第52話 秘密をお話しします
人はあまりにも想定外の事態に遭遇すると身をすくませてしまう。
どんなに訓練された兵士でもあるいは生まれたての赤子もびっくりしすぎると、叫ぶのでも転げるのでもなく固まってしまうのだ。
あの瞬間のオレはまさしくそれだった。
メロヴィくんの胸にくっついたメロンほどの大きさの双丘。そのありえなさに完全に固まってしまっていた。
戦場においてはあまりにも致命的な隙だが、幸運なことにそこを突こうという仇敵はここにはいなかった。
代わりに追いついてきたのは赫奕剣騎士団の騎士たち。
彼らが到着するより先にオレはメロヴィくんの胸元に傷がないのを確認して、再び鎖帷子を着せた。
とっさのことだった。オレ自身もなぜそうしたのかと問われれば理由は分からない。ただこれまで秘密ににしていた以上は何か理由があるのだと思い、メロヴィくんの意思を尊重した、そのぐらいの事しか言えない。
そう、この世界のメロヴィ・ラインゴッズはメロヴィくんではなくメロヴィちゃんだったのだ。
…………マジで? こんなことありえんの?
◇
そんなオレの衝撃を置き去りにするようにすぐにトモエが戻ってきた。
例の女暗殺者の速度はトモエでも追いつけない域に達しており、見失ってしまったとのことだった。
こればかりは致し方ないことだ。むしろ、想定外の強敵と遭遇しながらも味方に犠牲者が出なかったことを評価すべきだろう。
それにまったく成果がなかったわけじゃない。
少なくともあの女以外の『凶風』の構成員は捕縛した。頭目である『ウルヴ』も含めた全員をだ。
もっとも、トモエが突入した2階で起きた出来事はかなり混沌としていたようだ。
トモエが突入した当初は想定通り、『凶風』の構成員たちが彼女の前に立ちはだかった。
オレが裏口から見ていた通り、それを容易く蹴散らしてトモエは進軍していたのだが、その前に立ちはだかったのがあの女だった。
トモエは目にもとまらぬ速度で動く女に対して互角以上にわたり合ってみせたのだという。
これにかんしてはトモエの武勇を褒めたたえるしかない。初撃を初見で防いだ時などフード越しでもわかるほどに女は動揺していたのだという。
それでも相手もやはり驚異的だ。この九界樹大陸の全土を探してもトモエの進軍を止められる者など片手で数えられる程度だ。
……やはり、あの女は『凶風』の構成員ではない。それほど腕の立つものがいたのなら原作でも描写されているはずだ。
原作との差異が大きくなってきたこの世界だが、それでも、描写の欠片もなかった存在が突如として組織に加わったというのは考えづらい。
それに、あの速度。リーヴァの健脚にも近しいものを感じた。おそらくは帝国の人間ではなく異民族出身と見ていい。
と、奇妙なのは女の正体だけじゃない。二階で起きた出来事はさらに奇妙だ。
女とトモエの戦闘中に赫奕剣騎士団の騎士たちは『凶風』のいる部屋に踏み込んだ。
女はトモエの足止めをしていたが、女もまたトモエに足止めされていたのだ。
その部屋でウルヴも含めた『凶風』5名と騎士団員15名での乱戦となった。
勝利したのは、なんと赫奕剣騎士団。数の利も大ききかったが、トモエに鍛えられた彼らの練度が勝ったのだ。
しかも、優秀なことに赫奕剣騎士団は『凶風』のメンバーを生きたまま捕らえた。
これは大きい。やすやすと口を開くこともないだろうし、仲間を売ることもないだろうが、死体を犯人だと言い張るよりも生きている犯人の方が説得力は大きい。
それに、『あの女』についての話を聞けるかもしれないしな。
ともかく、『凶風』は赫奕剣騎士団によって捕縛された。奇妙な事態が起きたのはその直後のことだったという。
トモエと対峙していた女が突如として逃げ出し、味方であるはずの『凶風』、それも頭目であるウルヴに襲い掛かったのだ。
一瞬のことだったという。
女は目にもとまらぬ速さでウルヴを背後から襲撃。背中を短剣で刺し貫き、『槍の冠』を奪い取った。
トモエに言わせれば完璧な不意打ちであり、切っ先には殺意が光っていたのだそうだ。
だというのに、仕損じたのはウルヴが咄嗟に身をかわしたためであり、改めてとどめを刺そうとした二撃目をトモエが阻んだためだ。
そう、ウルヴは生きている。辛うじてではあるが、意識不明の状態でこの赫奕剣騎士団の駐屯地で保護されている。
改めて考えると、とんでもない状況だな!
