わたしの母の見舞いに行く 後半
受付を済まし、3階の1室にある母の部屋にエレベータを使い行った。
エレベーターは、入居者が勝手に外に出ないためだろう。暗証番号がないと
下に降りることができないようになっている。
前回は、夕方に着き、他の入居者とテレビを見ていたが、今回は、部屋にいた。
昼寝していたが、声をかける幸い起きてくれた。
母親は、突然の訪問に喜び、「秀忠」にも気が付いた。
母親「嘉子」は、「秀忠」が、心配したような彼のことを認知症のために
忘れていることはなく、覚えていた。以前、亡き「久敏」が、変わり果てた
様子で、あんなに可愛がっていた「秀忠」を認知症で忘れていたことを
恐れていたのだった。
わたしは、まず、前回、渇望していた「炭酸飲料」をあげた。
前回、「清涼飲料」を欲しがっていたことを「雄二郎」に伝えてから、
2週間に一度位行く、「雄二郎」から、飲み物はもらっているはずだ。
母は、前回、訪れたときと同様に元気で、痛いところもない。
これで、骨のがんで、余命1年ないとは、言われなければわからない。
ただ、足腰は、弱っていて、移動には車いすが必要で、相変わらず、
耳が遠いので、近づいて大声で話さないと聞こえない。
飲み物を飲んだ後は、写真撮影だ。3人とも、スマホを使って、母親と
一緒に思い思いに撮った。
そのあとは、「よく来たね。びっくりした。うれしい」と何回も言った。
わたしは、携帯電話があったため、一番親しい妹と最近話したかと聞いたが、
的を得た返事は、帰ってこなかった。彼女は、福岡に住んでいて、
健康である。昨年、「ショートステイ」で、入所したとき、「会いたい」と
言って、電話して、急きょ、お見舞いにきたが、母親は、そういったことを
覚えていなかった。あまり、会っていない人のことは、忘れてしまった
のだろうか。「秀忠」とは、1年半位ほど、一緒に生活をし、何しろガタイが
デカいので、覚えていたのか。
母親は、時期に家(稲城のマンション)に帰る予定だと、前回、同様に
言った。今は、そのマンションは、詳しくは知らないが、「雄二郎」所有の
物であったが、既に他人の手に渡っていることだ。ただ、がっかりするので、
言わないでくれと「雄二郎」から、言われている。
父親も、脱走を企てるほど、病院から家に帰りたがっていた。
わたしも、恐らくそうなるであろう。
名残は惜しかったが、椅子が一つしかなかったためもあり、その椅子は、
「良子」が座り、「秀忠」と「わたし」は、少々、立っているのに疲れたこと
もあり、お暇することにした。母親は、壁伝いに歩いて行ったが、
すぐ、施設の人が気が付き、車椅子で、エレベータで見送った。
次は、「秀忠」のアパートを引き払った後の6月下旬くらいか?
果たして、そのときの母親の様子は、どうなっているのだろうか。
「良子」は、帰宅




