現実という壁
翌朝。総統執務室の扉が勢いよく開いた。
「総統!」
国防大臣が慌てた様子で飛び込んでくる。
「本気ですか!?」
ベレは静かに顔を上げた。
「まだ分かりません。ですが、本気です」
国防大臣は机へ一枚の地図を広げた。
「ランス軍と共和国軍の戦力差をご存じなのですか?」
ベレは押し黙る。
「……確かに。私は何となく、この問題から目を逸らしてきました。軍のことは苦手だからと、避けていた」
少し考え込む。
「でも、それじゃ駄目ね」
いつもの私なら、どうする?まず数字を見る。そして現場を見る。そこから考える。
ベレは国防大臣を見る。
「ちなみに、兵力差は?」
国防大臣は資料を開いた。
「ランス陸軍だけで、百万人以上です。対する共和国軍は、約十万人」
ベレは目を見開いた。
「はい?十倍差?」
国防大臣は静かに頷く。
「しかも、その十万人も全国の国境や主要施設へ分散配置されています。一か所へ集結させることはできません」
ベレは資料へ目を落とす。
「ということは……実際にルー地方へ向けて動かせる兵力は、もっと少ない?」
「その通りです」
その時、ヘルムが口を開いた。
「昨日話した三千人ってのは、そういう意味だ。すぐに動かせる兵力をかき集めても、その程度だ。それ以上集めりゃ、今度は他の国境がガラ空きになる」
会議室が静まり返る。
ベレは資料を見つめ続けた。
「三千人……たった三千人で、百万人以上を相手にする?」
国防大臣は苦しそうに答える。
「正面から戦えば、勝負になりません。しかも、装備は旧式、砲も車両も更新が遅れています。兵士たちも実戦経験は少なく、訓練時間も十分とは言えません」
ベレは拳を握る。
「私が……軍も少しずつ強化していればこんな状況にはならなかったのかな……」
ヘルムは首を横に振った。
「いや総統のせいじゃねぇ。講和条約で縛られた時点で、共和国軍は長い間、身動きが取れなかった。だが、それでも現実は変わらねぇ」
ベレはゆっくり立ち上がった。
「だからこそ私は現実を知らなければならない。兵士がどんな訓練をしているのか。武器はどこまで使えるのか。補給は足りているのか。全部、この目で見ます」
国防大臣は少し安心したように頷く。
「それが一番です」
ヘルムも笑みを浮かべた。
「ようやく軍にも興味を持ったか」
ベレは真剣な表情で答える。
「興味じゃありません。責任です。戦わせないためにも、戦う力を知らなければいけない」
窓の外では、平和な共和国の街並みが広がっていた。
しかしベレは初めて、その平和が決して当たり前ではないことを、数字という現実から痛感するのだった。




