第65話 どぶ川にも花は咲く
『徳政令』というオレの献策にジークリンデはもろ手を挙げて賛成してくれた。
優しい彼女はトモエ同様、徳政令発布の宣旨にオレの名前も加えようとしてくれたが、そこはオレの方から固辞した。気持ちはありがたいが、やはり高まるべきはジークリンデの名であってオレの名ではない。
一方で、徳政令と同時に発布するもう一つの命令に関してはオレの名を使わせてもらった。
『法の遵守に関する条々』という宣言なのだが、内容はこれからは統治においても法の遵守を誓約し、民や商人にも同じ誓約を求めるものだ。当然、違反者は政務官代理『キリアン・シグヴァルト』の名において厳しく処罰される旨も記してある。
幸か不幸か、すでにオレの名は聖堂を襲撃した不信心かつ傍若無人な貴族として知れ渡っている。
これを利用しないという手はない。オレが恐れられていればいるほど宣言はより真実味を増し、腹黒の商人たちも従わざるをえなくなる。
これら2つの宣言の効果もあって、第一皇統派による区画統治は上々の滑り出しをした。
宣言を出して1週間が経つが、区画内で犯罪行為があったという報告は受けていない。微罪の類は起きているかもしれないが、少なくとも治安の維持には成功したと言ってもいいだろう。
となれば、次は区画開発に着手せねばならないのだが、そちらの方には一つ問題が発生していた。
その問題についての報告を、オレはここ『東第三区画政務官府』の政務官代理執務室で受けることになっていた。
政務官府自体は教会がかつて公会堂として使用していた施設を接収したものだ。
いずれは取り壊して新築の政務官府を建てなければならないだろうが、今はこれで満足している。広いだけではなく、建物自体も立派で強固なのでいざという時は立て籠もれるからな。
「――失礼します」
立派な両開きの扉をノックして入室するのは、メロディだ。
少し長くなった髪を後ろでまとめて凛とした表情をしている。
……うーむ、こうして女性と分かって見ているとすさまじい美少女だな。
まあ、この世界の美形はそれこそ海外映画や二次元レベルが基本なんだが、金髪碧眼の色白美少女というのは元日本人的には特別感がある。
彼女には現在、週の半分を赫奕剣騎士団で働き、残り半分をこの政務官府でオレの補佐をしてもらっている。
つまり、オレ同様にかなり忙しくなってしまったわけだが、そこは能力ある者の責務と思ってもらうしかない。よかった、まだこの世界に労働基準法が無くて。
まあ、本人もこの体制になってから妙にイキイキしているから大丈夫だろう。理由もまあ、わかるしな。
「メロヴィ・ラインゴッズ。ただいま参りました」
「うむ。ご苦労。まずは座れ」
「はい、キリアン殿」
社交界のご令嬢たちが赤面して黄色い悲鳴が上がるような笑顔を浮かべて、メロディは対面の椅子にちょこんと腰かける。
上機嫌なのはいいことだ。なにせ第一皇統派は常に人材難。メロディほどのものが機能不全になればそのまま派閥そのものが倒れかねない。
なので、こうしてときどき労うようにしている。まあ、コストという意味ではかなり安上がりでよい。
「どうだ、怪我の調子は」
「全快でございます。ですが、キリアン殿こそお怪我の方は……?」
「問題ない。ジークリンデ様と聖女殿に感謝だな」
実際、ジークリンデの整えてくれた万全の治療体制もあって、オレのケガは一切の後遺症なく完治している。書類仕事のみならず、先日の強盗退治のように飛んだり跳ねたりも余裕だ。
「よかった……本当に……」
一方、メロディの心の傷はそうでもないようだ。
思えば、オレの負傷に際して最も動揺していたのはメロディだった。
少々懸念すべき事案ではある。オレが前線で戦う以上は負傷はつきもの。その時に副将たるメロディにはむしろ冷静に指揮を引き継いでもらわないといけない。
そのためにはどうするべきか……いかんな、オレ自身そういうメンタル系の落ち込みを力技で解決して来たからこういう時なにを言えばいいのか正直迷う。経験さえ積めば解決する問題だと思いたいが……、
