第57話 罰当たりなど知ったことか
ヒルダ妃殿下は帝位簒奪を目論むにたる才覚と美貌、そして精神性を兼ね備えた人物だ。
でなければ、原作において2つのルートでラスボスとして『聖女フレイン』の前に立ちはだかるなんてことはできない。
かくいうオレも彼女のことが嫌いになれなかった。
ラスボスを務める2つのルートにおいてはジークリンデの破滅の遠因であるにもかかわらず、だ。
妃殿下の持つぎらつくような野心。
同じ皇族でありながら正当な手段では皇位を得られぬ理不尽への怒り。
自分を残して夭折した夫への歪んだ執着。
それら3つが絡み合う複雑な内面と鮮やかなまでの策謀。そんな二面性を持つ妃殿下に前世のオレは魅力を感じていたのだろう。
だが、それは決してジークリンデへの敬愛に勝るものではない。
一方、やはり交渉相手としてのヒルダ妃殿下は手ごわい相手だった。
「――では、『凶風』だけではなく『公爵令息』までそちらに渡せと?」
オレの確認に、ヒルダ殿下は簡単には頷かない。
遅れて出されたお茶に口を付けて、ゆっくり息を吐いて――、
「そういうことになりますわね」
と、だけ答えた。
……さすがだ。こちらのせっかちな性格とできるだけ早く動かなければならない事情を把握したうえで、わざと焦らしている。
言ってしまえばただの嫌がらせではある。だが、こちらの判断力を鈍らせ、有利な条件を取り付けるという意味では十分に機能している。
「前者についてはやぶさかではありません。ですが、後者に関しては容認できません」
あらためて分かりきった答えを返す。そうしながらも頭の中ではヒルダ妃殿下、ひいては第三皇統派の思惑について思考をめぐらす。
『凶風』の身柄の引き渡しについては、そもそもの前提条件だ。
第三皇統派としてはこちらに諜報部隊を握られていたのでは取引も何もないし、情報を引き出すための最低限のリスクでもある。
だというのに、ヒルダ妃殿下は『凶風』にくわえて『公爵令息』つまり、イーライ・ヴェル・ヨルドバーンの身柄まで要求してきている。
これが事態をややこしくしている。なにしろ、意図が読めない。
第三皇統派とヨルドバーン公爵家の間には直接の関係性はない。
そもそもヨルドバーン公爵家は領地も帝都から遠く、公爵本人は政治闘争よりも美術品の収集に重きを置くような人物だ。そういう害の少ない人物の息子だからこそ事なかれ主義の長老たちはジークリンデにあてがうことにしたわけだが。
そんなヨルドバーン公爵家の令息に第三皇統派が関心を持っている。
その理由が読めない。公爵家を第三皇統派に取りこもうとしているのだとしてもそう有用な駒だとは思えないが……、
「実を言いますとね、帝都におられるヨルドバーン公爵夫人とわたくしには多少の友誼があるのです。罪を犯したとはいえ、友人のご子息が牢の中にいらっしゃるのを見過ごせませんでしょう?」
そんなオレの疑念を見透かしてか、嘘とも本当ともつかない理由を口にする妃殿下。ありえそうな話ではあるが、第三皇統派全体がそんな個人的な事情で動くとは思えない。
だが、こちらとしては呑まざるをえなくはある。
ことは一刻を争う。こうしている間にも教会があの女暗殺者と『槍の冠』を帝都の外に移動させていないとも限らない。であれば、イーライをくれてやる程度は仕方なしと受け入れるべきだろう。
と、こんな具合にオレは割り切れるのだが、そうもいかない人もいる。
「…………シグヴァルト卿」
オレの名をジークリンデが呼ぶ。
意見を求める時の合図だ。イーライを引き渡すことに関して彼女がかなりの抵抗感を示しているのは背中を見ていれば分かった。
言うまでもなく、イーライはカスの中のカス。これ以上のカスには早々お目にかかれないレベルといってもいい。いわば、カス界の雄だ。
ジークリンデはそんなカスの被害に長年あってきた。普通はそんな相手にはあらん限りの方法で復讐をしたくなるものだが……、
ジークリンデは違う。彼女が気にしているのは筋目だ。
罪を犯した以上はその罰を受けねばならない。ましてや、自分の騎士であるオレが狙われたのだから、オレのためにもすべきことをしなければと思ってくれている。
しかし、時には筋目より優先すべきことがある。
「………わかりました。ヨルドバーン公爵令息の身柄は義姉上にお預けします」
オレが頷くとジークリンデはたっぷりと間を取ってからそう返答した。
オレとて口惜しいが、ただで身柄を渡すわけではない。当然、条件は付ける。
