第72話 ブリュンヒルデという女
ブリュンヒルデ・ラグナレック・カイネルという女は生ける災厄であり、『帝国物語』の世界において最大のキーマンの1人だ。
その証拠に帝国物語本編においてブリュンヒルデは幾度となく主人公『フレイン』の前に姿を現す。
時には味方として、時には敵として、あるいはラスボスとしてでさえ彼女は立ち振舞う。出番の多さ、描写の濃さで言えば主人公や攻略対象の面々にも匹敵する。
それだけのことが許されるのはブリュンヒルデが転換期を迎えつつある帝国における嵐の目だからだ。
彼女の一挙手一投足は必ず何らかの風を巻き起こす。そういった人物でなければ停滞した時代を動かすことなどできはしないだろう。
良くも悪くもブリュンヒルデという人物の本質はそこにある。
彼女自身でもどうしようもないほどに『動』の人物なのだ。
オレが、ブリュンヒルデを切り捨てきれない理由もそこにある。時にジークリンデの破滅にさえ関与する者など容赦なく排除してしかるべきなのに、今日の今日までズルズルと関係を続けてしまっている。
唾棄すべき中途半端さだ。前世で抱いたほんの小さな、『こう生きてみたい』なんて子供じみた憧れを捨てきれないなんて。
今だってそうだ。でなければ、ブリュンヒルデが死ぬかもしれないんて、その程度のことでここまで動じたりなんかしない。
「――どういう意味だ?」
わずかな、だが、オレの中では長い沈黙の後、そう尋ねる。
喉が渇いている。心拍数は上がっているはずなのに、背中は氷柱でも差し込まれているかのように冷たかった。
「どうもこうも言った通りさ。僕は近いうちに死ぬらしい。まあ、あくまで魔導士の見立てではあるけどね」
だが、皮肉なことに『魔導士』というある種現実離れした言葉に思考が回復する。
この世界には特殊技術として『魔術』が存在しており、その中には人を害する類のものも存在している。
例えば――、
「『呪い』だ。まったく、人の恨みを買うものじゃないねえ」
そういって首元をはだけるブリュンヒルデ。
白くほっそりとした首筋、そこに侵食するように黒紫の痣があった。
明らかに尋常なものではない。痣が生き物のように脈打っていることからもそれは明らかだ。
『呪い』。
その単語から連想する通りに命を蝕み、相手を殺すことを目的として運用される魔術だ。
それがブリュンヒルデに掛けられている。原作には存在しなかった出来事だ。
「こんなもの、どこでもらってきた。お前ほどのものが、こんなものを……」
「そう責めないでくれよ。それとも、嫉妬してくれてるのかな? なら、安心してくれよ。閨には誰も入れてない。君専用さ」
オレの反応をからかってブリュンヒルデがほほ笑む。
オレも鈍い。
平気そうに見えるが、ようやくわかった。ブリュンヒルデはかなり無理をしている。
こんな姿は初めて見た。見たくは、なかった。
「一度、入っただけだろうが。お前が蜘蛛が出たとかいうからしかたなくだ」
「ふふ、甘いね。閨に入ったという事実が大事なのさ」
そんな動揺を否定して、いつも通りに振舞う。
確かにオレはブリュンヒルデの閨、つまり、寝室に入ったことはあるが、それはあくまで不可抗力。そういう意図は一切ないし、互いに成人前のことだからノーカンだ。
「北部の、『ウルド』という城を落とした後のことだ。どうにも嫌な予感はあったんだが、まさか首実検中に後ろから刺されるとは思わなかったよ。こんなことならもっと優秀な護衛を雇っておけばよかった」
そんなことを言いながら、こちらに視線を送ってくるブリュンヒルデ。
オレがスカウトを蹴ったことをまだ根に持っているのだ。
外征軍への参加は、実のところ、選択肢ではあった。
だが、それは従者としてジークリンデの傍で役に立てない場合のプランだ。今となってはありえない。
「犯人は? どこの手のものだ?」
「それが手掛かりがない。取り押さえたが、毒を飲まれてしまってね。まったく大失態さ。言い訳のしようもない」
嘘はついていないだろう。
暗殺を狙うなら当然暗殺者を使い捨てにするのが一番手っ取り早い。オレだって同じ手を使うだろう。
「で、どうするんだ? 帝都に解呪のあてがあるんだろ?」
痛いのかとか、苦しいのかとかは聞く意味がない。
ブリュンヒルデは大人しく死を受け入れるような女じゃない。どんな窮地でも必ず逆転の策を見つける。こいつはそういう女だ。
呪いの存在が周知である以上、その対抗策もこの世界には存在している。
