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『凪の海に、まだ陽は沈まない』  作者: 鷹司 怜


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第六章 祖父の罪

「……俺を?」


遼の声は、自分でも驚くほど掠れていた。


女は階段の途中で止まり、黒い空洞のような目を向けている。


いや。


“目がない”のに、確かに見られていた。


地下室の空気が凍る。


海水が微かに揺れ、腐った潮の匂いが濃くなる。


佐伯が叫んだ。


「耳を貸すな!!」


だが女は、まるで佐伯など存在しないかのように遼だけを見つめていた。


「あなたが……最後」


女の口が裂ける。


「恒一さんの血」


遼の背筋を冷たいものが走った。


祖父の名前。


なぜ知っている。


その瞬間、女の身体がぶれた。


次の瞬間には、遼の目の前に立っていた。


「っ!?」


速すぎた。


逃げる間もない。


濡れた髪が遼の頬に触れる。


海の臭い。


腐敗臭。


女の口が耳元で開く。


「沈めたの」


心臓が止まりそうになる。


「みんなで」


地下室の灯りが激しく点滅した。


遼の脳裏に、突然知らない光景が流れ込む。


夜の海。


濃霧。


揺れる漁船。


怒鳴り声。


男たち。


そして――


白いワンピースの女が、船の上で泣いている。


『やめて!!』


誰かが腕を掴む。


女が海へ落ちる。


暗い海面。


伸ばされた手。


助けを求める声。


しかし。


誰も助けない。


海が閉じる。


沈む。


白い服だけが闇へ消える。


「――あッ!!」


遼は悲鳴のような声を上げ、膝をついた。


頭が割れそうに痛い。


呼吸ができない。


澪が駆け寄る。


「遼さん!」


女はもう数歩離れた場所に立っていた。


静かに笑っている。


「思い出して」


「やめろ……」


「あなたのおじいさんは」


女の声が低く響く。


「私を見殺しにした」


佐伯が怒鳴った。


「違う!!」


地下室が震える。


佐伯は濡れたまま女を睨みつけた。


「お前は自分で飛び込んだんや!!」


女の笑みが消えた。


空気が一変する。


温度が下がる。


海水がざわめく。


「……嘘」


女の髪がふわりと浮いた。


風もないのに。


「嘘」


声が重なる。


一人ではない。


地下室の四方八方から同じ声が響く。


「嘘嘘嘘嘘嘘嘘――」


壁を叩く音。


水音。


誰かの泣き声。


澪が耳を塞いでしゃがみ込む。


佐伯が遼へ叫んだ。


「上へ行け!!」


次の瞬間。


地下室の壁が、内側から膨らんだ。


まるで向こう側に巨大な何かがいるように。


ミシ。


ミシミシ。


岩壁に亀裂が走る。


海水が噴き出す。


女が笑った。


「まだいるの」


壁の向こうから。


ザン!!


巨大な音と共に岩壁が破裂した。


黒い海水が雪崩れ込む。


その中に、“それ”がいた。


巨大だった。


魚のような鱗。


だが形は歪で、人の腕のようなものが無数に絡みついている。


白い顔が幾つも埋まっていた。


泣いている顔。


叫ぶ顔。


溺れる顔。


それらが一斉に口を開く。


『カエセ』


遼は凍りついた。


海そのものが怨念になったような化け物。


澪が泣き叫ぶ。


「なに、あれ……!」


佐伯の顔から完全に血の気が消えていた。


海鬼うみきや……」


「海鬼?」


「昔からおる……この海の底に」


怪物が地下室へ身体をねじ込む。


壁が砕ける。


海水が渦巻く。


その中心で、白い女――美咲が静かに立っていた。


「連れていく」


彼女は遼を見た。


「今度は、あなたを」


怪物が腕のようなものを伸ばす。


遼は後ずさる。


その瞬間。


佐伯が遼を突き飛ばした。


「走れぇ!!」


海鬼の腕が、佐伯の身体を貫いた。

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