第45話 月明かりのワルツ
ジークリンデが怒っている。
それもオレが今まで目にしたことがないほどに激しく、鮮烈に怒りの感情をあらわにしていた。
表情そのものはいつもとそう大きな変化があるわけじゃない。でも、発せられる気配が、そして、オレのジークリンデに対してのみ働く第六感が彼女が尋常ならざる心境であることを察していた。
狭い物置の入り口が歪むようだ。扉の向こうから見張りの騎士たちが恐怖に張り詰めた顔でこちらをうかがっていた。
会場の警備とジークリンデの護衛に関してはトモエとメロヴィくんに任せていたが、2人では止めきれなかったか。
一応、2人の騎士を護衛に付けてくれているが、彼らもオレの方を困り切った顔で見つめていた。
「コドール卿に命じます。いますぐ、その下手人の首を落としなさい。目障りです」
ふたたびジークリンデが言った。
ベテランのコドール卿ですらその声には困惑と恐怖を隠せない。死を命じられたブラン卿にいたっては失神寸前だ。
それほどまでにジークリンデの声色は冷たい。北の大氷海から吹く死の風でさえ、この一声の前には温風のようなものだ。
コドール卿がこちらに視線を送る。騎士としては主君の命に逆らえないが、それでいいのかと問うていた。
……ジークリンデの怒りの理由は、分かる。
分かるがゆえに、オレ以外に彼女に諫言できるものはこの場にはいない。これもまた従者の役目、忠誠の証だ。
「ジークリンデ様。臣下として申し上げます」
「…………なぜ、あなたがこんなものの助命嘆願をするのです」
さすがはジークリンデだ。ぞっとするような声色はそのままだが、それでも冷静にオレの言葉を予想している。
しかし、こんなものときたか。ジークリンデらしくない言葉遣い。まさしく怒髪天を突くというわけだ。
オレが命を狙われたことにそこまで感情を動かしてくれていることには感無量ではある。けれども、それと臣下として言うべきことを言うか言わないかは別問題だ。
「彼、ブラン卿は確かに我が命を狙いました。ですが、その凶行は何者かに命じられ、また、強制されたもの。主命を盾に、一族郎党の命を握られ、一体誰が逆らえましょうか」
幸い、オレはジークリンデが何を重んじて、何に心を動かすかを知っている。つまり、彼女の心に響く言葉を絞り出すのはそう難しくないのだ。
今のジークリンデがかつてないほどに激怒していても彼女は本質的には優しい人だ。
優しいということは他人の事情を慮る知性を持ち、相手の立場に立ってモノを考えることのできる共感性をもち合わせているということ。
であれば、ブラン卿が使い捨てられたと理解してなお容赦なく切り捨てることはジークリンデにはできない。
このお方はそういう人だ。そういう人だから誰よりも権力者に向かず、同時に誰よりも権力に相応しいのだ。
「…………我が騎士がそう言うのであれば」
数秒の葛藤の後、ジークリンデが言った。周囲を圧していた怒りの気配が薄らぎ、少し普段通りの彼女に戻った。
背後ではコドール卿に、拘束されているブラン卿までもが安どのため息を吐いた。
図らずともいい緩急になったか。これでブラン卿は聞いてもいないことまでべらべらと話してくれるだろう。
「では、ジークリンデ様。戦槌の間までお戻りを。すぐにお送りいたします。主賓が不在では宰相閣下がお困りでしょう」
「……わかりました。先に出ています」
ジークリンデが物置から退出する。
……予想外の事態ではあったが、どうにか対処できた。いや、むしろ、ブラン卿の処遇についてジークリンデに裁可を取る手間が省けたと考えれば、プラスだ。
「コドール卿、聴取をお願いします。聞き終えたら報告を。自分もすぐに戻りますが、念のため」
「ゆっくりで結構でさ。もう仕事はほとんど終わっているようなものですし」
コドール卿に気を遣われてしまった。
もうすでにブラン卿は落ちている。あとは自白を聞き届けるだけですむし、今日のところは晩餐会の警備もあって動かせる兵力も少ないから、黒幕の確保は難しい。
特に黒幕の確保に関しては非常に口惜しい。
警備に万全を期した弊害だ。内外の警備に兵力のほとんどを動員しているから、予備戦力が乏しい。20人程度の騎士を動員しても犯人を確保するどころか、防備を固めた相手に撃退されるのがオチだ。
一方、逃亡の可能性は薄い。目撃者である招待客は戦槌の間にとどめてあるし、万が一、どこかから暗殺失敗が伝わっていたとしても、貴族は面子が命だ。特に公爵家ともなれば、むしろ逃げれば立場を失うだけだと理解している。
