第82話 宰相曰く『自重せよ』
皇帝崩御以来『帝国宰相』は実権を失った名誉職となってしまっている。
宰相が皇帝直属の臣下であり、その皇帝が不在である以上、致し方ないことではある。
しかし、『腐っても鯛』という諺があるように宰相は宰相だ。
彼の職権には帝城を警護する近衛兵団の統括も含まれている。であるからして、グスタブ卿がこの兵舎に現れることそのものはおかしなことではない。
おかしなことではないのだが――、
「いやはや、申し訳ないことをした。このように君を連行するなどあるまじきことだ」
対面に腰かけたグスタブ卿は髭を撫でながら『申し訳ない』と繰り返す。
自分の統括する組織の人間がオレに迷惑をかけたと言っているわけだが、それがどこまで本心かはオレには計れない。
グスタブ卿とはそれなりに付き合いがある。それどころか、前回の『槍の冠』の事件においては口封じされないように彼の身柄を確保し、命を救ったのは我々第一皇統派だ。
その意味では彼には貸しがあり、オレに対して好意的である可能性は高い。
しかし、彼は帝国宰相だ。
例え命の恩人であったとしてもそこに利があると判断すれば売り飛ばすくらいでなければ位人臣を極めることなどできはしない。
油断はできないし、味方と考えるのは早計だ。
「ええ。まったくです。自分はともかくヘズメル家の方々にはお心配りがあってしかるべきでしょう」
なので、ヘズメル家には宰相府からわびをしておいてくれ、と釘を刺しておく。
実際、今回の騒動においてジークリンデの次に迷惑をこうむっているのはヘズメル家の家人だ。特別の取り計らいがあってしかるべきだろう。
そんなオレの指摘に対して、グスタブ卿は『しかり』と頷くだけだ。
そこからはこちらへの好悪も含めてあらゆる感情を読み取れず、何を考えているのかもわからない。
……やはり、こういう腹の探り合いでは経験がものをいう。この分野ではオレもまだまだだ。
その点で言えば、やはり、ブリュンヒルデにも勝てない。アイツは人の感情を鼻にもかけないくせに敵の心理を読む精度は他の追随を許さない。
「それで、自分の拘束容疑についてですが、一体いずこからの告発なのでしょうか」
あいつのようには器用にはできないが、それならそれでやりようはある。
単刀直入、直情径行、心臓鷲掴みは辺境貴族の代名詞だ。
「今回の件、わしにとっても寝耳に水でな。報せを受けた時にはすでに近衛兵団が動いており、止めるに止められなかった」
どこか言い訳じみた響きのする語調で、グスタブ卿が話し始める。おそらく嘘ではない。
根拠は単純だ。グスタブ卿が黒幕にしては今回の件は不手際が多すぎる。彼が本気でオレを始末するつもりで動いたのなら、オレの首はとうの昔に胴から離れていただろう。
「そもそも、貴公を逮捕しようなどとは大それたことを考えたものよ。よしんばうまくいったとして、第一皇統派の報復を恐れぬとはよほどの阿呆か、肝が据わっているかのどちらかだな」
グスタブ卿の声には、疲れが滲んでいる。
彼にしても今回の件の黒幕には言いたいことが多いのだろう。
それもそうか。管轄下にあるはずの近衛兵団を頭越しに動かされて不愉快でないはずがない、
「それで、質問に答えていただいてませんが」
だが、この態度も演技という可能性はまだ捨てきれない。
ここは敵中。誰を信用するかは最後の最後まで吟味し続けるのが賢明だ。
「近衛兵団への告発そのものは、匿名のものだ。しかし、その告発が受理される過程において何らかの圧力が働いたことは認めざるをえない」
政治家らしい言い回しだ。
一方で、分かったこともある。少なくとも黒幕は帝国宰相をしてそれなりに気を遣わざるをえない相手ということは確かだ。
……皇族、ではないな。皇族ならば配下の騎士団を動かすだけでいいし、痕跡を辿らせないようにするにしてもやりようはほかにいくらでもある。
となると、やはり、黒幕は大貴族の可能性が高い。しかも、第一皇統派の長老の誰かだ。
まあ、具体的に容疑者は五名ほどに絞られたわけだが……全員に動機があり、方法もある。あとは機会だけだ。
「告発を受理し、近衛兵団を動かしたのは兵団長であるモーリセン卿だ。モーリセン卿は東のモーリセン伯爵家の三男。そして、モーリセン伯爵家はフレキセン侯の分家だ。まあ、公的な文書には記録されていないがね」
ここまで言えばあとは分かるだろう? とグスタブ卿。
随分とサービスがいい。ほとんど黒幕をおしえてくれたようなものなので、わざわざ推理する必要さえない。
東辺境の大領主の一角、フレキセン侯爵家。
領地が帝都より遠く離れているがゆえに政争からは縁遠いものの、東辺境における影響力は絶大だ。
くわえて、フレキセン侯爵家は第一皇統派の一員であり、その当主はいわゆる長老たちの一人でもあった。
これは、決まりと見ていいだろう。