それが魔導士による『解呪』だ。もっとも呪いをかけるのと同じか、それ以上に呪いを解くのは難しいのだが。
「もちろんあるさ。君だよ」
「……聖女殿か」
色っぽく指さされて、なにを言われているのか気付く。ブリュンヒルデが満足げに頷いた。
『帝国物語』の主人公である『聖女フレイン』には触れた相手の傷を癒す能力がある。
その能力は呪いに対しても有効だ。実際に解呪するシーンも原作にはあった。
問題はそこではなく帝都から遠く離れた戦場にいたブリュンヒルデがオレとフレインとの関係性を把握している点だ。
確かに現状、オレはフレインとの間に良好な関係を築けているが……いや、ブリュンヒルデであれば帝都内にい手のものを潜ませ、味方の動向探るくらいのことは平気でやるか。
「いやー、ここまでほかの将軍たちに知られずに帝都まで帰るのには苦労したよ。馬車に乗りっぱなしで腰がガチガチだ。呪いよりこっちの方がきついくらいさ」
そんなことを言いながらソファーを占領、うつぶせに横たわるブリュンヒルデ。形のよいヒップに視線を奪われそうになり、慌てて目を逸らした。
ズボンを履いているとはいえ、レディのすることではない。だが、不思議とこう言った仕草にもなんというか憎めなさがあるのがブリュンヒルデだった。
「ブ、ブリュンヒルデ様? その、大丈夫ですか?」
そんなブリュンヒルデを見て、ユリアが恐る恐る声をかける。
我が妹は純粋だ。心から年上の幼馴染を心配しているのが分かる。
「うん? ああ、お尻が痛いだけさ。誰かに揉みほぐしてほしいんだけど、お願いできるかい、ユリア?」
「え、ええ、あ、その、ご指名ということであれば……」
「冗談さ。相変わらず初心だ。さすがは僕の義妹。食べちゃいたいくらいにかわいい。あ、でも、本当に揉んでくれるならキリアンでもユリアでも構わないよ?」
「さっさと話しを進めたいんだが」
だが、こんなときにまでブリュンヒルデの戯れに付き合ってはいられない。
だいたいこいつ自分が死にかけているって自覚がないのか?
「いいのかい? 見てただろ? 僕のお、し、り」
「帰るぞ、ユリア」
「ごめんごめん。ちょっと戯れが過ぎたね」
オレが怒るとあっさりと退くブリュンヒルデ。いつもならもっと粘ってくるのだが、やはり、弱っているな、こいつ。
「ともかく、キリアンには聖女殿と渡りをつけてほしい。そうしてくれないと、近いうちに死んでしまう」
「わかってる。そっちはなんとかする」
ほんの一瞬、『このままブリュンヒルデを死なせる』という選択肢が脳裏に浮かぶ。
どれだけ有能で、今は味方と言ってもブリュンヒルデは制御不能の駒だ。純粋に安全策だけを講じるのなら死なせるのも確かに選択肢ではある。
だが、すぐにその考えは捨てる。
ジークリンデが望んでいるのは地位の安泰、安寧ではなく皇帝の座だ。
そのためにはブリュンヒルデという諸刃の剣も使いこなさねばならない。
なにせ、切れ味に関しては他の追随を許さないんだ。多少掌を怪我したからといって捨てるのはもったいない。
……あるいは、これも言い訳なのか? ブリュンヒルデを殺さずに済む道をオレは無意識に探しているのか……?
「やっぱりキリアンは頼りになるね。つくづくついて来てくれなかったのが残念だ。でも、親友の面倒を見てくれているわけだし、我慢しましょう」
「…………気安すぎるぞ。彼女はお前にとっても主君だ。もう少し気を付けろ」
ブリュンヒルデの言う親友とは、ジークリンデのことだ。
おしゃべりなブリュンヒルデと寡黙なジークリンデ。対照的かつ意外でもあるが、この2人には原作時点で関係性があった。
「病人ならぬ呪い人の言葉なんだからこれくらい許してほしいね。ま、どうせだし、ちゃんと挨拶もしておこう」
「…………ことが済んだらな。ジークリンデ様も喜ぶ」
「うん? 挨拶なら今日でいいじゃないか。どうせ屋敷の近くの馬車に隠れているだろうし、呼んできてよ、キリアン」
めちゃくちゃなことを言い出すブリュンヒルデに反論しようとするが、彼女の瞳を見て冗談ではないと理解する。こういうブリュンヒルデの読みが外れることはまずない。
だが、ジークリンデがこの屋敷の近くに来ているなんてことありえるのか……?
数分後、待機していたリーヴァに屋敷の周囲を探らせると確かにあやしい馬車が近くに停車していることが判明した。
そうして、その車内には、ジークリンデ、トモエ、メロディが身を潜めていたのだった。
…………だから、留守番してくれって言ったのに何してんだ、我が主君。




