第16話 トリフォニアの理想
「王女は…ずっとまえから知ってるんだ。俺がニアを想っていることを」
ルクセインから語られる、王女との関係はにわかには信じがたい話だった。自分が見かけた二人の仲良く語らう姿。その話の内容が、全て自分に関わるものだったとは…。
その言葉に、唖然とするトリフォニア。
「…ルーク?」
「うん?」
「私と…婚約…したいの?」
口にしてから、何とも情緒の無い聞き方だと思った。
しかし、仕方ないではないか。
もう、なぜこうなったのかさっぱり分からない。
侯爵だ。
どんどん出世して、偉業を成し遂げた、もうとっくに手の届かない存在になったと思った初恋の相手が、自分との婚約を望んでいる…。
「最初から、ずっと望んでる。だから、君の理想になるように頑張った。ただ、それだけ。それ以外に、手柄を立てる理由がどこにある?意味が分からない」
いや、意味が分からないのはこちらである。
「監査室で、叫んでいただろ?俺はただの幼馴染だって」
「うん」
「だから、地方図書館の建設案を出した」
何故だ!?何がどうなって図書館が建つのだ。
「ニアの理想は、子供にもやさしい男だろ?だから、子供の事を考えた施策を実行しなければと思った」
私の理想?
私の理想は、互いに想い合う相手と平凡でも穏やかな家庭を築く事だ。
何故、この平々凡々とした娘との婚約の為に、異次元の手柄を立て続ける必要があるのだ。自分は、お姫様でも女王でもない。全くもって、高嶺の花でもない。なにしろ、ルクセインは侯爵なのだ。望めばすぐに、婚約出来ただろう。しかも16歳の夏の日に、断ったではないか、トリフォニアとの婚約を。
そうだ…ルクセインは“保留”と言っていた。
「ねえ…ルーク。婚約の話をした時に、私はお父様に
『婚約は考えられない』と断られたと聞いたの。貴方が乗り気でないのは明らかだったと…」
「…なっ!?」
ルクセインが驚きに目を見開く。
「あれが、断りの理由なわけがないだろ!!
あの時は、まだ伯爵家の次男でそれ以外に何もなかった。学院でトップになる程度だ。
ニアに相応しくなれるように、理想に近づく為にもう少し時間がほしかった。
婚約だけしても、ニアが好きになってくれないと意味ないだろ?だから、婚約は考えられないって言ったの!今はまだって意味で!時期は考えたいって!」
「その、“今は”ってことちゃんと言った!?」
「…いや言ってない。けど、婚約するのは共通の認識だと思ってたから、それで分かるかと…」
「…言葉足りなさすぎだし。そもそも、私の理想って何よ。私そんなに高望みしてないよ?そりゃ、お見合い相手は好条件だけどさ…」
「…は?」
その言葉に、ルクセインが衝撃を受ける。
「充分に、高望みしてるだろ。…え?あれで一般的なつもりなの?なのに、あんな奴らとお見合いしたの?…確かに優秀だったし、今のポジションはもったいないと昇進させたけど」
ルクセインはボソボソひとり言のように呟いている。
が、ちょっとまて。
情報量とツッコミどころが渋滞している。一つ一つ精査せねばならない。
まず、初めにだ。
「…もしかして。昇進の女神って私じゃなくて、ルークだったの…」
なるほど繋がった。彼の立場なら可能だろう。
「…昇進の女神…何だそれは」
「私のお見合い相手がことごとく、短期間で昇進したから!一緒にお茶飲むだけで昇進するとか言われ出したの!!」
「…………」
ルークは無言で暫し考える。
「ダメだろう、俺のニアとお茶するなんて。俺だってしたいのに。よし、後でそんなバカなことを言ったやつらを調べておく」
「…ルーク調べなくていいから」
ルクセインの目が据わっている。危険だとトリフォニアは判断した。
「私のお見合い相手調べて…昇進させて引き離したのね?」
「一番角がたたないかなって。だって、ニアの理想に程遠いし。なのに、払っても払ってもお見合い話が湧いてくる…ニアが魅力的なばっかりに…」
ルクセインは、真剣な顔で思い悩む。
「いや、“だって”じゃないし。そもそも高望みなんてしてないのに」
トリフォニアは呆れたようにため息を吐く。
「誠実で真面目で、私のことを大切にしてくれる人なら、それで十分よ。そんなにハイスペックじゃなくてもいいの」
「なっ!?」
ルクセインは雷に打たれたように固まった。
「俺、かなり頑張って今の地位まで来たんだよ!?」
「え?」
「でも、ただの幼馴染としてしか見られない。男として見てくれない。だから、お見合い相手を探してるんじゃないのか?副宰相じゃなくて、やっぱり王子じゃないとダメなのか…」
ルクセインは、はっとしたように目を見開いた。
「王子は無理だが……いや、国王なら――」
何やら不穏な気配を感じて慌てて止める。
「だから!なんで、そんな勘違いしてるの!」
「勘違いじゃないよ。ニアがそう言ったんだ」
ルクセインは、胸ポケットから一冊の本を取り出す。
「え…これ…」
トリフォニアは驚いた。幼い頃の愛読書だ。
この物語の王子様に憧れた。将来は、この王子様みたいな人と結婚したいと思った。何でもできてかっこよくて、いつでもお姫様のピンチに駆けつける。 実際、大人になれば分かるのだが、こんな人物は実在しない。
なぜこの本が、ルクセインの懐から出てきたのかはこの際不問としよう。
「ニアが言ったんだ。将来は、この王子様みたいに格好良くて、誰にでもやさしくて、なんでも出来て、強くて、賢くて、いつでも助けてくれる人と結婚したいって…」
言った…確かに言った。
「いや…でも分かるでしょ?普通こんな人いないよ。そんなの、子供の頃なら誰でもいうでしょ?こんな、何でもこなせちゃう人間…実在するわけが…」
はたと気づく。
ルクセイン・アルコイリス―
容姿端麗、温厚で誠実。条約の締結・財政の立て直し・貧民救済・和平交渉・学力向上などの数々の案を成し遂げ、王国に必須の存在。自力で叙爵し伯爵家の次男から侯爵にまで登り詰めた逸材。因みにあまり知られてないが、剣術もかなりの腕前だ。
「いた…」
トリフォニアは呆然と呟いた。
「ルークだわ」
「……え?」
「格好良くて、優しくて、賢くて、なんでも出来て……いつだって助けてくれる人」
トリフォニアは、目の前の青年を見つめた。
幼い頃に思い描いた理想の人物像。
そんな人、現実にはいないと思っていた。
でも――
「全部、ルークじゃない」
沈黙が落ちた。
「俺?」
信じられないというように、ルクセインが目を見開く。
トリフォニアが頷く。
「じゃあ、俺ニアの理想になれてる?」
「…というか。超えてる。理想以上になってる」
ルクセインが―――喜びに泣いた
「……よかった」
安堵したように笑う。
そのままトリフォニアへ手を伸ばす。
腕の中へ閉じ込めようとした、その瞬間
コンコン
「フェリシア伯爵令嬢、お迎えの馬車が参りましたが」
ルクセインは、能面のような顔になった。




