自分で選ぶ靴
素焼きの器は、井戸でよく洗ってから返した。
エッダさんは受け取った器を光にかざして、裏まで見てから棚へ戻した。トマさんが葉の裏を見る手つきに、どこか似ていた。
「さあ、行こうか。荷物持ちさん」
渡された籠は空だった。空の籠を持って歩く荷物持ちは、まだ荷物持ちとは言えない。ミアはエッダさんの隣を歩き、古い靴の踵が石畳でぱかぱかと鳴った。
職人通りの靴屋は、間口の狭い店だった。中に入ると革と蝋の匂いがして、壁一面の棚に大小の靴が並んでいる。奥の作業台では、白い眉の長い爺さんが、靴底に小さな釘を打っていた。
「子供の、普段履きを」とエッダさんが言った。
爺さんは釘を咥えたまま顎で右の棚を指した。
*
右の棚を見た瞬間、俺の中の受発注担当が目を覚ました。
耐久性。価格。修理のしやすさ。前の会社で、取引先の作業靴をまとめて仕入れたことがある。あの時は、とにかく底の厚さと縫い目の数を見ろと先輩に教わった。
棚の真ん中に、焦げ茶色の革の、足首まで覆う深い靴があった。底が厚い。縫い目が二重になっている。爪先に補強の革まで当ててある。
「これがいいと思います」
俺は手に取って、エッダさんに見せた。
「底が厚いし、縫いがしっかりしてる。森の道でも石畳でも長持ちします。足首まであるから、捻りにくいし」
エッダさんは「そう」とだけ言った。ミアは、俺の手の中の靴を見上げた。
「はいてみるかい」とエッダさんが聞いた。
ミアはうなずいて、木の腰掛けに座った。古い靴を脱ぐと、靴下の爪先に小さな穴が開いていた。焦げ茶の靴に足を入れ、紐を締める。立ち上がって、一歩、二歩。
歩き方が、ぎこちなかった。
重いのだと思う。踏み出すたびに、爪先が少し遅れて持ち上がる。それに、足首の上の縁が当たるのか、ミアは歩きながら一度だけ顔をしかめた。
「どうだい」とエッダさんが聞いた。
「……だいじょうぶ」
ミアはそう言った。言いながら、目は棚の別のところを見ていた。
エッダさんは何も言わずに待った。俺も、さすがにここで「丈夫だから慣れる」とは言えなかった。
爺さんが、ようやく釘を吐き出した。
「そりゃ樵の家の子が履くやつだ。山道を毎日歩くなら別だがね」
樵の家の子用だったらしい。俺の仕入れ基準は、この店では山向けだった。
「ほかに、はいてみたいのはあるかい」とエッダさんが聞いた。
ミアは少し迷ってから、棚の下の段を指さした。
「あれ……はいてみても、いい?」
浅い靴だった。足の甲を一本の革帯で留めて、横に小さな木のボタンがついている。色は、若い葉のような明るい緑。梨の木の、新しく出た葉の色に似ていた。
ミアはそれを履いて、ボタンを留めて、立ち上がった。
爺さんが作業台から立ってきて、ミアの爪先を親指で押した。指一本ぶん余っている、ちょうどいい、と短く言った。
一歩目から、さっきと違った。踵が浮かない。足首が自由に動く。ミアは店の中を端から端まで歩いて、くるりと回って、また戻ってきた。
「これ、足が、かるい」
それから、声を小さくした。
「それに、色が、すき」
エッダさんは爺さんに、底の厚さを聞いた。爺さんは、普段履きなら二年はもつ、足が大きくなったら一度だけ縁を伸ばしてやれると言った。エッダさんはうなずいて、値段を聞いた。五十二銅貨。神殿から預かっている保護費の袋から、エッダさんが払った。
俺は腰の小袋に手をやりかけて、やめた。これは、ミアの暮らしのために神殿から預かったお金で払うものだ。俺が横から出せば、靴に余計なものがくっつく気がした。
焦げ茶の靴は、棚に戻した。
「ごめん。俺、先に決めてたな」
ミアは緑の靴を見下ろしたまま、首を横に振った。
「ユウのも、かっこよかった。……おもかったけど」
最後の一言が正直すぎて、爺さんが鼻で笑った。
*
店を出ると、ミアは石畳の上で立ち止まった。
一歩踏み出す。こつ、と乾いた音がした。古い靴のぱかぱかとは違う音だった。
もう一歩。こつ。
それから、ミアは両足を揃えて、ぴょんと小さく跳んだ。着地した足元で、緑の靴が揃って鳴った。
自分でも驚いたみたいに足元を見て、それから、俺とエッダさんのほうを振り向いた。何も言わなかったが、言わなくても分かる顔だった。
脱いだ古い靴は、爺さんが紙で包んでくれた。
「それ、捨てる?」と俺が聞くと、ミアは包みを見つめて考えこんだ。
「あんたが決めていいんだよ」とエッダさんが言った。
ミアは長いこと考えて、答えた。
「お庭用にする。豆の畑に入るときに、はく」
エッダさんは「それはいいね」と言った。俺は、なるほど、と思った。俺だったら捨てるか、捨てないかの二つしか考えなかった。
片方は、林道の泥の中から拾い上げた靴だった。泥だらけの足を押しこんで、あの日ミアはこれで歩いた。それが今度は、豆の畑に入るための靴になる。
市場では、エッダさんの言ったとおり荷物が多かった。芋、玉葱、塩、蝋燭、裁縫用の糸、ミアの新しい靴下を二足。籠はすぐに一杯になり、俺は籠を片腕に、麻袋をもう片方の肩に担いだ。荷物持ちとしては、ようやく本領だった。
ついでに、ミアが抱えている古い靴の包みにも手を伸ばした。
「それも持つよ」
「これは、わたしが持つ」
ミアは包みを胸に寄せて、半歩さがった。重いものではない。重くないから、自分で持ちたいのだと思う。伸ばした手の行き場がなくなって、俺は麻袋の紐を握り直した。
「荷物持ちさん、塩が落ちそうだよ」
エッダさんに言われて籠を見ると、塩の包みが端からはみ出していた。持つと言った荷物を落としかけているのだから、世話はない。
帰りの坂道で、ミアは俺たちより少し先を歩いた。こつ、こつ、と靴が鳴る。ときどき水溜まりの跡をよけて、ときどきわざと踏んでみて、そのたびに足元を確かめている。
坂の途中で、ミアが振り返った。
「ユウ。これ、なんの色に見える?」
緑の爪先を、片方だけ前に出している。
「……梨の葉っぱ」
ミアは目を丸くして、それから、ちょっとだけ悔しそうな顔をした。
「わたしが言おうと思ってたのに」
こつ、と踵を鳴らして、ミアはまた先を歩きだした。