今現在、『帝国宰相暗殺未遂』および『槍の冠強奪事件』の表向きの第一容疑者と真の第一容疑者が揃っているんだからな!
ほかの派閥のやつらに知られたら終わりだな!
と、自虐してる場合じゃない。ウルヴとバルドの両名が揃っているという状況はピンチでもあるが、チャンスでもある。
なにせ、必要な駒が意図せずに揃いつつある。あとは、その駒を適切なタイミングで、適切な位置に置くだけでいい。
もっとも、その適切なタイミングと位置を知るには必要な情報が欠けているわけだが。
……窓の外には月が浮かんでいる。今は深夜12時を少し過ぎたころだ。
襲撃部隊が帰還してからはもう3時間ほどが経つが、有益な情報はまだ得られていない。
ウルヴが意識不明の重体なせいだ。
『凶風』において任務の詳細を知るのは頭領ただ1人。他の構成員は頭領の指示に従うのみで、尋問したところでそもそも引き出す情報がない。
だから、ウルヴが目覚めないと彼にどんな指示があり、実際に宰相を手に掛けたのかも確かめるすべがない。
そして、あの女の正体とどこに『槍の冠』を持ち去ったのかも聞きようがない。
……ウルヴに関してはすでに手を打ってあるが、それに関しては結果を待つしかない。そろそろだとは思うんだが……、
「一体、どこのどいつだ、あの女」
執務室の机の上で、指を躍らせる。瞼を閉じて何度も記憶を探るが、該当する人物はやはり出てこない。
リーヴァ並の速度を持ち、トモエ相手に食い下げることのできる武芸者。オレの知る原作知識の中には片方に該当する人物はいても、両方の条件を満たすとなると思い当たる顔がない。
となると、原作には登場していない凄腕の武芸者ということになるが、それほどの腕前の人物が噂にもなっていないというのは考えづらい。
一応、オレにも情報網はある。特に有用そうな人材に関してはつねにアンテナを張っているし、帝都に強者の噂があれば即座に確かめ、スカウトする体制も整えている。
すべては第一皇統派、ひいてはジークリンデのためだ。彼女が皇帝になるには、いや、彼女が皇帝になってからも有能な人材は必要不可欠。そこに妥協はない、まだまだ人材は不足している。
だというのに、あんな女の話は聞いたことがない。
だから、あの女は帝都に来たばかりの新参者か。あるいは表舞台に身をさらすことのない何者か。おそらくは後者だな。
だが、そうなると素性を掴むのが難しい。どこの勢力も万が一の事態に備えて隠し玉の一つや二つは備えているものだ。
ましてや、今回の事件にどれだけの勢力が絡んでいるのか、正直言って想像がつかない。素直に第三皇統派の人間だと考えたいが……どうにも、そう単純な話じゃない気もしている。
「――失礼します」
そんな風に頭を悩ませていると、消え入りそうな声がドアの向こうから聞こえた。
そういえばあとで話をしようと言っておいたんだった。
自分からこうしてきたということはもはや白状するしかないと観念したのだろう。
……まったくいろいろと起こる日だ。事前に仮眠をとってなかったら脳味噌がパンクしてたかもしれん。
「どうぞ」
少し待ってから招き入れる。扉が控えめに開いて、そこから滑り込むように彼、いや、彼女は入ってきた。
メロヴィくん、改め、メロヴィちゃんである。
いつも通りの金髪にいつも通りではない憔悴した表情。鎧と鎖帷子を脱いでシャツにズボンといういで立ちだが、この服装だと性別がはっきりとわかる。
女性だ。
めちゃくちゃ女性だ。少し背が低いとか声が高いとかそういう誤差の範囲ではないレベルで原作とは違う。
