書庫へ
「お嬢様、無理をなさらないでください」
「大丈夫よ」
「全然大丈夫そうに見えません」
「失礼ね」
私は杖を握り直した。
確かに歩みは遅い。だが歩ける。
それが大事だった。怪我から数か月。
ようやく私は屋敷の中を自由に移動できるようになっていた。
そして今日ずっと行きたかった場所へ向かっている。
書庫だ。
廊下をゆっくり進む。
以前は侍女に運んでもらった本を読んでいた。
だが本当に知りたい情報は、あの数冊だけでは足りない。
私は直接見たいのだ。どんな本があるのか。
どんな資料が残されているのか。
それを。
「こちらです」
侍女が重厚な扉の前で立ち止まる。
私は扉を見上げた。思ったより大きい。
古い木材で作られた重そうな扉だった。
「開けますね」
ゆっくりと扉が開く。
その瞬間、私は思わず息を呑んだ。
広い。
予想以上だった。壁一面を埋める本棚。
天井近くまで積み上げられた書籍。
古い紙の匂い。革表紙の匂い。
静寂。
私にとっては宝の山だった。
「これは……」
思わず声が漏れる。
前世でも図書館は好きだった。
だがここは違う。
この世界の知識が詰まっている。
未知そのものだ。
私はゆっくり中へ足を踏み入れた。
本棚を眺める。
歴史。地理。政治。経済。軍事。法律。農業。
工業。
予想以上に種類が多い。
伯爵家の書庫としてはかなり充実している。
やはりシュタインベルク家は名門なのだろう。
私は一冊の本を抜き取る。
帝国地理総覧。以前見た地図より詳しい。
河川。鉱山。港湾。鉄道。
全てが載っている。
「素晴らしいわね……」
思わず呟いた。
外交官時代なら数日籠もれたかもしれない。
だが私は本を棚へ戻した。順番が違う。
今必要なのは知識ではない。
現状把握だ。私は別の棚へ向かう。
領地資料。税収記録。農業報告。人口統計。
その文字を見た瞬間、足が止まった。
「あるの?」
思わず呟く。侍女が首を傾げる。
「何がでしょう?」
「こういう資料よ」
「旦那様が集めておられました」
私は納得した。
父だ。
あの書斎の様子からして不思議ではない。
むしろ当然だった。
私は慎重に資料を取り出した。
少し古い紙。何年分も綴じられている。
税収。農地面積。収穫量。人口。家畜数。
橋の補修記録。道路整備記録。
想像以上だった。
これはもはや領地運営資料である。
私はページをめくる。
そしてすぐに違和感を覚えた。
収穫量、減少。家畜数、減少。
人口、微減。税収、減少。
私は眉をひそめる。
一つだけなら偶然だ。二つでもあり得る。
だが全部となると話は違う。
明らかな傾向だった。
私は次の年を見る。さらに前の年を見る。
比較する。そして確信する。
「落ちている……」
侍女には聞こえないほど小さな声だった。
だが間違いない。
この領地、徐々に弱っている。
窓から差し込む夕陽が資料を照らす。
私は静かにページを閉じた。
新聞では帝国全体の疲弊を見た。
市場では人々の生活を見た。
そして今、シュタインベルク伯爵家の領地そのものが弱っていることを知った。
国家。領地。人々の暮らし。
全てが繋がっている。
前世と同じだ。私は資料の山を見つめた。
「面白くなってきたじゃない」
思わず笑みが浮かぶ。
問題は山積みだ。
だが問題が見えれば分析できる。
分析できれば対策を考えられる。
少なくとも前世の私は、そうやって生きてきた。私は再び資料を開く。
どうやら本当の意味での情報収集は、ここから始まるらしい。




