来ないときの知らせ
隊商の荷車が着いたのは、昼をだいぶ過ぎてからだった。
本当なら朝のうちに着くはずだったらしい。途中の橋で車軸が一本折れて、付け替えに半日かかったのだという。北門の荷揚げ場には、待ちくたびれた荷役たちが日陰でごろごろしていて、荷車の列が見えたとたん、全員がうめき声を上げながら起き上がった。
「よし、全部下ろすぞ! 今日中に倉へ入れなきゃ、明日の市に間に合わん!」
荷役頭のガストンさんの声は、相変わらず門の外まで届く大きさだった。
荷車は六台。麻袋の塩、樽の油、木箱に詰めた陶器。陶器は割れ物なので二人一組で運べと言われた。俺は塩袋を両肩に一つずつ担いで倉と荷車を往復しながら、太陽の位置を見上げた。
今日は、エッダさんの家を訪ねる日だ。夕方、日が屋根にかかる頃から、晩ごはんの前まで。いつもの許可の時間だった。
六台分を下ろして倉へ積むまで、どう見積もっても日暮れまでかかる。
途中で抜けることもできる。ガストンさんは怒鳴るだろうが、たぶん止めはしない。でも、半端に抜ければ、その分を誰かが余計に担ぐことになる。荷車が遅れたのは誰のせいでもないし、俺がこの仕事を続けていられるのは、ガストンさんが「あいつは最後までやる」と思ってくれているからでもある。
じゃあ、ミアのほうはどうする。
何も言わずに行かなければ、ミアは待つ。窓から坂の下を見て、待つ。日が沈んでも来なかったら、何を考えるだろう。
考えたくなかった。
*
「ガストンさん、少しだけ抜けていいですか。伝言を一つ、頼みたいんです」
塩袋を積み終えたところで声をかけると、ガストンさんは眉を上げた。
「誰か待たせてんのか」
「九歳の子です」
「……ああ、例の。トビ!」
ガストンさんが荷揚げ場の隅に向かって怒鳴ると、日陰で縄を巻いていた少年が跳ね起きた。十一、二歳くらいの、使い走りの子だ。
「東区の、鈴蘭通りの坂の途中、エッダさんって人の家だ。分かるか」
「元書記さんの家? 分かる。梨の木のとこ」
トビが言った。この町の子供の地図は、俺よりずっと詳しい。
「今日の夕方、行けなくなった。仕事が日暮れまで延びた。明日の昼、行ってもいいか聞いてきてほしい。……それと」
俺は少し迷ってから、荷揚げ場の帳場で使い古しの紙切れを一枚もらった。炭筆を借りる。
縦の線を一本。くるん、ふわ。
二つの字を書いた。おととい、ミアに教わった、俺の名前だ。跳ねは今回も長めだった。
「これを、エッダさんに渡して。俺からの伝言だっていう印に」
知らない子が「ユウさんが来られないって」と言いに来ても、エッダさんならまず相手を確かめるだろう。俺の字は下手だが、少なくとも俺にしか書けない下手さだ。
トビに二銅貨を渡すと、少年は紙切れを握って走っていった。走り方が速い。あの子のほうが、俺より伝言に向いている。
俺は荷車へ戻って、油の樽に手をかけた。
*
トビが戻ってきたのは、四台目の荷を下ろしている途中だった。
「伝えたよ。エッダさんが、明日の昼の鐘のあとならいいって。それと、これ」
少年が差し出したのは、俺が渡した紙切れだった。
裏返すと、何か描いてあった。
上のほうに、丸い太陽。光の線が何本も出ている。その下に、黒く塗りつぶした狐が一匹。尻尾が、胴体の二倍くらいある。
その脇に、細く整った字で一行、何か書き添えてあった。こっちは、たぶんエッダさんの字だ。俺には一文字も読めない。
「何て書いてあるか、分かるか」
「分かんない。でも、エッダさんが言ってた。『本人が読めないから、言っておいて』って」
トビはもったいぶって咳払いをした。
「『了解しました。こちらは豆を剥いています』だって」
豆。
伝言の返事に、わざわざ豆の情報を添える意味はよく分からなかったが、なぜか肩の力が抜けた。向こうは向こうで、普通に夕方を過ごしている。
「それと、狐を描いたのは、女の子。尻尾をいっぱい塗ってた」
だろうな、と思った。
紙切れを畳んで、腰の小銭袋の中へしまった。油の樽を二人がかりで担ぎ上げる。向かい側を持った荷役が、俺の顔を見て妙な顔をした。
「何だ、にやにやして」
「してません」
「してるよ」
してたらしい。
最後の木箱を倉に入れたのは、日が沈みきって、北門の篝火が焚かれた頃だった。ガストンさんは延びた分として八銅貨を上乗せしてくれた。
*
翌日、昼の鐘が鳴り終わったところで、俺はエッダさんの家の門を叩いた。
扉を開けたのはミアだった。エッダさんが後ろの廊下に立っている。
「昨日はごめん。荷車が橋で壊れて、着くのが遅れたんだ。全部倉へ入れるまで、日暮れまでかかった」
先に、何があったかを話した。言い訳を並べたいわけではなかった。ミアが知りたいのは、たぶん俺がどれだけ悪かったと思っているかより、何があったかのほうだ。
ミアは黙って聞いていた。それから、言った。
「絵、わかった?」
「太陽と、狐」
「お日さまがいちばん上のとき、来てねって意味」
「昼の鐘のあと、だろ」
「ちがうよ。お日さまがいちばん上のとき」
同じことだと思うのだが、ミアの中では違うらしい。たぶん鐘より太陽のほうが正確だ、という主張なのだろう。今日の空は晴れていて、太陽は確かにいちばん上にいた。
「しっぽ、大きすぎなかったか」
「ちょうどいいよ」
ミアは真顔だった。あの尻尾が、ミアの目から見た俺の尻尾の大きさらしい。実物より二割は盛られている。
「昨日ね、ちょっとだけ待ってた」
ミアが言った。
「でも、トビが来たから、待つのやめて、エッダさんと豆むいた。いっぱいむいた。今日のお昼、その豆」
台所から、豆を煮る匂いがしていた。
「それでね。次は、いつ?」
ミアは、まっすぐ聞いた。
「明日の夕方。明日は仕事が午前で終わる日だから、遅れない。もし遅れそうなら、また知らせる」
「また、字で?」
「字で」
ミアはうなずいて、廊下のエッダさんを振り返った。
「明日の夕方だって」
「聞こえたよ」
エッダさんが言った。それから俺のほうを見て、ほんの少し口の端を上げた。
「ユウさん。あの字、跳ねが長かったね」
あの一行の返事に、豆以外のことも書いてあったのかもしれない。読めるようになったら、確かめてみよう。
紙切れは、まだ小銭袋の中にある。