まず色々と大きい。鍛え込んであるので細身ではあるのだが、そのせいか逆にいろんなものが強調されていて――って、いかん、これではセクハラになる。
だいたい、当人は秘密がばれたばかりでショック状態だし、なんかこう、色々と良くない。傍から見たら悪役貴族が弱みを握った女騎士をなぶっているようにしか見えないだろうし。
……しかし、これに気付かないって……自分の眼に自信がなくなってきたぞ。
「まあ、座ってくれ。君も疲れただろう」
「…………はい」
とぼとぼと歩いてきて、素直に椅子に腰かけるメロヴィちゃん。
泣いていたのか腫れた目元と沈んだ表情のせいでどうにも悪いことをしているような気分になる。
……これもある種の魔性か? 立場的には責めるのはオレの役割のはずなんだが、いつの間にか攻め込まれている気がする。
「さてと、メロヴィくん、いや、メロヴィくんでいいのか? ともかく、君のことを聞かせてくれ」
といっても、立場はともかくとしてオレ個人には彼女を責める気は正直ない。
ありていに言ってしまえば、隠していたことそのものはどうでもいい。強いて言えば、何故隠していたのかに興味があるくらいだ。
「……はい。ボクの、いえ私の名は、『メロディ』と申します。『メロディ・ラインゴッズ』。それが本当の名前なのです」
しずしずとメロヴィ改めメロディは名乗りを上げた。
原作の同一人物の快活さからは想像できないほどの控えめさだが、長い間隠し通してきた秘密を明かしているのだからこんなもんといえばこんなものなのかもしれない。
「そうか。では、これからはラインゴッズ卿と呼ばねばならんか」
「…………はい」
いくら部下とはいえ、さすがに未婚の女性を上の名前で呼ぶの憚られる。蛮族と呼ばれるのにはなれたが、軟派者とか女たらしとか呼ばれるのは避けたい。
統一帝国においては女子の騎士への叙任も爵位、及び家督の相続も認められている。『恩寵』とも呼ばれる身体能力の強化は性別を問わずに発動し、男女間での戦闘への適正に大きな差がないためだ。
だから、性別を偽るメリットはそこまでない。そこまでないのだが、特段の事情があれば話は別だ。
「……ラインゴッズ家では女の当主は許されないのです。400年前、一族の娘が犯した罪のせいです」
語られるのはオレも聞いたことのない秘話。
原作においてはメロヴィくんの実家ということ以上の情報はほとんどないラインゴッズ家だが、どうやらなかなかの秘密があるようだ。
「その娘は、恋に正体を失ったとされています。相手は、当時の皇配となられた方で、すでに婚約もされていた、とか。ですが、娘は諦めませんでした。そして、横恋慕に慕情と恨み募らせた末に……」
「弑逆を企んだ、と」
オレの確認にメロディが頷く。
はぇーマジか。400年前で王配といえば、あれか、『エルフリーデ一世』の頃の話か。エルフリーデはあまり記録のない皇帝なのだが、そんなエピソードがあったとは。歴史と奥深いな。
「……計画は未然に防がれたそうです。ことは大逆です。企んだ時点で罪は免れません。ですが、皇配殿が助命の嘆願をなさり、女帝はそれを受け入れられたのです。その代わり、ラインゴッズ家では、女が家督を継ぐことは許されなくなりました。
「…………それで君は性別を偽ったのか」
納得できる理由ではある。
大逆罪といってもことが公にならなかったがゆえにできた処置ではあるのだろう。それでも、未来永劫に女性の相続を許さないとは重い罰だ。実際そのせいで目の前の彼女は苦労しているわけだしな。