「例の問題について報告を頼む」
「はい、キリアン殿」
いい案も思いつかないので、とりあえず本題に入る。
なんにせよ、区画の行政を滞らせるわけにはいかない。実務をこなすうちに見えてくるものもだろうしな。習うより慣れろだ。
今回の案件についてはメロディにもいい勉強になるだろうしな。
「件の孤児院、騎士たちが直接出向いきましたが、追い返されたそうです」
「……やはりか」
うすうす予想してはいたので、部下たちへの落胆はない。
件の孤児院とはこの東第三区の端っこにある施設のことだ。
そこはもともと教会が管轄していたのだが、区画全体が第一皇統派のものとなったことで管理人もこちらで派遣することになった。そのため、孤児院の院長でもあるシスターには退去を要請していたのだが、どうにも出ていく気配がない。
だから、騎士たちを派遣して退去させるつもりだったのだが、そうか、追い返されたか。
トモエとの視察の時にも例外的に門構えが立派だったから何かあるとは思っていたんだが……こうなっては致し方ないか。
「よし、オレが行こう。メロディも同行してくれ」
「は、はい。で、ですが、なにもキリアン殿が御自ら赴かれなくても……」
「オレもそう思うが、我らはこの地を治めて日が浅い。小さい事案でも一度は自分の目で確かめておかないと、あとでしっぺ返しを受けかねんのでな」
オレの返答に目を丸くして、それから感動した様子で何度も頷くメロディ。
メロディの言う通り、一応ナンバー2でもあるオレが軽々に動くのは危機管理上よくないのだが、今は仕方ない。
それに、だ。うちの騎士たちを追い返したというシスターにも興味がある。宗教者をヘッドハンティングするのは容易ではないだろうが、なに、やりようはあるだろう。
人材こそは最高の宝。労を惜しむのはそれこそジークリンデへの不忠だ。
◇
件の孤児院は、第三区の南側にある。
石造りの古めかしい建物と隣接する墓地から分かるように、かつてこの場所は『九界樹教会』に教会堂として使用されていた。
資料によると今からちょうど50年前に中央部に公会堂が建設されたことで、孤児院に改修されたらしい。
……やはり建物自体の古さは否めないが、よく手入れをされてきちんと補修されている。それも金を掛けたわけじゃなく、個人が時間と手間をかけて管理していることが補修痕からは見て取れた。
これだけでここを司っている人物の人柄が理解できる。質実剛健、不言実行と言ったところか。
「――ここは」
同行しているメロディも似たようなことに気付いたのか、面食らっている。
彼女としてもある種『教会』らしい表向きだけ立派な場所を考えていたのだろう。気持ちは分かる。
「失礼する。政務官府の者だ。扉を開けていただきたい」
大きく二回ノックして、声を掛ける。
いきなり政務官代理なんて名乗っては相手に警戒させるので、まずは身分を伏せておく。
まあ、今回の相手はそこら辺のことを簡単に見抜いてしまうだろうが。
「――どうぞ」
扉の向こうから澄んだ声が聞こえる。意外にも穏やかで落ち着いた響きに驚きながらもゆっくりと扉を開けた。
古い礼拝堂だ。荘厳で威厳がある一方、隅の方には荷物や芋の袋が積まれていて生活感を醸し出していた。
『生きている場所』とはこういうものだ。少なくとも整理整頓されて清潔なだけの場所よりも好感が持てた。
「シスタースルーズともうします」
そんな礼拝堂の奥にそのシスターはいた。
橙色の瞳に、帽子から垂れた同じ色の髪。
美人ではあるが、それ以上に凛とした表情は意志の強さと気品を感じさせた。
なにより、立ち姿に芯が通っている。
武芸の類に長けているわけではないが、普段の生活そのものを修行として過ごしているのだろう。精神的な強固さが姿勢に現れていた。
なるほど。確かにこんなシスターが相手ではうちの騎士たちでも追い返すか。
