第51話 胸の衝撃
帝都の各所に配置した無料療養所を設立したのは、言うまでもなく我らが尊敬すべき仁義の君主ジークリンデだ。
彼女は傷を負い困窮した負傷兵や戦に巻き込まれた難民を憐れみ、彼らのために無料で治療を受けられる療養所を自分のポケットマネーで創建したのだ。
帝都には腐るほど金を持った皇族や貴族は大勢いるのにそいつらは誰一人として民を救おうとしなかった。慈悲深さで知られる『慈愛帝』ハゲネ三世でさえ直接的に民に施しはしなかった。ジークリンデだけが民を救おうとしたのだ。
なんという慈悲。なんという暖かさだろう。オレは前世でこのことを知った時に、ジークリンデを心から尊敬した。彼女が名誉や人心を買うためにではなくただただ民を救うためにそうしたのだと理解できたからだ。
そんなジークリンデの慈悲を『凶風』は利用した。無料でかつ匿名で治療を受けられるという点を悪用したのだ。しかも、ジークリンデの経営する療養所を利用することで彼女に責任と罪をなすりつけようとまでした。
そのことを理解した時点でオレの中にあった『凶風』とそれを率いるウルヴへの最後の温情は跡形もなく砕け散った。
もはや、骨の一片さえも地上には残さないとそう決意したのだ。
「――作戦の最終確認だ」
そんな不断の意志をもって、オレは居並んだ配下たちにそう告げた。
帝都の東側にある療養所から少し離れた廃屋でのことだ。
すでに日は暮れて久しく、周囲は静けさで満たされていた。
『凶風』が一体どの療養所を利用しているのか把握するのは簡単だった。
なにしろ表立って名前を出していないとはいえ療養所の創設者であり管理者はジークリンデだ。彼女が一声かければ情報は集まってくる。
それらの情報から特定したのがこの東療養所だ。中に『凶風』の一団がいるのはすでに確定しているから、あとは踏み込んで制圧するだけだ。
敵の数も全部で12人ということが分かっている。その内2名が負傷しており、戦えるのは10名程度だ。
といっても、『凶風』を皆殺しにはできない。できれば主要構成んは生け捕りにしないといけない、トモエにそう道理を説かれてしまっては頷くほかなかった。
イーライに対してもそうだ。アイツから話を聞きだしたあと、オレとしては顔面を陥没させてやろうとしたんだが、トモエが止めてくれた。
少し前まで殴るどころかイーライを殺そうとしていたトモエがオレを制止するというのもおかしな話ではあるんだが、あの時は冷静じゃなかった。
やはり、オレはジークリンデのこととなるとタガが外れてしまう。そういう意味ではトモエが抑え役になってくれたのは幸運だった。
……滅私奉公は前提だが、だからといって我を忘れてはいけない。真にジークリンデのためを思うならなおのことそうだ。
だが、黒幕相手にはそんな自制はいらない。見つけ次第、オレの大盾で壁のしみにしてやる。
「正面入り口からはトモエの隊が。裏口からはオレが踏み込む。周辺の抑えはメロヴィくんに任せるぞ」
オレの確認に皆が頷く。今回導入する兵力は90名。それらを30人ずつの小集団に再編して、療養所の周囲に配置した。
「打ち合わせ通り、まずは療養所の人員の安全を確保する。彼らを出口に誘導しつつ、トモエは二階へと進んでくれ。メロヴィくんは逃げ出した人員に敵が混じっていないかどうかの確認を頼む」
療養所は比較的新しい建物だから未確認の抜け道や地下道の類はない。
だから、作戦自体はシンプルだ。敵の三倍の兵力で前後から挟み撃ちにして一息に制圧する。いかに『凶風』が精鋭揃いとはいえ正面からこの兵力差を覆すのは難しい。
各所の指揮官にもトモエとメロヴィくんを配置した。2人であれば仕損じることはそうそうない。
駐屯地にも騎士を残しているし、指揮はコドール卿に任せた。彼ならば留守を任せられる。
今回の作戦に関してもジークリンデは同行を望んだが、そればかりは固辞した。
危険すぎるし、なにより、彼女の慈悲の象徴ともいえる療養所が戦場になるところを見せたくない。
問題があるとすれば、それこそオレくらいだ。能力値的にも本来であればコドール卿に任せてオレは引っ込んでいるべきだろう。
だが、今のオレは怒りに燃えている。ジークリンデの善意を利用した『凶風』を決して許すなと魂が滾っているのだ。
であれば、退くことはできないし、しない。この手で『凶風』には報いを与えてやる。
「では、合図はトモエに一任する。君の突入に合わせてオレも踏み込む」
