騒擾
書庫へ通う生活が始まってから数日。
私の日課は完全に固まっていた。
朝食。新聞。書庫。昼食。書庫。夕食。
そして新聞。
侍女達からは呆れられている。
妹からは、
「お姉様は本の精霊になってしまったのです!」
などと言われた。意味が分からない。
私は人間である。たぶん。
その日も私は書庫で領地資料を読んでいた。
税収。収穫量。人口推移。地味だが面白い。
数字は嘘をつきにくい。
少なくとも新聞よりは、そんなことを考えていた時だった。
扉がノックされる。
「お嬢様」
侍女だった。手には新聞を抱えている。
「本日の新聞でございます」
「ありがとう」
私は何気なく受け取った。
そして一面を見た瞬間、手が止まった。
『ルーキ軍港にて騒擾発生』
騒擾。私はその文字を見つめる。
続きの記事を読む。
『一部水兵が出港命令を拒否』
『軍当局が速やかに事態を収拾』
『帝国海軍の戦力に影響なし』
私は記事を最後まで読んだ。
そして新聞を机へ置く。
静かに。
「……へぇ」
嫌な予感しかしなかった。
騒擾。
便利な言葉だ。
暴動。反乱。抗議。
その辺りを柔らかく表現できる。
外交官時代にもよく見た。
政府が使いたがる言葉の一つだ。
記事を読み返す。
具体的な人数は書かれていない。
原因も曖昧。被害も不明。
ただ、既に収拾済み
だけが強調されている。
私は苦笑した。
「本当に収拾したなら、そんなに強調しないのよね」
前世でも何度も見た。
『限定的な衝突』『一時的な混乱』『軽微な問題』
そう報道された事件ほど大きくなる。
なぜなら本当に小さな問題なら報道する必要がないからだ。
私は立ち上がり。壁の地図へ近付く。
ルーキ軍港。
数日前に確認した場所だ。
帝国北西部の重要な軍港。
海軍基地。そして海外との貿易港でもある。
私は地図を見つめる。
軍港。水兵。命令拒否。
その三つを頭の中で並べる。
軍隊という組織は特殊だ。
命令で動く。だから強い。
逆に言えば、命令が機能しなくなれば終わる。
私は前世で何度も見てきた。
国家崩壊の前兆を。軍の統制が崩れる。
警察が命令を聞かなくなる。
行政が麻痺する。
そして最後に国家が倒れる。
順番は多少違う。だが大体似ている。
「考え過ぎかしら」
私は小さく呟いた。
一件だけで判断するのは危険だ。
それも理解している。
だがどうしても引っ掛かる。
よりによって軍港だ。
よりによって水兵だ。
しかも出港命令拒否。
普通ではない。
私は再び新聞へ目を落とした。
すると記事の隅に小さな一文を見つける。
『一部労働者による同調行動も発生』
私は目を細めた。
小さい。驚くほど小さい記事だ。
だが私にはこちらの方が重要に見えた。
「同調行動……」
便利な言葉だった。
ストライキか?抗議活動か?あるいは暴動か?
分からない。
だが軍だけでは終わっていないらしい。
窓の外を見る。穏やかな空だった。
ザンフトの笑い声も聞こえる。
屋敷は平和そのものだ。
だが新聞の向こう側では違う。
何かが起きている。
まだ小さい。まだ局地的だ。
火種というものは最初から大火ではない。
私は新聞を畳んだ。
そして地図へ視線を向ける。
ルーキ軍港。
その名前を頭の中で繰り返す。
なぜだろう。根拠はない。
外交官として長年培った勘が囁いている。
これは終わりではない。始まりだ、と。
私は静かに息を吐いた。
そして再び資料へ手を伸ばす。
帝国はまだ立っているがどこかで軋む音が聞こえ始めていた。