となると、気になるのは男の『メロヴィくん』の行方だ。彼はどうなったのだろう。
「メロヴィ、というのは幼しくて流行病で亡くなった兄の名前なのです。ラインゴッズ家にはほかに男児はおらず、家門の存続のために、兄の名を借り受け、今日まで生きてまいりました」
膝の上で掌を組み、指を動かすメロディ。彼女なりに落ち着こうとしているのだろうが、伏せた顔から零れる涙と震える声は隠しようがなかった。
……オレは彼女に同情できない。オレのような欠けた人間では彼女の苦悩や苦労を創造することしかできないし、感情に共感してあげることもできないからだ。
けれど、惜しいと思う。こんなことで有能な味方を失うわけにはいかない、と。
しかし、そうか。メロヴィくんは流行病で死んでいたか。原作では彼に妹がいるなんて話を聞いたことがないし、これは決定的な差異だ。
この世界はやはり、オレの知る帝国物語の世界とはよく似た別の世界なのだと改めて思い知った。
もっとも、それで何かが変わるわけじゃないが。
「ですが、これらはすべて我が家のみの事情。嘘を吐き、主をだまし、尊敬するシグヴァルト卿までもを欺いた罪を免れようとは思いません。どうか、どうか……! 厳正なるお裁きを……!」
机に頭を打ち付けそうな勢いで、頭を下げるメロディ。
そんな彼女を見下ろすように、オレは椅子から立ち上がる。右手で腰の剣の柄を握り、その刀身を抜き放った。
窓からの月光が冷たい金属に反射する。その輝きを目にしたメロディは静かに椅子から降りて、オレに対して首を垂れた。
処刑の態勢。覚悟を決めたのだ。この場でオレに殺されることを甘んじて受け入れたのだ。
……いや、違うな。そつがない彼女のことだ。すでに部屋には遺書も用意してあるだろう。オレが殺さなければ自ら胸を突いて死ぬつもりだ。
そんなことはさせない。まだ楽になってもらうわけにはいかない。
「――メロディ・ラインゴッズ」
《《剣の腹》》をメロディの右肩にあてる。それに彼女が反応するより先に、オレは左肩の方にも同じことをした。
「我が主君、ジークリンデ・ヴェル・オーディンソアにより与えられた権限によりあらためて汝を騎士に任じる。栄えある赫奕剣騎士団の一員として、重責を果たせ」
オレの宣言に、メロディは失神しそうな勢いで驚き、慄いている。
殺されると思っていたところに、改めて騎士に任じられたのだからまあ無理もないか。
といってもこれは所詮、真似事だ。本来の作法に則ってもいないし、オレはあくまでジークリンデの代行に過ぎない。
しかし、ジークリンデの臣下として彼女に忠を尽くすものとして断言できる。
メロディ・ラインゴッズの働きと真心には嘘はなかった。であれば、性別が違おうが、他にどんな秘密があろうが、構うものか。こんな有能を手放すなんて絶対にありえない。
それに、だ。
「これで、君の秘密はオレのものだ。期待しているぞ、ラインゴッズ卿」
メロディの傍にしゃがみ、そう告げる。
彼女の忠誠心を疑うわけじゃない。でも、これで彼女をあらゆる意味で身内として扱うことができる。絶対に裏切らないと断言できる相手とその根拠は多ければ多いほどいいものだ。
無論、メロディには赫奕騎士団に残ってもらうつもりだ。これまでの働きぶりを鑑みれば性別の違いなんて些細な問題だと言い切れる。
これもジークリンデのためだ。メロディの秘密を利用する痛みは呑み込んでみせるとも。




