帰国命令
シア国。山間部に造られた極秘共同研究所。
その日、共和国側の責任者のもとへ、一通の電報が届けられた。
「本国からです」
「外務省からか?」
「いえ……」
通信担当者は、不思議そうな表情を浮かべる。
「親衛隊経由です」
「親衛隊?」
共和国側責任者は眉をひそめた。
通常、海外に派遣された技術者への連絡は外務省を通す。
親衛隊から直接連絡が来ることなど、まずない。
嫌な予感がした。
「貸せ」
電報を受け取り、内容を確認する。
そこに書かれていたのは、極めて短い命令だった。
『共和国技術者、全員帰国せよ』
責任者は目を見開いた。
「……全員?」
「はい」
「全員です」
周囲にいた技術者たちも驚く。
「待ってください!」
「一号戦車は完成しました!」
「二号型の研究も始まったばかりです!」
「今帰国すれば、研究は途中で止まります!」
責任者はしばらく黙って電報を見つめる。
しかし、すぐに顔を上げた。
「命令は命令だ!全員、帰国準備!」
技術者たちの表情が引き締まる。
「それならば、設計図!研究資料!試験記録!」
責任者は次々と指示を出した。
「共和国側の資料を優先的に積み出せ!持ち帰れるものは全て持ち帰る!急げ!」
「はっ!」
研究所内が一気に慌ただしくなる。
書庫から設計図が運び出される。
一号戦車の試験記録。
二号型の基礎設計。
装甲試験。エンジンの研究資料。
共和国側が作成した資料が、次々と木箱へ詰められていく。
そこへ、シア国側の責任者が駆け込んできた。
「待ってください!なぜ突然帰るのですか?」
共和国側責任者は手を止めない。
「本国からの命令です」
「それだけですか?」
「それだけです」
「しかし、昨日まで何も問題はなかったでしょう!」
「我々にも理由は分かりません」
シア国側責任者は困惑する。
「研究はどうするのですか?一号型の改良は?二号型は?」
共和国側責任者は一瞬だけ手を止めた。
共に研究してきた仲間だ。
しかし、命令は絶対だった。
「申し訳ありません。本国からの命令です」
それ以上は何も答えなかった。
共和国側責任者も、分からなかった。
なぜ、これほど突然なのか。
しかも、なぜ外務省経由ではない?
親衛隊から直接?総統は急いでいた?なぜ?
まさか――。
「総統に何かあったのか?」
一瞬、不安がよぎる。
だが今は考えている時間はない。
「積み込め!急げ!国境を越えるまで止まるな!」
「はっ!」
数時間後。
必要な設計図、研究資料、試験記録を積んだトラックが研究所を出発した。
共和国の技術者たちは、その姿を見送る。
「資料輸送班より連絡!」
「第一車列、国境通過!」
「隣国領内へ入りました!」
責任者は大きく息を吐いた。
「……よし」
これで資料は守った。
「我々も出発するぞ!」
「はっ!」
技術者たちを乗せた車両も、次々と研究所を離れていった。
そして――共和国の技術者たちが去ってから、わずか数時間後。
シア国新政権の役人たちが研究所へ到着した。
責任者へ一枚の命令書を突き付ける。
「新政府からの命令です!本日をもって、この施設は政府の直接管理下に置かれます」
シア国側の技術者たちがざわめく。
「直接管理?」
役人は冷たく続けた。
「この施設と研究成果は、今後すべてシア国政府の管理下に置きます。許可なく資料、設計図、研究成果を持ち出すことを禁じます」
シア国側責任者は言葉を失った。
あと数時間……あと数時間、共和国の帰国命令が遅れていたら――。
数日後。
共和国へ帰国した技術者のもとへ、一通の手紙が届いた。
差出人は、共に働いていたシア国の技術者だった。
そこには、新政府の役人が研究所を接収したこと。
施設と研究成果が政府管理になったこと。
外部への持ち出しが禁止されたことが書かれていた。
共和国側責任者は、何度も手紙を読み返した。
「……総統の判断は正しかったのかもしれない」
しかし。すぐに別の疑問が浮かぶ。
「総統は、これを警戒したってことか?」
「でも……なぜ、あのタイミングで?」
新政府の役人が来る、ほんの数時間前。
まるで、こうなることを知っていたかのような帰国命令。
責任者は手紙を見つめたまま、小さく呟いた。
「総統は……何を知っていたんだ?」