「ですが、公爵令息にはきちんと罰を受けていただく。ジークリンデ様、ならびにバルド殿下の許しを得られぬ限り、登城はおろか領地から出ることも禁ずる『追放刑』です。この条件を呑んでいただけるのなら、公爵令息の身柄を引き渡しましょう」
差し出がましいのを承知の上で、そう口添えする。
刑罰の内容や重さには私情を交えてはいない。
だいたい皇族も出席する晩餐会で暗殺まがいの事件を起こしたんだ。死罪でないだけありがたく思うべきだ。
第三皇統派としても、このくらいのことは織り込み済みだろう。
「承知いたしましたわ。公爵夫人も放蕩息子をご領地にとどめられるということでしたら、納得くださりますでしょう」
「…………そういうことであれば、こちらとしても異存はありません」
条件が整い、ジークリンデが了承する。あとは、第三皇統派の持つ黒幕に関する情報がこちらの譲歩に見合うものであるかどうかだ。
「では、これで晴れて《《『宰相暗殺』と『槍の冠の強奪』をもくろんだ輩》》を捕縛する名誉を、お譲りできるというものです。わたくしも肩の荷が降りますわ」
事情を知っていれば厚顔無恥というほかない妃殿下の一言に、思わず吹き出しそうになる。
『宰相暗殺』と『槍の冠の強奪』をもくろんだ輩、ねえ。これがネットであれば間違いなく「自己紹介乙」と書き込んでいたところだ。
けれど、第三皇統派がすべての責任を教会に押し付けられるようにする、というのは今回の交渉の肝の一つだ。その代わりに、オレたち第一皇統派は犯人確保という名誉と実績を得る。
無論、名誉と実績だけでは食ってはいけない。
きちんと実利も確保する。具体的には教会が帝都に持つ土地と権益を取り上げて、懐にしまう。第三皇統派と多少は山分けせねばならないが、宰相の暗殺未遂に槍の冠の強奪という罪状があればかなり搾り取れる。実に愉快だ。
なんにせよ、肩の凝る交渉事はこれで終わりだ。
ここから先はお楽しみの暴力の時間となる。教会の坊主どもの度肝を抜くのはさぞ楽しいに違いない。
◇
そういうわけで会談を終えてから3時間後、オレは150人の騎士たちを率いて帝都のはずれにある『二股枝聖堂』を包囲していた。
事前の通告も警告もなし。避難誘導もしないし、逃がしもしない。異例かつ政治的には問題があるんだが、そんなことを言っている段階はとうに過ぎていた。
すでに日は暮れかかっている。標的がこの聖堂にいることは確認が取れていた。
ふ、今日ばかりは近衛のヘタレどもを褒めてやらないとな。あいつらの封鎖がなければ逃げられていた。
ヒルダ妃殿下から得た黒幕に関する情報は詳細かつ正確なものだった。
というか、内容から鑑みても少なくとも妃殿下は教会の裏切りを予期していた節がある。そうでもなければ、『凶風』とは別の密偵を雇って帝都内の教会の拠点を見張らせたりはしないだろう。
まさしく狐と狸の化かし合いだ。オレもこれくらいのことは平気でやれるくらいには人間不信にならないといけない。
もっとも、そこまで予期していながら自前の戦力を持たないために直接行動に出られないところが陰謀家の限界でもある。
いい気味だ。こっちにとって第三皇統派との妥協は不本意だったが、むこうが苦虫を噛み潰しているなら溜飲も下がる。
ともかく、妃殿下の情報網によれば黒幕ともいえる『教会』の女は現在帝都の外れにある『二股枝の聖堂』に潜伏しているとのことだった。
正直、それを鵜呑みにしていいかどうかは半々だったのだが、あえて確かめることはしなかった。
相手はプロ、それもあのウルヴを出し抜くほどの実力者だ。変に斥候を出して勘付かれるよりは即断速攻で動くべきだと賭けたのだ。
その賭けには勝った。こうして実際にこの場所に来てみてそう確信している。
なにせ、目の前にある『二股枝聖堂』は堅牢な石造りの聖堂だ。にもかかわらず周囲に人家はなく人通りも少なく目立たない。潜伏場所としてはこれ以上ない立地をしている。
あの女暗殺者はここにいる。であれば、確実に捕らえねばならない。
「シグヴァルト卿。トモエ殿が位置に着きました」
「うむ」
メロヴィくん改めてメロディの報告に頷く。
性別は原作と違っていても万能型の能力値は健在だ。万能王女としてこれからも活躍してもらうとしよう。
メロディくんには前回とは違い、オレと一緒に聖堂内への突入役を担ってもらう。前回のこともあってか、士気旺盛で全身からやる気が立ち昇っているように見えた。
逆に逃げる敵に蓋をするのはトモエにやってもらう。相手も猛者だが、トモエの武勇はそれ以上。彼女なら確実に相手の足を止められる。
