第百四話 森山法律事務所
今週もよろしくお願いします。
森山法律事務所は、大通りから中に入った昔ながらの個人商店が並ぶ通りにあった。
そこは、花屋や床屋、手芸品店や甘味処などの商店と一緒に酒屋として営まれていた場所だったが、経営者夫婦が高齢化し後を継ぐ者もいないということで、自分たちが元気に動き回れるうちに故郷へ移り住みたいと売りに出されていたものを、達雄先生が買い取り改装をして事務所として使っていた。
タクシーから降りて森山法律事務所の入口のドアを開け中へ入ると、達樹が事務所の奥にある階段を指して二階で待っているように言った。
元々の建物の造りは一階が店舗で二階が住居となっていたようだが、今は一階が事務所で二階の住居部分は水回りとトイレを改修し、今でも住居として使えるようになっていた。
階段を上って中に入ると、そこは畳が敷かれた和風の居間でソファセットと広いテーブルと大画面のテレビが、その存在を主張するアンバランスな感じのする部屋だった。
居間を通り抜けて隣の台所へ行きコーヒーを淹れ、ソファセットに座って達樹を待った。
部屋に入って来た達樹に、俺が用意したコーヒーを飲みながらどうしたのかと問われた俺は、口で説明する気になれずICレコーダーを再生して樫山専務との会話を聞かせた。
監査委員会へ訴え出ることを決めた後も、実際に行動を起こすまでに時間があったため達雄先生と達樹と一緒に話し合い、樫山専務や美咲との会話をまだ当分の間は録音し続けることになっていた。
「なるほどな。樫山専務は、相当に焦っているようだな」
「樫山専務の家で一緒に住むなど、冗談でも笑えやしない」
置いてきぼりを食らい心に傷を負った美咲を癒すために、樫山専務一家と一緒に住むように迫る樫山専務と俺の会話を聞き終えた達樹が素直な感想を言ったが、俺は改めて聞いても俺に非があるとは思えなかった。
「これは、チャンスかも知れない」
「チャンス」
「上手く事を運べば、マンション『イリス』から出られるかも知れない、ということだ」
マンション『イリス』から出られると聞かされ、唸りを上げて燃え盛っていた怒りの感情が鎮まりかけたが、難しい表情で何か考えている達樹の様子に喜べる話ではないのかと新たな不安が沸いた。
達樹の考え事を邪魔しないように問いたい思いを抑えて待っていると、少しの間の後、達樹はゆっくりと息を吐き出した。
「黒木弁護士と、話し合う必要があるな」
達樹の口から発せられた『黒木弁護士』という言葉に、俺は込み上げてくる苦い思いを噛み締めた。
梨奈へ贈る指輪を注文した翌日、終業時間の十分前に母から俺の携帯電話に電話が入った。
「尚哉。仕事が終わったら、すぐに家に帰って来なさい。いい、すぐよ。すぐ」
「えっ……、あ……、ちょっ……」
自分の言いたいことだけを言うと電話を切ってしまった母に、俺は呆気にとられてしまっていた。




