第70話 婚姻とは真剣勝負である
なにはともかく、お見合いには出向かねばならない。
出向いた上で相手から断ってもらうか、こちらから断らねばならない。なおかつ、相手の面子を潰さないように最大限の配慮をしつつ、だ。
こういうとあれだな。政治交渉も婚姻も大した差はないな。難易度も重要性も同レベルだ。
逆に考えれば、この程度の修羅場はこれまでの人生で何度も乗り越えてきたということでもある。緊張する必要などない、ないったらない。
「何ですか、お兄様。顔が引きつっておられますよ」
そんなことを自分に言い聞かせていると、隣に座るユリアに言わてしまう。確かめてみると、頬の辺りがガチガチにこわばっていた。
帝都の外れにある『ヘズメル侯爵家』の屋敷、その応接間でのことだ。
ユリアの帝都到着からはすでに二日の時間が経っている。その間にオレがお見合いせねばならない相手についても少しは情報を得ることができた。
相手のご令嬢の名は『エリン』といって、ヘズメル将軍の孫姪に当たる女性だ。
歳は17歳で、帝都生まれの帝都育ち。典型的な貴族令嬢であり、蝶よ花よと育てられたタイプとの情報を得た。
原作では登場していない人物だが、そこまでわかれば人格にもおおまかな見当がつく。
くわえてヘズメル卿はこの少女を直系の孫たちと同列に扱っており、猫かわいがりしているのだそうだ。
……わがままで気位が高い貴族の女性。結婚相手としては扱いやすくて、それはそれでありなんだが……まあ、ここは断ってもらいやすくていいと思うとしよう。
ちなみに、今回の一件に関してはトモエとメロディ以下騎士団の連中には内緒にしてある。
仕事モードなら影で護衛に徹せられるリーヴァと違い、最悪の場合、ぶち壊すのがお見合いだけで済まなくなる。ヘズメル家は政争に関心がないとはいえ、外征軍の重鎮だ。敵に回したくない。
こと、オレに関わることとなると2人は理性をなくしがちだ。そのくらいのことはさすがに分かる。
第一、よくよく考えてみればこの程度のことに2人を連れてくる必要はない。あくまでこれはシグヴァルト家の親戚筋の問題。内々で解決可能だ。
ましてや、ジークリンデに同行してもらうというのはありえない。
本人にはかなり渋られてしまったが、こればかりは別の問題が発生してしまいかねないので堪えていただいた。
なにせ、第一皇女殿下自らお見合いに同席したとなれば政治的な意味合いが発生してしまう。
例えばオレがジークリンデの愛人でありその愛人を他人に渡すまいと自ら動いたとか、逆にオレが自らの立場を利用してジークリンデを動かしたとかな。
こういう噂の厄介なところは、一面では事実である点だ。
愛情ゆえか、臣下を失うかもしれないという不安ゆえか、という違いこそあるものの、私情で動いてしまったことは確かなんだからな。
だから、不安にさせてしまって心苦しいが、ジークリンデには離宮に留まってもらっている。
なので、この場にいるのはオレとユリアのみ。リーヴァは部屋の外で待機しつつ、万が一これが罠であった場合に備えてくれていた。
……しかし、待たされるな。この応接室に通されてからすでに30分ほどが経過しているが、先方はまだ顔を見せない。
相手は高貴な女性だ。男を多少待たせたところで礼儀知らずと言われることはないが、これを利用してうまいこと破談に持っていくということもできなくはない、か。
というか、このまま相手の方からドタキャンしてくれればそれが一番だ。手間が省けていい。
「…………遅いですね」
オレより先にユリアが言った。
怒っているというよりは呆れているというのに近い感じだ。
ユリアは淑女だ。
こういう作法に関してはオレなんかよりもはるかにちゃんと勉強しているし、身についている。そんなユリアからしてみればこれだけ殿方を待たせるというのはありえないことなのだろう。
「お兄様は、このままエリン嬢がいらっしゃらなければいいとお思いのようで」
「その方が楽だからな。それより、お前としてはどうなんだ?」