「了解」
「これで最終確認は終わりだ。各自の奮闘を期待する」
そうして最後の軍議を解散し、配置につく。
オレが担当するのは療養所の裏口の守り。踏み込んできたトモエに弾かれるようにして逃げ出してきた『凶風』をここで捕縛するのだ。
◇
打ち合わせ通り、午後八時ちょうどにトモエが正門を破った。
『凶風』に悟られないために療養所のスタッフに事前の通知は行っていない。
だから、彼らにしてみれば突然、着物姿の黒髪美少女が扉をぶっ飛ばして押し入ってきたことになるわけだ。
少し遅れて悲鳴が聞こえてくるが、当然、対処法は授けてある。
ジークリンデの軍旗だ。通常戦場以外で軍旗を掲げることはありえないが、部隊の素性をこれ以上分かりやすく示すものはない。本人も使っていいと言ってくれたんだから、誰かに咎められるいわれはない。
事実、軍旗の効果もあって混乱は最小限で収まったとみえる。無論のこと『凶風』にもオレ達の到来は伝わってしまっただろうが、これに関しては織り込み済みだ。
状況から言って完璧な奇襲は見込めない。だから、部隊を二重、三重に配置して取りこぼしを防ぐ。
『凶風』の身柄さえ確保してしまえば、あとは『槍の冠』の隠し場所を突き止めるだけでいい。
そうなれば詰みだ。黒幕を見つけて、この盾を叩きつける瞬間を思うと自然に笑みがこぼれた。
「――始まったな」
そんなことを考えていると、二階の窓から人間が降ってくる。
落ちてきたのは黒ずくめの男。『凶風』の構成員だ。辛うじて生きているのですぐさま騎士たちに確保させた。
ぶっ飛ばしたのは間違いなくトモエだ。
さっきから二階の方で大砲をぶっ放しているような破砕音が絶え間なく連続している。戦闘中だ。
……油断はできないが、さすがはトモエといったところか。
武力100の猛威の前に『凶風』といえども防戦一方のようだ。
そうはいっても、だ。どうやら高みの見物というわけにもいかないらしい。
「――ハッ!」
「ぐぇ!?」
トモエの猛攻から逃れ、裏口に駆け込んできた構成員を大盾で吹き飛ばす。壁に叩きつけられた構成員はそのまま意識を失った。必要以上に力がこもってしまったが、どうやら殺さずに済んだようだ。
続けざま窓から飛び降りて突破を図る者がいるが、着地した瞬間を赫奕剣騎士団の騎士たちが即座に取り囲む。一応、生け捕りにするように命じているので盾で押し込んでそのまま確保だ。
流れ作業だな。
トモエに追い立てられた構成員たちは一階の裏口か、あるいは窓から飛び降りて逃げようとする。例えその先にオレが待ち受けていると分かっていてもそうするしかない。トモエを相手にしても勝てないと分かっている以上、そうするしかないのだ。
まさしく袋のネズミ。あとは窮鼠に嚙まれないように注意深く、一匹一匹丁寧に処理していくだけだ。
それから数分間でさらに三名の構成員を捕縛した。これで残りは半数である五名ほど。
頭目であるウルヴを捕縛したという報告は受けていないが、それも時間の問題だろう。
どうやら赫奕騎士団がオレの想定よりも強くなっていたらしい。
これもすべてトモエのおかげだ、彼女が真剣に騎士たちを鍛えてくれたからこそ『凶風』相手にこうも戦えている。
オレ自身に関してもそうだ。
時折トモエと手合わせしているおかげもあって体裁きや技の精度が前とは格段に違ってきているのが分かる。今のオレの武勇は70後半は固いと見た。一線級にはまだ遠いが、十分に使えるレベルにはなったというわけだ。
「――静かになったな」
それから3分ほどで、二階から聞こえていた轟音が止む。
どうやら決着がついたらしい。ずいぶんとあっさりとした決着だが、トモエにしては時間が掛かった方だ。
「トルバン卿、内部の様子を見て来てくれ」
状況確認のため騎士の1人を療養所の内部に送り込む。
ジークリンデが悲しむし、ベッドとかそこら辺の備品がそこまで壊れていないといいんだが……、
「――キリアン! 一人逃げた! 女! かなりの手練れだ!」
トモエの声が響いたのはその時だった。
直後、二階の窓から飛び出した人影が空中で身をひるがえす。いかなる原理か、その人影は10メートル以上は離れた対面の民家の屋根にふわりと降り立ってみせた。
その手にあるのは人間の頭ほどの大きさの包みだ。
中身がなんであるかは一目瞭然。『槍の冠』を持っている。
オレの知る限り『凶風』にこんなに腕の立つ女はいなかったはず。一体何者だ?
