涙の向こう側
夜更け。党本部は静まり返っていた。
ラインはいつものように夜間警備をしていた。
廊下を歩きながら、自然と一つの部屋へ目が向く。
ベレの執務室。
「……また」
部屋の明かりがまだ点いていた。
ここ数週間、毎晩同じだった。
世界恐慌。銀行。工場。失業者。
次から次へと押し寄せる問題。
そして、徹夜でまとめた提案書は、そのほとんどが政府に却下されていた。
ラインは小さくため息をつく。
お嬢様……まだ、本当の年齢は十二歳。
ふと考える。そういえば……誕生日を聞いたことがありませんでしたね。
誕生日が分からない。
けれど、まだ幼い少女だ。
首都へ来てから一年近く……もう十三歳になっているのでしょうか?
その年齢で国を救おうと毎日机へ向かい続けている。ラインは静かに部屋の前まで歩いた。
扉が少しだけ開いている。
「お嬢様」
声を掛けようとした、その時だった。
「……っ」
小さな声が聞こえた。
「……ひっ……」
シク……シク……
泣いている。ラインは思わず足を止めた。
部屋の中では、ベレが机へ伏せたまま肩を震わせていた。
机の上には大量の資料。
却下された法案。書き直しの原稿。
赤字で修正された資料。
どれも、何日も眠らずにまとめたものばかりだった。
「どうして……どうして誰も……」
小さく漏れる声。
「助けたいだけなのに……皆が苦しまないようにしたいだけなのに……」
ラインは胸が締め付けられた。
それも、そのはずです。
徹夜で考え。必死にまとめ。
ようやく完成した提案。
それが一つ、また一つと却下される。
まだ十三歳にも満たない少女には、あまりにも重すぎる現実だった。
ラインは扉へ伸ばした手を、ゆっくり下ろした。
今は……掛ける言葉が見つかりません。
静かに扉を閉める。
廊下へ戻ると、夜空を見上げた。
「私にできる事は……」
少し考える。
そして、小さく微笑んだ。
「やっぱり、あれしかありませんね」
翌朝。
ラインは誰よりも早く党本部へ来ていた。
机の上には温かい朝食。淹れたてのコーヒー。
そして、新しい便箋と万年筆が静かに置かれていた。
それ以上、何も言わない。
慰めの言葉も掛けない。
ただ、今日も安心して前を向けるように。
私が支える。
それがラインにできる、たった一つのことだった。その朝、部屋へ入ってきたベレは、一瞬驚いた表情を見せた。
机の上を見つめ、小さく微笑む。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉かは分からない。
けれどラインは、廊下の向こうで静かに笑みを浮かべていた。
「お嬢様は、一人ではありません」
その想いだけは、言葉にしなくても、きっと伝わると信じていた。




