第百十一話 用意された計略
樫山家が裕福な家で、資産も潤沢に有していることは美咲から繰り返し言われていたため俺も知ってはいたが、父が早々に断りの返事を入れている中で、安い買い物ではないマンションや家具を用意するなど常識では考えられず、俺は黒木弁護士の話から、母は初めから狙われて完全に嵌められたのだと確信し苦々しい思いで溢れ返りそうだった。
それでも、黒木弁護士に俺の感情を悟られて付け込まれることは避けなければいけないと自分を戒め、俺は何も知らない振りを装い黒木弁護士に問い掛けた。
「それは、どういうことなのでしょうか」
「あなたのお母様は、美咲さんに向かって孫が生まれるのを楽しみにしていると、生まれたら、ぜひ孫を抱かせて欲しいと言って念書を差し出したのです。美咲さんは、とても喜んでいたのですよ。それこそ、あなたのお母様の言葉が、取り消されることがあるとは夢にも思わないほどに喜ばれましてね……」
母はそんなことまで言っていたのかと、内心で舌打ちしていた俺の心の中を見透かしたように父が黒木弁護士の話を遮った。
「その話は、尚哉の与り知らないものです。前にも話しましたが、ご迷惑をお掛けしたことについては重々お詫び致します。私共でできる範囲で弁済もする……」
「ちょっと待って下さい」
父が口にした『弁済』という言葉を聞いて、俺は酷い違和感を覚え咄嗟に父の話を止めた。
「私には初めて聞く話ばかりで、事情が呑み込めていません。何があったのか知るためにも、両親から話を聞く必要があるようですので、時間を貰えませんか」
「そういうことでしたら、今この場で私の方から事情を説明することも、吝かではありませんよ」
俺は何がどうなって、父が弁済の話を口にしたのか理由が分からず、たとえ、それが母の念書を根拠として樫山専務がマンションや家具を購入したことに対するものだとしても、話の筋が違うのではないかと思え両親と早急に話し合う必要性を感じた。
しかし、時間が欲しいと言った俺に対して返した黒木弁護士の言葉で、父もまた、そうとは察せられないよう巧みに黒木弁護士に誘導されたのではないかと疑念が沸き、両親から黒木弁護士を引き離さなくてはと考え言葉を重ねた。
「第三者を交えず、私たちだけで本音の話し合いをしたいと思いますので、今日のところは、これでお引取り下さい」
『帰れ』と言われた黒木弁護士は、眼鏡の奥の目を僅かに細めて威圧するように俺を見据えてきたが、俺は一歩も退く気はなかった。
「分かりました。今日は、これで引き上げることにしましょう」
少しの間の後、先に視線を逸らした黒木弁護士が『帰る』と言ったことで俺が気を緩めた瞬間、黒木弁護士は何気無しに言葉を続けた。
「春には、賑やかな声が、この部屋にも響き渡ることで……」
「お引取り下さい」
春には美咲の子供が生まれることを、言の葉に載せた黒木弁護士に語気を強めて再び『帰れ』といった俺に、念書のコピーを手渡し『よくよく考えるように』と言葉を残して黒木弁護士は席を立った。
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