上手くすれば挟み撃ちの形になる。
もっとも、そう簡単にはいかないのが世の常というものだが、そこも策を講じてある。
「リーヴァ。敵と遭遇した場合は無理をせず、合図を出せ。いいな?」
「御意。ご武運を、キリアン様」
背後で気配を殺しているリーヴァにも指示を出しておく。
彼女の役割は作戦全体のバックアップだ。高所から周辺を俯瞰し、敵が予想外の動きをした時は即座に部隊全体に通達する。優秀な斥候でもあるリーヴァには最適の任務と言えるだろう。
「では、いくぞ」
「はい。お傍におります」
メロディと精鋭の騎士たちを引き連れて、聖堂の正門へ進む。
すると、門をたたくより先に剃髪した『九界樹教会』の僧侶が中から出てきた。
おそらくこの聖堂を管理する司祭だ。
なにを言ってくるかは大方予想がついている。なので、無視だ。
「な、なにようですか! こ、ここは聖堂ですぞ! いかに貴族と言えども、無礼にもほどが――」
「――失礼!」
一応、謝りながら蒼鉄鋼製の大盾を鋼鉄製の正門に叩きつける。
全力の一撃だ。破城槌に匹敵するとまでは言わないが、どうやらこの門を吹き飛ばす程度の威力はあったようだ。
「な、ななな、なんて、罰当たりな……!」
司祭はオレの行動に目を白黒させているが、よくもまあ自分のことを棚上げできたもんだ。
なにせ、広々とした聖堂の大広間に完全武装の僧兵が所狭しとひしめいているんだからな! 実に愉快だ、こうでなくちゃ面白くない!
◇
ジークリンデの日記より抜粋
二股枝聖堂にキリアンに送り出した時のことをわたしは一生涯忘れることはないだろう。
実を言えば、教会の下手人が聖堂に匿われていると知った時からわたしは怖かった。
涜神や不信心が怖かったんじゃない。教会と敵対することで臣下の心がわたしから離れることが恐ろしかった。
いいえ、それも嘘だ。わたしが怖かったのは臣下全体なんて曖昧なものじゃない。ただ1人の心が、わたしの騎士の心が、キリアンの心がわたしから離れてしまうんじゃないかと怖かった。
でも、違った。
わたしがそんなことを恐れていたということが恥ずかしくなるくらいに、キリアンは居並ぶ騎士たちを前にはっきりとこう言ってのけたのだ。
「罰当たりなど知ったことか」
我が騎士ながらどうかと思うほどの口の悪さだけど、わたしは笑みがこぼれるのを堪えきれなかった。
だって、なんとも彼らしい。わたしが信じる、わたしの愛しく思う、彼そのものな言葉だったから。
「忠誠のどこに罪がある。大樹とやらが死者を裁くなら、むしろ、その教えの矛盾を自ら裁くべきだ。違うか、騎士たちよ!」
キリアンの一声に騎士たちが応える。『然り!』というその声には何の迷いも感じられなかった。
ほかの騎士たちではこうはいかない。キリアンが選び、キリアンが鍛えた騎士たちだからこそ、彼らは一致団結して、事に当たってくれているのだ。
キリアンがいなかったらわたしはきっと生きてはいけない。
彼に依存してはいけないと思うけれど、そう思えば思うほどに愛おしくてたまらなくなる。溢れる想いで心が内側から裂けてしまいそうなほどに。
きっとわたしはこの世界で最も幸運な皇女だ。歴代の皇帝陛下だってこれほどの騎士は臣下にいなっただろう。
でも、それだけに心配だ。
まさかヒルダ義姉様がわたしよりさきにキリアンに声をかけていたなんて知らなかった。
ヒルダ義姉様は賢いお方だ。だから、義姉様がキリアンに目を付けていたことそのものはなにもおかしくないし、むしろ、誇りに思うべきなのだと思う。
一方で、キリアンを最初に召し抱えようとしたのがわたしじゃないと知った時、自分でも信じられないほどの嫉妬心が心に沸き上がった。
本音を言ってしまえば、目の前の義姉様の顔をひっ叩いてしまおうとさえ思った。
なんの由縁も、何の正統性もないのにそうしたくてたまらなかった。
キリアンと出会う前のわたしにこんなことはなかった。
きっとわたしは日々壊れていっているのだと思う。でも、なにより恐ろしいのは、わたし自身は壊れていく自分を好ましく思っていることだ。
キリアンの色に染まって、キリアンの形に変わっていく。それが喜ばしいとさえ感じてしまうのだ。
(本頁に語られるキリアン・シグヴァルト卿による演説は戯曲の題材としてたびたび引用される『忠節公の凶行』の一部分と思われます。かの『忠節公』の原型となったのがシグヴァルト卿であることは有名ですが、彼自身の発言や考えを直接記録した資料は少なく当館においても貴重な資料として展示を行いました)




