第68話 予想外の客人
息を切らしているモルト卿に水を飲ませ、それから話を聞くところによると『ミズガド離宮に急な客人あり。シグヴァルト卿は至急向かわれたし』とのことだった。
伝言の内容もモルト卿の様子もそう緊急性を感じさせるものではなかったが、主君であるジークリンデが至急という以上は一秒も早く駆けつけるのがオレの務めだ。
すぐさま平服に着替えて、装いを整えるとリーヴァの用意してくれた馬車に飛び乗った。
この仮政務官府からミズガド離宮までは通常一時間ほどで到着するが、オレはその道程を半分に短縮してジークリンデのもとに向かった。
馬丁に倍の給金を払うことになったうえに、アホみたいに揺れてケツが痛かったが、そこら辺は鍛えている。全然平気だ。平気ではあるが、道路の舗装は急いだほうがよいかもしれない。
そうして馬車を飛び降り、息を整えてから離宮の門を通る。
もはや、この離宮に来るのはオレの日常の一部であり、最初のころのような感動はさすがに薄れたが、代わりにここに来ると安心感となんともいえない達成感を覚えるようになった。オレはジークリンデの従者になったのだ、と改めて確認できるからだ。
一応、リーヴァも同行させている。万が一があった時には彼女の健脚は大いに役に立つ。
「――キリアン・シグヴァルト、参上いたしました」
離宮の奥、ジークリンデの応接室のドアの前でそう声を掛ける。
「入りなさい」
ジークリンデの招きを待って応接室の中へ。本来は入室してすぐに拝跪しなければならないのだが、一瞬固まってしまった。
いつも通りに世界一可憐なジークリンデの向かいにまったくもって想定外の人物が座っていたせいだ。
「妹様!?」
オレより先に、背後に控えているリーヴァが驚きの声を上げた。
無理もない。というか、リーヴァが好反応しなければオレも驚きに口をあんぐり開けていたことだろう。
なにせ、ジークリンデの対面にいるのは遠く離れた領地にいるはずの我が妹ユリアだったのだから。
◇
「――あら。何て美味なのかしら」
ジークリンデの応接室で、妹ユリアは出されたお茶に舌鼓を打っている。
優雅な所作もすました顔もこの応接室に完全に馴染んでいて、我が妹ながら見事というほかない。亡き祖父も英雄の館で喜んでいることだろう。
「ふふ」
ジークリンデも楽しそうだ。微笑みまでこぼされて、このサプライズがよほど愉快だったのだろう。
なんでもユリアの来訪をオレに内緒にするという企みはユリアが提案し、ジークリンデが了承したものだったとのこと。
たまにはオレを驚かせてみたい、というジークリンデの需要にユリアの供給が一致した形だ。
オレとしてはジークリンデが喜んでいるのならそれ以外のことは些事だ。
むしろ、オレが騙されたり驚いたりするだけでいいなら毎日だって構わない。ジークリンデは常日頃から自分を律して生きてきたんだ、このくらいの自由はあってしかるべきだし、そんな余裕が彼女に生まれたことは天地の開闢にも等しい素晴らしさだ。
といっても、疑問がいっぱいだ。シグヴァルト家の当主として聞くべきことが山ほどある。
「ところで、ユリア。おまえどうして――」
「殿下。この砂糖菓子ですが、我が領地の名物で、兄の好物なのです。おひとついかがでしょうか?」
ユリアはオレを無視して、テーブルの上に包みをひろげる。
中身は『コンペイトウ』だ。名前の通り金平糖の類似商品で、一応、オレが考案した特産品だ。
といっても、アイデアと大まかな作り方だけ職人に伝えてあとは丸投げしただけだ。
普通はそれだけでうまくいくもんじゃないが、妙に熱心な職人がいたおかげでわずか半年で試作品が完成。いまやシグヴァルト領の特産品としてかなりの収入源になっている。
…………こんなことならもうちょっとちゃんとした名前を考えておけばよかったな。たらればで提案しただけだったし、浅慮だった。
「……綺麗ですね。いただきましょう」
そんなコンペイトウをジークリンデが一粒つまむ。
白く細い指先の動きは優雅で美しい。そのまま踊るような軽やかさで、彼女はその一粒を口に運んだ。
瞬間、ほんの少しだがジークリンデの顔が笑みにほころぶ。
お気に召していただけたようでオレまで感動で胸が熱くなる。郷里の職人たちにも知らせてあげないとな。お前たちの職人技は第一皇女殿下に幸せを届けたのだ、と! これはこの世界で最大の名誉と言っても過言ではないぞ!
コンペイトウを土産に選んだユリアにも感謝だな。オレではこの発想は出なかった。スイーツを選ぶあたりはいわゆる女子力というやつだな……!