「オレが追う! お前たちはここに残れ!」
すぐさま止めてあった馬車の荷馬車の上に駆け上がり、そこから跳躍。屋根へと降り立つ。
そのまま人影を追うが、細い背中は驚くほどの速度で遠ざかっている。こちらが大盾分の重さがあるとはいえ、これほど早いとは。リーヴァ並みだぞ、こいつ
これでは逃げられてしまう、そう思った瞬間、人影の前に立ちはだかるものがいた。
「そこで止まれ! 止まらねば斬る!」
メロヴィくんだ。指示するまでもなく敵の逃走経路を予測して、屋根の上に昇っていたのだ。
見事だ。原作の攻略対象はこうでなくちゃな。
トモエの言う通り相手は手練れだが、このまま挟み撃ちにすればあとはどうとでもなる。
しかして、そんなオレの甘い想定は瞬く間に砕け散ることになった。
「――ぬるい、な」
「っ!?」
オレに見えたのは、女が急加速したかと思えば次の瞬間にはメロヴィくんが口から血を噴いていたという結果のみだ
まさしく目に留まらぬ早業で、女はすれ違いざまにメロヴィくんを倒したのだ。
その刹那、判断を迫られる。
メロヴィくんを放置して女の背を追うか、あるいはこの場に留まり彼を救うか。オレが選んだのは――、
「――メロヴィくん、しっかりしろ!」
当然、後者だ。倒れそうになる彼の体を支えて、慎重に屋根の上に寝かせた。
オレの脚ではあの女には追い付けない。
いや、追いつけたとしてもここでメロヴィくんを死なせることはジークリンデにとってもマイナスでしかない。元から選択肢は一つだ。
メロヴィ・ラインゴッズはこんなところで失っていい人材じゃない。それこそ槍の冠程度、彼の命が救えるなら捨てても構わない。
「キリアン!」
数秒もしないうちに、トモエが追い付いてくる。あの女と同じように屋根に飛び移り、駆けてきたのだ。
「女を追ってくれ! 油断するな! 何か妙だぞ!」
「うん! 任せて!」
追撃をトモエに頼む。
相手は奇妙な技を使う。さすがのトモエでも一人では心配だ。メロヴィくんの状態を確かめたらすぐにでも追わないと。
「――っぐ、ぅぅ」
メロヴィくんが腕の中で苦悶にうめく。
見れば彼の甲冑の胸甲の中心部分が無残に凹んでいる。このせいで呼吸が阻害されているのだ。
「メロヴィくん。甲冑を外すぞ。すぐに楽になる」
「お、お、ま、ちを……ど、どうか……」
何か言っているがこの際無視だ。オレは手早く留め金をはずし、胸甲をはぎ取った。
よかった。鎖帷子に穴は開いていない。血が滲んだり、骨が砕けている様子もない。何かが高速で胸甲に激突し、装甲をへこませただけのようだ。
「だが、念のために脱がせるぞ」
「お、おまちを、まって、ちょっと、あの――!」
なぜか抵抗するメロヴィくんを無視して、鎖帷子を脱がせる。まあ、抵抗と言ってもまだ体に力が入らないようなので全然問題は、問題は…………はい?
鎖帷子の下には、当然、シャツを着ている。誰だって着ている。オレだって着ている。
でも、その下に、何かある。柔らかな感触を想起させる2つの大きな山。荒い呼吸に合わせて微かに揺れるそれは、間違いなく男のオレの身体には備わってないものだった。
「―――ん? んんん?」
思考が停止する。衝撃度で言えば、宰相が負傷して『槍の冠』が強奪された時にも匹敵した。
なんで、メロヴィくんに、おっぱいがあるんだ……?