情報の裏を取る必要はあるものの、近衛兵団長の家名には確かに聞き覚えがある。
となると、残る疑問は騎士団内に潜む裏切り者が誰かということだ。
「…………ご助言、感謝します」
「はて。そんなものをしたつもりはないが、若者の助けになれたのなら、面目も立つか」
とぼけた感じでにやりと笑うグスタブ卿。
これが今の彼の立場としてできる最大限の協力ということだろう。
帝国宰相としてどこか一勢力、一貴族に露骨に肩入れすることは難しい。
一方で、自分の頭越しに近衛兵団を動かされたことは放置できないし、報復もせねばならない。
それゆえの、オレへの情報提供。
オレならば身内が相手でも一切容赦せずにやり返すだろう、とグスタブ卿は評価しているわけだ。
期待にはきちんと応えないとな。最大限の報復をしわくちゃの顔面に叩き込んでやるとも。
「さて。君の罪状についてだが、わしの一存で取り消しておいた。告発こそあったものの、証拠がないのではな」
「でしょうとも」
内心胸をなでおろす。
騎士共の死体をリーヴァに運ばせておいてよかった。無論、ふつうならばもっと入念に調査されるのだろうが、そこらへんはオレの普段の行いがよかった、ということにしておこう。
「だが、さすがに即時解放というわけにはいかん。愚か者とはいえ、モーリセン卿は我が配下。最低限の面子は立ててやらねばならん」
「理解はします」
独断専行をしたとはいえ配下は配下。実家からの圧力があったという事情を鑑みれば、情状酌量の余地はある。
それに、グスタブ卿の立場を考えればあからさまにオレばかりに肩入れしては予後が悪い。
暫定黒幕であるフレキセン侯爵に「なめた真似をするな」というメッセージを送らねばならない一方、第一皇統派内での権力闘争でオレ達が敗北すれば敵を増やすことになる。
だからこその、この中途半端にも見える対応をせざるをえない。グスタブ卿本人としてももっと積極的な手を打ちたいのはやまやまだろうが、そうできない事情があるのだ。
……誰でもが常に最善手を選べるわけじゃない。例え別の道が見えていたとしても最善ではない道を進まざるをえない時は誰にでもある。
オレにもその番は来る。
できることがあるとすれば、なにがジークリンデにとっての最善であるか考え続けること。あるいは、それこそが忠誠の本質なのかもしれない。
「どれくらいで解放していただけるので?」
「夜になれば見張りの数は減るゆえな。記録上は明日の朝ということにでもしておこう」
「…………承知しました」
もう少し早く出たいのは山々だが、ここはグスタブ卿の顔を立てておこう。
実権を失って久しいとはいえ、グスタブ卿は宰相。こちらに対して多少は好感を抱いてくれているようだし、後々のことを考えれば彼には味方でいてもらった方がいい。
「しかし、いずれはこういうこともあろうかと思っていたが、優秀すぎるというのも考えものだな」
話がひと段落したところで、グスタブ卿が言った。
なんとも疲れ切った表情を浮かべつつも、その声にはどこか羨むような響きがあった。
「自分は、ただの騎士です。騎士として第一皇女殿下に最大の忠誠を捧げているのみです。それを優秀というならほかの者の努力が足りないのです」
そんな響きにあてられてか、グスタブ卿にはついつい本音を話してしまう。
でも、そうだ。
能力値としてはこれだけ鍛えても平均ちょっと程度でしかないオレが全身全霊を尽くせばこれくらいのことができるんだ。ほかのやつら、特に原作で活躍しているようなネームド連中はもっとジークリンデのために、努力すべきだ。
「騎士の鑑だな。だが、それを好ましく思うものばかりではないことはよく覚えておきたまえ。皆、己を騎士だと、忠臣だとうそぶくが、そんなものはいざとなれば捨て去ってしまう。『謀反人にも言い分はあるもの』とも言うだろう?」
グスタブ卿はそう諫言を口にして、「それを許せぬのは分かるがね」と付け加える。
…………『謀反人にも言い分はあるもの』というのは帝国のことわざの一つだ。
裏切り者にも裏切るだけの事情があるとことわざは言っている。
それは理解できる。
だが、許しがたい。家族が人質に取られたのか、あるいは領地を脅かされたのか。どんな事情があっても、背信行為は背信行為だ。
裏切り者が記憶にも、歴史にも残るのはそれが致命的であり、まさかと思われる人物だからだ。
つまり、中枢にいて信用されている人物でなければ裏切ったとしても意味が――、
「――あ」
「どうかしたのかね?」
「いえ。グスタブ卿のお言葉が胸にしみただけです」
たどり着いた答えは胸に秘めておく。
グスタブ卿を信じていないわけではないが、リスクは最小限にしておきたい。
裏切り者の正体は分かった。あとはその裏切りをどう利用するかだ。
無論、過度な報復などしない。だが、一度裏切った以上、骨の一片までも使い潰される覚悟はしてもらおうじゃないか、ええ?




