たとえすべてを失ったとしてもー前
その日、会議室でサイバー技研社長、弟切直人は、信じられない報告に椅子から腰を2センチほど浮かせた。
「海底ケーブル内の伝送路にワームホールが出現、12本のケーブルの内3本が使用不能」
これが何を意味するか、分からないでか。
日本国から外と通信する場合は日本海、太平洋の海底に埋められた通信ケーブル、通称「海底ケーブル」を通ることになる。そこを12分の3ほども断線されれば……。
間違いなく通信パケット過多でパンクするだろう。
日本の通信は海底ケーブルのみに依存している。そのため、どうする?どう考えても、手はない。
現在深夜12時、AI研究所は代替案を出してきた。
しかしそれは信じられないものだった。
「宇宙通信に切り替えて、失った伝送路分のパケットを『宇宙経路』に流す。サイバー技研に許可願う」
だった。
海底がダメならもう宇宙経路しか残されていない。
それは分かる。しかし……。
『許可する』即決した後、オトギリは続ける。
「しかし、宇宙通信では、演算回路の負担が激増する。数日も持たない」
場合によっては数日どころか……。
きっぱり言うオトギリに、緊急通信回線の向こうでAI研究所の会長、凛子は無言だ。
オトギリはため息をつく。
一言でいえばオトギリにとって凛子はいけ好かない女だ。神経の細かいオトギリと、この上なくのんびりした凛子では馬が合わないのだ。
「しかし当面はこれしかない。まぁなんとかするさ。感情自律AIを任務から2体解放した。ルート演算のインプット中だ。実行は、あとはあんたの許可だけだよ、直人」
例によってのんびり答える凛子。オトギリはため息をつく。
「……大丈夫なんでしょうな」
そうつぶやいた後、はっとした。
3日後には国際エクスポ2050の閉幕式がある。
閉幕式では通信量は普段の2倍程度になるだろう。
残容量と予測必要数を瞬時に頭の中で計算してみる。
宇宙通信で1日はなんとか……といったところだろうか。
しかし、雨が降った場合、災害の危険が出てくる。災害が起これば通信量は飛躍的に跳ねあがる。持たないかもしれない。
凛子もとっくに気づいているようだ。同じ顔をしている。
「困ったよねぇ」
「そんな悠長な……」
言いかけてオトギリは息をのむ。言っても凛子は天才だ。今まで、このような回答を聞いたことがあったか?
まじまじと凛子の顔を見る。
「いいかい。AI研究所は現在、事件の経緯、犯人の意図、および復旧方法を追っている。その片手間で宇宙通信の演算研修をはじめている。正直言おう、これ以上は無理だ。AI研究所の規模的にな」
オトギリは息を飲む。よく聞けば、異常に疲れた声だ。
「そんなにまずい事態なのか……」
「ああ、やばい。この3時間で調べた内容について後で共有する。やばいやつだぞ。私の勘だが、個人が起こす規模の犯罪ではない」
そんな真剣な表情の凛子を見たことがないオトギリであった。
凛子は続ける。
「いいか。1日、だ。なんとか1日は持たせる。その間に、宇宙通信を数日持続する方法を、考えてくれ。頼むよ」
「わかった……。そちらはサイバー技研が受け持とう」
通信を切った後、続々と資料が届き始めた。しばらく目を通していたオトギリは、静かになった部屋で空を仰いで考えこんだ。
通信断は絶対にダメだ。
人命に直結すると骨の髄までしみこんでいる。
5分もそうしていただろうか。
心配になった秘書の澤が声を掛けようとした、そのとき、オトギリは重い口を開いた。
「……澤くん。総務省長官の相澤氏に連絡してくれ。政府専用機を手配するように官邸に働きかけてくれと。あと、長官には同行してもらうことになる」
有能な秘書にそう告げると、オトギリは出発準備に取り掛かった。
2030年のあの日、弟は変圧室の非常閉鎖壁の前で死んだ。
遺体は残っていない。
非常閉鎖壁はエンダーによって壊されており、封鎖できず非常壁の体をなしていなかったが、最後までそこを封鎖しようとした跡があったと説明を受けた。
涙は流さなかった。
「託された」と思った。「これからは私が代わりに守るよ」と呟いていた。
それはそのまま彼のポリシーになった。
窓の外を見る。
これほど、明日が晴れていてくれと願ったことはない。
オトギリは即日、中国の深圳に立つことを決めた。




