変わった前提
総統官邸。
ラインが一通の外交文書を持って、執務室へ入ってきた。
「総統。シア国政府から正式な抗議が届きました」
ベレは書類から顔を上げる。
「……やっぱり来たわね」
「はい」
ラインは外交文書を机の上へ置いた。
ベレは内容へ目を通す。
そこには、共和国が突然技術者を引き揚げたこと。
さらに、技術支援を一方的に中断したことへの抗議が記されていた。
そして最後には。
『共和国は、我が国を信用していないのか』
そう書かれている。
ベレは椅子へ深く座り込んだ。
「信用していないのか、か……」
ラインが尋ねる。
「どのように返答しますか?」
ベレはしばらく考えた。
「外務省に任せましょう」
「外務省に?」
「ええ。まだ、私やシフ・タリンが直接話す段階ではないわ。まずは外務大臣同士で話してもらいましょう」
ラインは頷いた。
「承知しました」
数日後。
共和国とシア国による外務大臣会談が開かれた。
シア国外務大臣は、挨拶を終えるとすぐに本題へ入った。
「率直に伺いましょう。共和国は、我が国を信用していないのですか?」
共和国外務大臣は落ち着いて答えた。
「信用の問題ではありません」
「では、なぜ突然技術者を引き揚げたのです?」
「共同研究の前提が変わったためです」
シア国外務大臣の表情が僅かに動く。
「前提?」
「はい」
共和国外務大臣は続けた。
「我々が技術協力を始めた時と、現在のシア国では国家の体制が変わっています」
「新しい政府、新しい指導者、新しい政策。ならば、一度立ち止まり、今後の協力関係を見直すのは当然ではありませんか?」
シア国外務大臣が反論する。
「しかし、共和国は何の相談もなく技術者を引き揚げました」
共和国外務大臣は頷いた。
「その点については、急な対応となったことを認めます。ですが――」
一枚の報告書を机へ置いた。
「たまたまではありますが我が国の技術者が引き揚げた、わずか数時間後、共同研究所と研究成果が、シア国政府の管理下に置かれたと聞いておりますが?」
会談の空気が変わった。
シア国側が黙る。
共和国外務大臣は静かに続ける。
「もし我が国の技術者が残っていたら、共和国が持ち込んだ研究資料や設計図も、シア国政府の管理下に置かれていたのでしょうか?」
シア国外務大臣は答える。
「我が国の領土内にある施設です。国家が管理するのは当然です」
共和国外務大臣はすぐに返した。
「ならば、やはり共同研究の前提は変わっています」
沈黙。
共和国外務大臣は感情的にならず、淡々と続ける。
「以前は、両国による共同研究でした。しかし現在は、シア国政府による直接管理。それが悪いと言っているのではありません。ですが、同じ条件ではありません」
シア国外務大臣はしばらく黙っていた。
そして静かに尋ねる。
「技術支援を再開する意思は?」
「今後のシア国の政策を見た上で判断します」
「つまり、我が国を監視する、と?」
「いいえ」
共和国外務大臣は首を横に振った。
「国と国が付き合う時、相手を見るのは当然です。シア国も、共和国を見て判断すればいい」
二人の視線がぶつかる。
それは戦争ではない。
敵対でもない。
しかし確かな警戒だった。
こうして共和国とシア国の関係は、それまでの単純な協力関係から互いに相手を見極める、新たな段階へ入ったのだった。




