帰還兵
降伏から数日。
街道を歩く兵士の姿が目立つようになってきた。だが、その姿は新聞に描かれていた英雄とは程遠かった。
泥で汚れた軍服。
擦り切れた軍靴。
背中に小さな荷物を背負い、俯きながら歩く若者達。誰も勝者の顔をしていない。
私は領館の窓から、その様子を静かに見つめていた。
「帰ってきたのね……」
戦争は終わった。
だが、彼らに帰る場所が残っているとは限らない。軍は縮小される。武器は取り上げられる。
仕事もない。
彼らは兵士ではなく、一人の失業者として故郷へ戻ってきたのだ。
昼過ぎ。
領館へ数名の兵士が訪ねてきた。
護衛が確認すると、その中の一人がシュタインベルク家の紋章を見て敬礼する。
「将軍閣下の部下であります」
私は思わず耳を澄ませた。
母が応接室へ向かう。
私も少し離れた場所から話を聞くことにした。
「主人は……」
母の声は少し震えていた。
兵士は真っ直ぐ答える。
「ご安心ください。将軍閣下はご健在です」
母が胸に手を当てる。兵士は続けた。
「現在は武装解除と降伏手続きの責任者の一人として、各部隊の調整を行っておられます」
「しばらくは帰還できませんが、お元気でいらっしゃいます」
部屋の空気が少しだけ軽くなる。
母は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……」
私は静かに息を吐いた。
良かった。まだ会ったこともない父だ。
それでも無事だと聞いて安心した。
そして同時に理解する。
武装解除の段取りを任されている。
それは一介の将校では務まらない。
軍全体を動かす立場。
やはり父は相当な高官なのだ。
私は心の中で呟く。
「前線で剣を振るう人ではなく、軍そのものを動かす人だったのね」
その日の夕方。
領館の庭には何台もの荷馬車が並んでいた。
袋詰めの穀物。樽に入った保存食。
農具。肥料。そして大量の種子。
私は思わず目を丸くする。
「ここまで……?」
母が微笑んだ。
「あなたの話を聞いて、執事とも相談したの。現金は少しだけ残して、ほとんど物資へ替えたわ」
私は苦笑する。
「そこまで思い切るとは思いませんでした」
「私も最初は迷ったわ」
母は荷馬車を見つめる。
「でも、あなたの言う通り、お金より物の方が大切になる気がしたの」
私は頷いた。
戦後の混乱では、貨幣の価値が急落することがある。だが食料は人を生かす。種は来年の収穫を生む。農具は何年も使える。
価値がなくなりにくいのは、紙幣ではなく現物だった。
翌日から、領館へ領民が訪れるようになった。
「これからどうなるのでしょうか」
「食料は足りますか」
「畑を増やした方がいいでしょうか」
「今のうちに何を買えばいいでしょう」
一人。また一人。相談は途切れない。
母は一人ひとり丁寧に話を聞いていた。
だが、数が多すぎる。
私はその様子を見ながら考える。
そして母へ声を掛けた。
「お母様」
「なあに?」
「同じ説明を何度もされていますよね」
母は苦笑した。
「そうなの。でも皆、不安なのよ」
私は少し考えてから言った。
「それなら、一度に説明した方がいいと思います」
「皆さんの前で」
リーブは驚いたように私を見る。
そして静かに頷いた。
「その方が早いわね」
数時間後。
噂は領地中へ広がった。
「伯爵夫人がお話をされるらしい」
「これからのことを説明してくださるそうだ」
領館前には次々と人が集まる。
農民。職人。商人。帰還兵。
気付けば数百人もの領民が広場を埋め尽くしていた。ざわめきが広がる。
母は一歩前へ出た。
そして穏やかな声で語り始める。
「皆さんも不安だと思います」
広場が静まり返る。
「だからこそ、今はお金を抱えるよりも、生活に必要な物を確保してください。食料、農具、肥料、そして種子です。来年の収穫を守ることが、皆さん自身を守ることになります」
領民達は真剣な表情で耳を傾けている。
母は続けた。
「不足する物があれば、遠慮なく領館へ相談してください。私達も、皆さんと同じように備えを始めています」
そう言って庭を指し示す。
そこには荷馬車から降ろされた穀物袋や農具、種子が山のように積まれていた。
どよめきが広がる。
「本当に買い集めていたのか……」
「伯爵家も動いている……」
「なら、急がないと」
人々の表情が変わる。不安だけではない。
「何をすればいいか」が分かった表情だった。
私は少し離れた場所から、その光景を見つめる。一人の英雄が国を救うことはできない。
だが、一つの正しい情報は、多くの人の行動を変えることができる。
それは前世で、私が外交官として何度も学んだことだった。
そして今、この領地でも、小さな変化が静かに始まろうとしていた。




