第46話 『槍の冠』強奪事件
『宰相グスタブ卿、危篤』ならびに『槍の冠の強奪』。その報を聞いた瞬間、オレは背骨が氷の柱に置き換えられたような錯覚を覚えた。
事件は終わっていなかった。それどころかオレの暗殺未遂なんてものは前座も前座、いや、囮だったのだと気づいてしまった。
だが、怯懦などしていられない。ことは一刻一秒を争う。今動かなければ大惨事になりかねない。
「メロヴィくん。すぐに騎士団の部隊長を招集し、待機させておいてくれ」
「そちらはすでに。それと独断ですが、帝城にも何人か走らせております、ジークリンデ様もすでにご準備を整えて馬車でお待ちです」
「さすがだ。公爵令息の身柄を預けるが、オレが戻るまではなにもするな。コドール卿と留守を頼むぞ。警戒を怠らず、かつ怪しまれるようなことはしないように」
「御意!」
指示を受けて走り去っていくメロヴィくん。彼とイーライを移送しているコドール卿ならオレの意図を汲んで動ける。留守は大丈夫だ。
「キリアン。わたしはどうする?」
トモエが言った。彼女にはイーライの拘束に同行してもらっていたが、ほとんど抵抗がなかったので出番がなかった。
昨夜の蒼いドレスを着たままだが、鎧などなくてもトモエの武勇は十全だ。
「君もここに。仮眠をとって万全な状態でいてくれ。場合によってイーライを取り戻しにくる敵がいるかもしれない。押し入ってこようとしたら出番だ。その時に備えてほしい」
「……貴方の方は? いいの?」
こんな時に仮眠などできないなどというまどろっこしい話はなし。
トモエは戦を知っている。僅かな空き時間を休養として有効活用するのは当たり前の心得だ。
「今帝城で事を起こすやつはそういない。いたとしても、なんとかなる。それより、こっちの方が心配だ」
「わかった。任せて。それと、無事に戻って」
「無論だ」
トモエに見送られて早朝の駐屯地を早歩きで進む。
正直オレ自身も混乱しているが、これでも騎士団の副団長だ。こういう時だからこそ内心の焦りや恐怖を部下に見せてはいけない。
メロヴィくんが手配した馬車にはすでにジークリンデが乗り込んでいた。
彼女も徹夜だ。臣下として申し訳ない気持ちになるが、事態が厄介すぎてそんなことを言ってられない。
オレが着座するとすぐに馬車が走り出す。
目的地は宰相府ではなく帝城だ。グスタブ卿は『槍の冠』を帝城の宝物殿に納める手はずになっていたのだが、その直前に襲われたということは報告から分かっていた。
「帝城に到着したら、まずは宰相のお見舞いをせねばなりません」
「……それは、二人でですか? 貴方は現場の確認に行った方がいいのでは?」
「それも考えましたが、おそらく現場は近衛が抑えています。そこに自分一人で訪れれば無用な疑いを買いかねません。ですので、お見舞いには二人で」
まさかジークリンデの方から別行動を提案してくれるとは思わなかったが、言った通りの理由でオレ一人で現場に行くのは避けたい。
今の帝城は疑心暗鬼の万魔殿だ。少しでも怪しい真似をすれば、いや、怪しくはなくても犯人にされかねない。
「…………晩餐会が終わった時点で、警護は近衛に引き継いだはずです」
「ええ。その確認はしております。ですが、今の帝城では道理は通じぬものとお思いください」
