成功した模様です」
ラインは静かに頷いた。
「なるほど。必要な物があれば、すぐに送る。武器か、資金か。それくらいだろう」
将校は首を横に振る。
「恐らく、その必要はまだありません。出発時に十分な資金と装備を持たせております。追加の支援が必要になれば、その時点で連絡が入ると思われます」
ラインは短く頷く。
「分かった。無理だけはさせるな。まずは現地で信用を得ろ。情報収集を最優先としろ。正体を悟られたら全て終わる」
「はっ」
将校は力強く敬礼すると、静かに執務室を後にした。
再び部屋には静寂が戻る。
ラインはチュコ共和国の地図を見つめたまま、誰にも聞こえない声で呟く。
「共和国に残された時間は半年。ベレ様は表で共和国を立て直している。ならば私は、裏で道を切り開く」
静かなる潜入作戦は、誰にも知られることなく始まっていた。
同じ頃、総統執務室。
ベレは机に突っ伏すように大きく息を吐いた。
「はぁ……中々上手くいかないわね」
机の上には財務省や商務省から提出された資料が山積みになっている。
新しく販売を始めた家電製品。
共和国製というブランドは徐々に浸透し始め、売上も決して悪くはない。
しかし──。
「この金額じゃ、焼け石に水ね」
隠れ債務の返済額は桁違いだった。
家電を何万台売ろうとも、今すぐ必要な資金には到底届かない。
「何か……一気に稼げる方法はないかしら」
腕を組みながら考え込む。
資源。鉱山。新産業。
どれも利益が出るまでには時間がかかる。
共和国に残された時間は、あと半年しかない。
その時、秘書官が執務室へ入ってきた。
「総統。外務省と情報省から報告書が届いております」
「何かしら」
ベレは報告書を受け取り、一枚目へ目を通した。
「串国から?」
思わず眉をひそめる。
現在の串国は中央政府の権威が失われ、各地の軍閥が実権を握る混乱状態にあった。
国として機能していると言うには、あまりにも不安定である。
「国……と言っていいのかしら」
苦笑しながらページをめくる。
内容は、その軍閥の一つから共和国へ接触があったというものだった。
「武器弾薬……戦闘車両の購入希望?」
以前の条約は既に一部破棄しており、共和国側にも法的な制約はほとんど残っていない。
ベレは少しだけ考える。
「利益にはなるわね。大金とは言えないでしょうけど、今は一円でも多く必要だわ」
報告書へ決裁印を押す。
「外務省に一任します。価格交渉だけは妥協しないよう伝えて」
「はい」
秘書官が退室すると、ベレは再び椅子へ深く腰掛けた。
「稼げることは、全部やる。それでも足りないなら……次を考えるしかないわね」
窓の外には、復興工事が続く共和国の街並みが広がっていた。
誰も知らないところでラインが裏から共和国を支えようとしている一方、ベレは表の世界で、共和国を救うための答えを探し続けていた。