時間があるので、手紙ではできないタイプの会話をしておく。どこに耳があるか分からないので内容を選びはするが。
「どうとは?」
「いや、オレが身を固めたほうがお前が安心できるっていうならそれもありかもな、と思っただけだ」
ジークリンデはオレが誰かと婚約することに不安を抱かれているが、相手次第という部分もあるはずだ。
彼女が納得する相手で、なおかつ、政治的な価値がおおいにあるのならオレとて婚姻にやぶさかではない。
「わたくしは、別段なにも。お兄様にはお兄様の想いもございますでしょうし」
「聞きたいのはお前の気持ちだ。お前が結婚してくれって言うならオレも兄として、あー、考えないこともない」
「断言なされないじゃないですか。そういうところですよ、お兄様」
痛いところを突かれてしまう。
確かに、今のオレには自分の出処進退を定める権利さえない。忠義のためとはいえ妹であるユリアに不自由を強いているのは事実だ。
心苦しくはある。だが、オレがユリアのためにしてやれることなんてまだあるのだろうか――、
「――まあ、おかげで楽しくはあります」
「そうなのか?」
「ええ。ほかの姫君と違い、領地を自由に差配させていただいてますし、なにより、お兄様はうるさく注文を付けたりはされませんから」
言われて初めて、「なるほど」と納得する。
確かにオレはユリアに領地を任せきりだ。その上、遠方からあれやこれやと指示を出したこともない。
だって、内政に関してはオレよりユリアの方が優秀なんだから指示を出す意味がない。
任せておいて安心できるならそれが一番だ。この世界ではいちいち連絡を取るのにも日数がかかるからな。
「そういう意味では感謝すべきはやはりオレの方だな。お前がいるからオレも頑張れてる」
「ええ。でしょうとも」
フンスとどや顔をするユリア。そのかわいらしさに「さすが我が妹。天下無双の愛らしさ」などと思っていると、ついに、応接室のドアがノックされた。
控えめな音に、オレとユリアは反射的に立ち上がり、佇まいを直した。
お見合いを成功させる気がないとはいえ、最低限の礼儀を尽くさなければジークリンデやシグヴァルト家の風聞に関わる。
しかして、扉を開けて現れたのは普通の姫君だった。
青みがかったヴェールを被って顔を隠しているが、服装や体格には特異なところは見られない。
歩き方や佇まいにはなにも違和感はない。というか、お手本通り過ぎて文句のつけようがない。その代わり、個人の特徴を示すようなものも一切なくて、なんというか、面白みに欠けるというか――、
「――お待たせいたしました」
だが、彼女が声を発した瞬間、そんな感想は吹き飛んだ。
聞き覚えのある声、いや、このよく通る澄んだ声だけは忘れようがない。
前世で『帝国物語』をプレイしていた時には主人公『聖女フレイン』と攻略対象の次くらいには聞いた声だし、なにより、今世においては幼馴染として幼少期にはしょっちゅう聞いてたんだからな……!
「――なんだ、声だけで気付いたか。相変わらず顔に出るな、キリアンは。まあ、そこが君のいいところでもあるんだがね」
「あ、あなたは!」
令嬢がヴェールを外す。
そうしてあらわになるのは、帝国では忌み子の証とされる白い髪に蒼と赤のヘテロクロミア。その美しい顔にはいつもと変わらぬ不敵な笑みが浮かんでいた。
「やあ、ユリア、キリアン。君たちの竹馬の友、ブリュンヒルデの帰還をぜひことほいでくれたまえよ」
この少女の名は、『ブリュンヒルデ』。
『ブリュンヒルデ・ラグナレック・カイネル』。歴史あるカイネル伯爵家の女当主にして、外征軍最強の『赤の兵団』を率いる常勝無敗の将軍だ。
だが、そんなたいそうな肩書はオレにとっては重要じゃない。
こいつに関してなによりも言及せねばならないのは、彼女こそが第一皇統派を襲う五つの災厄の一つそのものだという点だ。
どうしてここにいやがるんだ、この歩くトラブル製造機が……!