「……そうですね」
ジークリンデの言う通り、晩餐会の終了時点で警護の責任は帝城を警備する近衛兵団に引き継いだ。
元より晩餐会の警護を赫奕騎士団が担当していることの方が特例だったんだ、本来の手続きではあるし、そのあと何が起きたとしても赫奕剣騎士団および第一皇統派には咎はない。
だが、そんな道理はどうとでも捻じ曲げられてしまう。
特に第三皇統派としてこんなチャンスもそうない。ありとあらゆる手を使って理屈をこじつけ、第一皇統派の責任論を持ち出してくるはずだ。実際、直前まで警備を担当していた時点で難癖のつけようはいくらでもある。オレが彼らでも間違いなくそうする。
それをどうにかして防がねばならない。手はいくつか思いつくが、まずは情報をじかに確かめなければ自分の首を絞めることになりかねない。
だから、帝城に急ぐ。同時にこれは少しでもジークリンデを疑いから遠ざけるための政治工作でもある。
しかし、ジークリンデから事件の責任論についての言及があるとは思わなかった。
さすがだ。高潔さはそのままに政治的なセンスも身に着け始めておられる。これは早晩、オレなんか添え物になるな。すばらしい。
「………昨夜のことですが」
「はい。ヨルドバーン公爵令息に関しては拘束しておりますが、もしかすると、彼の行動も宰相閣下の事件と関連があるやもしれません」
「…………そのことでもありますが」
オレがイーライのことについて話すと、ジークリンデは少しだけ残念そうに眉をひそめる。
……どういうことだ? 昨夜といえば――ああ、月光の間の件か。
「ジークリンデ様。そちらに関してもご内密に。秘した方が輝く宝もあると申しますし」
「――っそう、ですね。わたしも、同じ思いです」
オレに意が通じたことを喜んでいるジークリンデ。
よかった、オレなんかでも彼女の帝城で踊りたいという欲を解消する大役が務まったようだ。ダンスは苦手なままだが、メロヴィくんやトモエに感謝だな。
馬車が停車する。
帝城の前は不気味なほどに静まり返っているが、いつもの2人組の門番の動揺を押し殺した様子からも何か起こったのは明らかだ。
石段を早歩きで、かといって急ぎすぎに登る。
面倒だが、こういう時の印象は大事だ。普段通りの過ぎるとそれはそれで怪しまれるし、かといって余裕がないように見えたり、慌てているように見えるとそれもよくない。
そういうわけでほどよい速度で階段を上がり、アースリア城に入城する。すると、メロヴィくんが先行させていた騎士たちが駆け寄ってきた。
「殿下。副団長」
「うむ。ご苦労。宰相閣下はどちらに?」
「東棟の空室においでです。とりあえずは、ですが」
騎士の一人から報告を受ける。
どうにも煮え切らない物言いなのは宰相が未だ危篤の床にあり、次の瞬間にはどうなっているのか分からないためだ。
「自分と殿下はお見舞いにいく。君たちはこのまま情報収集を頼む。ただし目立たないようにな」
「おまかせを!」
城内の様子を探るのは騎士たちに任せて、東棟へと向かう。
本来、東棟は皇族以外の帝城に住まうものたちの居住区だ。皇帝崩御以来、使用人の数も減り、空き部屋が増えていた。そのうちの一つに瀕死の宰相を運び込んだというわけか。
しかし、一体誰の仕業だ……?