「キリアン・シグヴァルトと申します」
「ああ、政務官どのですか。ご用は分かりました」
オレが名乗ってもシスターに動揺はない。むしろ、ようやく来たか、と待ち構えてさえいたようだ。
シスターはゆっくりとした足取りで礼拝堂の中央に進む。
深く息を吐き、それからきっとこちらをにらんだ。
おおう、美人のにらみはなかなかに迫力があるな。
まあ、この程度で退くほど細い神経はしていないが。
「この孤児院をお譲りする気はありません。ここには二十二人の寄る辺のない子らが暮らしています。わたくしはその子らに責任があるのです」
「承知しております。それゆえ、自分が直接参ったのです」
ここを一歩も動くつもりはない、と全身で主張するシスター。
意地ならこちらにもあるが、ここは意外な一面をみせるとしよう。
「――シスター・スルーズ。この孤児院の経営はあらためて貴方に委ねたい。そう決めました」
そうして、オレはシスタースルーズにぬけぬけと言い放つ。
餅は餅屋に、慈善事業は善人に任せるべし。時には相手を信じることも重要だ。特に、相手が有能だと分かっている時は。
こうして直接会話してようやく確信が得られた。
シスタースルーズは原作に登場している人物。それも名前付きの有能キャラで間違いない。
◇
ジークリンデの日記より抜粋
最近、キリアンとの時間が少ない。
これはわたし個人の体感ではなく厳然たる事実であり、だからこそすごくイライラする。どれくらいイライラするかというと今日の日記を書くまでに二枚も羊皮紙を駄目にしてしまったくらいだ。
こんなこと前までは絶対になかったのに、これもキリアンと出会ってわたしが変わったという証拠。そう思うとうれしさも沸き上がるが、やっぱりこうして会えないとどうしても苛立ってしまう。
キリアンが公務のせいで忙しいのは仕方がないことだ。わたしのために働いてくれているのだから、仕方ない。
でも、ラインゴッズ卿やトモエが彼を占領するのは違うんじゃないかと思う。
本人たちはやれ鍛錬だやら仕事だと言い訳しているけど、わたしにはわかる。2人はキリアンを独り占めしたいだけだ。それにあのメイド、なにやらキリアンの宿舎で一緒に住んでるそうだけど、そんなうらやまし……もとい、ふしだらなことはやめるべきだ。風紀紊乱もいいところだ。
キリアンにも良くないところはある。キリアンはわたしの騎士なんだから他の用事は全部断ったっていいはずだ。少なくともわたしはそうして欲しいし、そうしてくれたら本当に嬉しい。
だけど、ただでさえ一心にわたしのために働いてくれているキリアンにそんなわがままは言えない。言いたくない。
でも、できることならいつでも一緒にいてほしい。わたしから離れず、視線を逸らさず、ずっと手を握っててほしい。
そう、いっそのことわたしの離宮に彼を閉じ込めてしまいたい。
ダメなのはわかっているし、皇帝になるという夢を捨てることはないけど、せめて思い描くことくらいは許して欲しい。
キリアンを閉じ込めたら、一緒のベッドに寝たい。それと、髪をすいてもらいたい。彼の手櫛でゆっくりと、髪を…………ああ、キリアンの淹れてくれたお茶が飲みたい。
追記
そういえば件の催しについてキリアンは勘付いていないようだ。ひさしぶりの再会となることだし喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。
わたしとしても彼女と会えるのは嬉しい。キリアンの幼少期の話などもっと聞きたいものだ。
(この頁おける記述は『熱愛女帝』時代に皇帝宮に隣接して増設された『忠節宮』の草案となったと言われています。忠節宮は帝国中期における建築美術の傑作と名高く、昨年帝国文化遺産に登録されました。また、『愛の奥院』と呼ばれる寝室は要塞並みの防備を誇ることが広く知られています。現在両建築とも帝室のご厚意により、一般公開がされておりますのでぜひお立ち寄りください。帝国万歳)




