忠誠の代償
数日後。
総統官邸。
ベレは目の下に薄く隈を作りながら書類へ目を通していた。
ラインは思わず眉をひそめる。
「総統。お顔の色が優れません」
ベレは苦笑した。
「大丈夫よ。少し疲れているだけだから」
その言葉に、ラインは何も返さなかった。
――大丈夫なはずがない。
あれから毎日のように財務省、中央銀行、商工省を自ら訪ね歩いている。
本来なら共和国の総統が出向く立場ではない。
呼び出せば済む話だ。
それでもベレは相手への礼儀を優先してしまう。
優しすぎる。
ラインは静かに口を開いた。
「総統。これ以上は、私が予定を管理いたします」
ベレは驚いたように顔を上げる。
「えっ……でも」
「いいえ」
ラインはきっぱりと言い切った。
「これ以上は、お身体に障ります。今後の面会は、こちらから各省庁へ出頭を命じます」
しばらく沈黙が流れる。
やがてベレは小さく笑った。
「……分かったわ。お願いするわね」
ラインは一礼した。
執務室を出た瞬間。
ラインの表情から柔らかさが消えた。
手元の予定表を見る。
「……この国の総統を待たせるだと」
本来なら共和国最高権力者へ自ら足を運ぶべき人間ばかり。
それなのに返事すら寄越さない者もいる。
ラインは秘書官へ命じた。
「本日の召集状の返答は、出席予定が四名、辞退が三名、返答なしが八名です」
ラインは静かに息を吐いた。
「教育が必要だな」
周囲の空気が凍る。
「警察長官のハイン・ムラーを呼べ」
数分後。
警察長官が現れる。
ラインは一枚の名簿を差し出した。
「この者たちを内偵しろ。脱税、贈収賄、横領、違法取引……何でもいい。合法的に調べろ。何か出れば司法の判断に委ねる」
警察長官は名簿へ目を落とした。
「……かなりの大物ですが」
「法の下では全員平等だ」
ラインは静かに答えた。
「総統は国民に頭を下げる方だ。だが、私は違う。総統を軽んじる者には、それ相応の責任を取ってもらう」
警察長官は無言で敬礼した。
「承知しました」
ラインは窓の外を見る。
「総統。あなたが表を守るなら……裏は私が守ります」
数日後。
召集命令に返答すら寄越さなかった者たちの周囲が、慌ただしくなり始めた。
贈収賄。違法賭博への関与。
過剰接待による公務員法違反。脱税。
次々と警察の捜査が入り、逮捕者が出る。
共和国の新聞各紙は一面でそのニュースを報じ、市民は口々に「共和国も腐敗を許さない国になった」と噂した。
もちろん、表向きは汚職摘発である。
だが、ラインの狙いはそれだけではなかった。
長期間に及ぶ取調べ。
警察は事件の経緯だけではなく、旧政権時代の行政についても丁寧に聞き取りを進めていく。
「当時の財務大臣は誰の指示で動いていた」
「隠れ債務を知っていた者は何人いる」
「帳簿を処分した命令は誰が出した」
「責任者はどこまで把握していた」
事件とは直接関係のないように見える質問も、会話の合間に自然と織り交ぜられていく。
最初は「知らない」と答えていた者たちも、何日も続く取調べの中で、少しずつ記憶を辿り始めた。
断片的な証言。忘れていた名前。
消えたはずの書類の保管場所。
それらを一本の線につなぐ作業は、親衛隊情報部の役目だった。
ラインは報告書へ静かに目を通す。
「……少しずつ見えてきたな」
旧政府が隠した秘密は、ようやく綻び始めていた。