オレの知る限り、宰相グスタブ卿の暗殺未遂事件が起きるのは『戦鎚の間』で行われる晩餐会の最中だ。直前でも直後でもない。こればかりは主人公である聖女フレインがどんなルートを辿っても共通して起こる出来事だ。だから、この世界でも宰相が狙われるとしても晩餐会の席でのことだと思っていた。
それがこのざまだ。晩餐会の終了直後に宰相は狙われ、『槍の冠』は強奪された。
想定できる事態ではないが、それでももう少しはどうにかなったはず。それこそリーヴァがここにいるか、諜報部隊を抱えていれば宰相の監視に回してもっと早く事態を掌握することができていたはずだ。
……今後の反省点だな。
そうはなるまいと考えつつも思考を原作という枠組みに囚われていた。すでにオレという変数が代入されているにもかかわらず、ほかのことは原作知識通りになると無邪気にも信じてしまっていたんだ。
だから、これからはもっと柔軟に、かつ積極的に動く。原作知識の有用に使える部分は使いつつ、そこに縛られずに事態に対処するのだ。
「……ここのようですね」
そうこうしているうちに東棟へとたどり着くと、目的となる部屋がどこかは一目でわかった。
東棟に入ってすぐの部屋の前に人だかりができている。オレ達と同じ見舞客がそこにはたむろしていた。
「第一皇女殿下……」
「皇女殿下だ……見舞いにいらしたのか」
「間違いない。隣にいるのは昨日の従者だ。相も変らぬ狂暴な面構えよな」
見舞いに来ているのは昨日の晩餐会にも招待されていた貴族が大半だ。
彼らも混乱の最中にあるようだが、オレたちの登場には目ざとく気付いた様子だ。
こいつらの目的もおそらくはオレたちとそう変わらない。疑われないための言い訳づくりか、あるいは情報収集のために集まったのだろう。
……この中に宰相を狙った犯人がいるということも十分に考えられる。ぱっと見たかぎりではそんな度胸や計画性を持ち合わせている人物は見当たらないが、ここはフラットに全員を疑うべきだろう。
そんな容疑者たちの間に分け入っていくとさらに奇妙なものがオレ達を待ち受けていた。
部屋の扉の前に立つ守衛。宰相が襲撃された以上、護衛がつくのは当然のことだが、その護衛の所属が不可解だった。
胸に輝くブローチ。翡翠色の槍を象ったそれはこいつの正体を物語っていた。
「……第一皇女ジークリンデである。宰相殿危篤と聞き、参上した」
「ご尊顔を拝し光栄の至りでございます、ジークリンデ殿下」
しかも、件の護衛はあろうことかジークリンデが目の前に来てもドアを開けようとはしない。仁王立ちで立ちふさがり、オレ達を阻んでいた。
「ですが、宰相殿は面会謝絶でございます。いかなる御方でもこの扉を通すなと厳命を受けております」
何たる無礼か。たかが騎士の分際でジークリンデの邪魔をするとは。
許せん。
「……命令を下したのは、何者か」
「我が主、第三皇子『エイリオン・ヴェル・トーリンソン』殿下でございます」
答えを分かっていながら問うたジークリンデに騎士は右拳を心臓の前に掲げて答える。
第三皇子エイリオンの配下『翡翠槍騎士団』所属の騎士、つまり、この騎士は皇都における最大派閥『第三皇統派』に属している。
なぜここに第三皇統派の騎士がいて、宰相の護衛を命じられている……?
昨夜の晩餐会に第三皇統派の貴族は出席していたが、だからといって、宰相の護衛をしているのはおかしい。
明らかに、何かがある。
ただ今回の宰相暗殺未遂と槍の冠強奪を政治的機会と捉え動いただけじゃない。明らかに何らかの意図をもって第三皇統派は蠢動しているのだ。
上等だ。なにが目的であれジークリンデを害するつもりなら一切の容赦はしない。その企みも面子も叩き潰してくれる。
そうと決まれば話は早い。目の前の騎士を叩きのめしてでも、宰相の容態を確認せねばならない。
なに、理由はどうとでもなる。目撃者も『凶戦士』のやることには口をつむぐ。仮に処罰されるとしてもオレが罪の一切を引き受ければいいだけの話だ。
さあ、右こぶしを握って――、
「――曲者だ! 曲者がそっちにいったぞ!」
廊下の向こうから叫び声が響いたのはその時だった。
すぐさまジークリンデを背中に庇い、剣の柄に手を掛ける。儀礼用の剣だが、使えないこともない。なにより、ジークリンデが背後にいる以上、相手がトモエであっても阻んでみせる。
だが、廊下の角から走ってきたのは――、
「姉上! 義兄上! 助けてくれ! 僕は犯人じゃなあああい!」
見知った顔が半べそかきながら近づいてくる。
フードを被っているが、この声といい、正面から見える顔といい間違いない。
赤混じりのブロンドに金色の瞳。ジークリンデに似ているがどこか気の抜けた顔立ちは、間違いなく第二皇子バルドのものだった。
なにやってんだ、こいつ。