って、そんなことを言っている場合じゃない。いや、これも重要なんだが、それより先に確認しないといけない事項がいくつかある。
第一に、なぜユリアがここにいるか、だ。
「所用です。どうしても帝都に来て欲しいと要請されましたので、こうしてまかり越したのです」
オレがようやく口にした疑問にユリアはあっさりと答えた。
問題はその所用の中身だが、緊急性がないことはなんとなくわかった。
「では留守は大叔父殿にお任せしたのか?」
「ええ。ヤルロフおじさまも張り切っておられました。お兄様にもよろしくとおっしゃっておいででしたよ」
ヤルロフおじさまというのはオレとユリアの祖父の弟、つまり、間柄としてはオレたちの大叔父にあたる人物だ。
そのヤルロフ老だが辺境貴族らしい豪胆さと高い統治能力を併せ持つ傑物で、祖父の補佐を長年務めてこられたシグヴァルト家の重鎮でもある。
現在は隠居の身ではあるものの、ことあるごとに皆に頼りにされ、こういう時には領主の代行を担うことも多い。オレも子供の頃は幾度となく世話になったのだが――、
「ああ、そういえば、次に会ったら稽古をつける、とも仰ってましたね
「…………それは、あれだ、避けたいな」
思い出されるのは幼少期の受難だ。
ヤルロフ老の稽古はスパルタの極みというほかないもので、魔獣のいる山でサバイバルさせられたり、兵士と百人組み手を不眠不休でさせられたりした。始末に負えないのは、ヤルロフ老本人はそれが平均レベルの修行だと思っている点だ。
いや、おかげでかなり鍛えられたし、この世界で生き抜く術を学べたから結果オーライではあるんだが、原作のキリアンがだいぶ歪んでいるのは幼少期の経験がハードすぎたせいではないのかと思わなくもない。
「それで、結局所用は何なんだ? 魔石に関しては問題ないんだろう?」
「ええ。おかげさまで『石の爪』の者たちと民の間で軋轢も起きていませんし、第二皇子殿下が手配りしてくださった魔導士殿も来月には着任予定です」
どうやら魔石鉱山の稼働に関しては書状での報告通りのようだ。
これもユリアの手腕ありきだ。
石の爪がシグヴァルト家に恩義を感じてくれているとはいえ、いわゆる蛮族を民と融和させるのは簡単なことではない。
帝国臣民と蛮族の間には取り去りがたい遺恨がある。
そも人間族以外の種族を蛮族と呼び迫害したのは帝国の側だが、亜人種族とて辺境の臣民を数えきれないほどに殺している。そんな殺し合いが500年も続いたんだ。お互い一朝一夕で忘れらるれるものではないのだ。
だが、それでも共に生きていくほかない。そうできるように法を定め、人を裁き、世を治めるのが統治者たるものの義務だ。
その義務をユリアは立派に果たしている。
石の爪のものであれ、領民であれ、罪があれば平等に裁き、諍いがあれば自らの裁断を下す。治世の基本ではあるが、この基本を徹底することは簡単なことではない。
ユリアの為政者としての才能はオレよりもはるかに上だ。
彼女が領地を守り、民を治め、背中を守ってくれているからこそオレはジークリンデのために働けている。
「ありがとう、ユリア。オレは果報者だ」
「……分かっていらっしゃるのなら結構です」
オレが素直に感謝を口にすると、ユリアは赤面してぷいっと顔をそむけてしまう。
こういう素直じゃないところも可愛らしい。我が妹ながら天下を取れる逸材だ。魅力値90越えは固いな。
「だが、魔石の件でないのならどうしてわざわざ帝都まで来たんだ?」
「あら、ユリアは用事がなくては帝都に来てはいけないのですか?」
「そういうわけじゃないが……責任感の強いおまえが考えもなしに領地を離れるわけがないと思ってな」
「…………よくご存じで」
あらためてのオレの指摘に、ユリアは一瞬眉をひそめる。
図星を突かれて恥ずかしいのが半分、オレをからかえなくて悔しいのが半分といったところか。
しかし、わからん。魔石の件でもないとなればそれこそユリアがわざわざ領地を空ける理由が思い当たらない。
そんなオレの困惑を他所に、ユリアはしばらく考え込んでからこう言った。
「…………お見合いのためです」
…………はい?
おみあい? オミアイ?
「だから、お見合いです! 何度も言わせないでください!」
あまりにも理解不能なので、聞き返してしまった。でも、やっぱり、何一つとして脳に入ってこない。
お見合い? ユリアが? どこの馬の骨とも知れないやつと?
…………許せん。少なくともユリアの夫になるのはオレの認めた男でなければならない。
人柄、家柄、外見、財力。せめて前の二つがオレの納得のいくものでなければ絶対に認めないぞ……!
くそう、どこのどいつだ……! 断り切れなかったということは親戚筋が余計な気を回したか!? ええい、この際相手の面子も知ったことか、オレが直接どんな奴か確かめてやる……!
「……まあ」
そんな風に怒りを滾らせていると、ジークリンデが控えめに声を漏らした。ティーカップで口元を隠す姿が実に愛らしい。
それを聞いて一瞬で平静を取り戻す。いかん、いくら腹が立つとはいえジークリンデの前でこんな姿を見せるのは失態だ。
とはいえ、だ。オレに断りもなしに妹にお見合いを申し込むとはいい度胸だ。場合によっては鼻づらに大盾を叩き込んでやる。
「……まったく何を勘違いしているのでしょう。お見合いをするのはわたくしではなく、お兄様ですよ。わたくしはお兄様のお見合いのために、わざわざ来たのです」
パリン、という甲高い音が響いたのは、ユリアがそんなことを言った直後のことだった。
ジークリンデがティーカップを落とした……? しかも、割った? 原作でも完璧淑女のジークリンデが? 一体、何事だ……!?




