窓の外
怪我からさらに一週間が過ぎた。
まだ長くは歩けない。
だが部屋の中だけの生活にも限界があった。
私は侍女に頼み、屋敷の庭へ連れ出してもらうことにした。
久しぶりの外の空気だった。
初夏の風が頬を撫でる。
思わず深く息を吸う。
暖炉の匂いも薬草の匂いもない。
生きた空気だった。
「気分はいかがですか?」
「悪くないわ」
私はゆっくり周囲を見回した。
広い庭。だが手入れは十分とは言えない。
雑草が目立つ。花壇にも空白が多い。
噴水は止まっていた。
本来ならもっと多くの庭師がいるのだろう。
そう思わせる造りだった。
屋敷へ目を向ける。
立派な建物だ。しかし壁には補修跡が見える。
窓枠も一部が古いままだ。
予算不足なのか。
それとも人手不足なのか。
私は無意識に観察を始めていた。
外交官時代の癖は簡単には抜けない。
そんな時だった。
遠くから元気な声が聞こえた。
「ベレお姉様!」
私は振り向く。
金色の髪を揺らしながら、小さな少女がこちらへ走ってきていた。
十歳くらいだろうか。
いや、もう少し幼いかもしれない。
後ろから慌てた侍女たちが追いかけている。
「ザンフト様! 走ってはいけません!」
だが少女は止まらない。
そして私の目の前で急停止した。
「お姉様!」
息を切らしながら見上げてくる。
青い瞳。母親によく似ていた。
ザンフト。
私の妹らしい少女だった。
「えっと……」
どう接するべきか分からない。
妹がいたことなど前世ではない。
私は一人っ子だった。
しかも突然十二歳の少女の姉になったと言われても困る。
そんな私をよそに、ザンフトは目を輝かせていた。
「お外に出られるようになったのですね!」
「ええ……まあ」
「良かったです!」
満面の笑みだった。
その笑顔に打算はない。
純粋な喜びだけがあった。
私は少しだけ戸惑う。
ここへ来てから何度も言われた。
生きていて良かった。
目を覚まして良かった。
だが、こうして真正面から喜ばれると反応に困る。
「心配を掛けたみたいね」
そう言うと、ザンフトは大きく頷いた。
「いっぱい心配しました!」
即答だった。
「お姉様、ずっと起きなかったんです!」
「そう……」
「お母様も毎日泣いていました!」
それは初耳だった。私は思わず視線を逸らす。
少し気まずい。私にとっては知らない家族だ。
だが彼女たちにとって私は間違いなく家族なのだろう。
ザンフトは私の手をそっと握った。
小さな手だった。
「でも、もう大丈夫ですね!」
私は答えに詰まる。
大丈夫かどうかは分からない。
転生した。戦争中の世界だ。
知らない国だ。問題だらけである。
だが目の前の少女の期待に満ちた顔を見ていると。
「ええ」
自然とそんな言葉が口から出た。
「きっと大丈夫よ」
ザンフトは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ながら、私は窓の外ではなく、別のものを見ていた。
守りたいもの。前世では何度も見てきた。
戦争が奪っていったもの。
家族。日常。未来。
もし本当にこの世界で生きていくのなら。
それを失わせない国を作らなければならない。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
まだ何も知らない。何もできない。
それでも――
その第一歩は、案外こんな小さな笑顔から始まるのかもしれなかった。