証拠の類は抹消されるかもしれないが、どうせ現代式の裁判なんてしないんだ。犯人を確保さえできればあとはどうにでもできる。
つまり、どうせ晩餐会が終わるまではどうにもならないのだからジークリンデのケアに回れ、ということだ。
お言葉に甘えるとしよう。オレの暗殺未遂もそうだが、楽しみにしていた晩餐会に水を差されて落ち込んでおられるだろうし。
「お待たせいたしました。では、参りましょう」
「……ええ」
そうしてオレはジークリンデと連れ立って戦槌の間に戻る。
ツカツカという足音が城内の廊下に冷たく響く。
戦槌の間であれだけの騒ぎが起きた後だというのに城内は不気味なほどに静かだ。
先ほどいた物置から戦槌の間まではそれなりに距離がある。
……さて、どうしたものか。少し前を歩くジークリンデの肩は哀れなほどに気落ちしている。見ていられないとはまさにこのことだ。
「お披露目の方は無事に済んだようで」
なので、あえてその原因に手を突っ込む。ちょうどいい場所を通りかかるしな。
「……ええ。わたしは気が気ではありませんでしたが」
「申し訳ありません。もっと早い段階で防げていればよかったんですが」
お披露目とは、言うまでもなく『槍の冠』のことだ。
予定通りであればオレもその場に居合わせることになっていたが、この通りのありさまだ。
残念ではあるが、オレにとってはその一言で済ませられる程度のことだ。
『槍の冠』は強力な『遺物』であり、政治的な意味も大きいが、所詮は道具だ。
道具はあくまで道具として使うべきものであってそれに振り回されるようでは本末転倒だ。
ましてや、槍の冠の見せる未来は解釈の難しいものだ。『失地帝』が失敗したのは本人の能力だけの問題じゃないのだ。
だから、奪えないにしても皇帝候補ではないグスタブ宰相が槍の冠を所持している分には許容できる。
グスタブ卿にも野心はあるだろうが、今の彼の立場でできることは限られているし、槍の冠を自分で使うつもりならそもそもお披露目などしない。
有効活用するとしても、せいぜい取引の材料として使うぐらいだ。その場合も対処は事が起きてからでいい。
と、これはあくまでオレの立場からの捉え方だ。
オレは今回の晩餐会をあくまで事件と政治的機会としてしか認識してないが、晩餐会を楽しみにしていた人物にとっては最悪の一夜と言ってもいい。特に、我が主にとっては、そうだ。
「……バルドとイリアナに代理を頼みました」
ちょうど階段を昇り終えたところで、ジークリンデの方から本題に踏み込んでくる。
彼女としても誰かに不安を話しておきたいのだろう。臣下としてはそうしてもいいと思えるほどに信任を得たことを光栄に思う。
しかし、バルドにイリアナ嬢か。ジークリンデの代理と考えれば誰でも役者不足だが、オレの代理と考ればまあ贅沢すぎるくらいだ。
「お二人ならきちんと代役をこなしてくれるかと。ただイリアナ嬢がバルド殿下をひっぱたかないかが心配ですが」
「…………見てみたい気もしますが」
オレの冗談に応じてくれるジークリンデ。
気落ちしているだろうに、それでもオレとのコミュニケーションをしてくれる彼女の優しさと気遣いには改めて尊敬せざるをえない。
……本来は、オレとジークリンデで晩餐会の栄えある『ファーストダンサー』を務める予定だった。
正直、オレとしてはオレという人選に異論の数々があるのだが、ジークリンデの指名ということもあり呑み込んだ。
なにより、ジークリンデはどうやらそのファーストダンスをかなり楽しみにしていたのは明らか。時間を戻すようなことはできないが、せめて埋め合わせはしてあげたいと思うのが臣下の情というものだ。
もっとも、ここには観客はいないわけだが、それでも価値は十分にある。
なにせ、今オレたちのいるのはかの『月光の間』なんだからな。城内の謂れや伝承には興味のないオレだが、原作のウルヴルートで実際に登場したこの場所のことだけはきちんと知っている。
ここならばジークリンデの『帝城で踊りたい』、という欲求も解消できるはずだ。相手がオレでは存分に踊れないかもしれないが、特訓で鍛えた分、どうにかなると信じたい。
「――我が君、立ち止まっていただけますか」
声を掛けて、足を止める。ジークリンデが振り返るより先にオレはその場に跪き、右手を彼女に差し出した。
臣下として、騎士としての礼だ。それでもそもそもオレのような従者が抗すること自体が不遜なわけだけども、今回ばかりはそこには目をつぶってほしい。
「どうか、わたくしめと一曲踊っていただけませんか」
そうして、唯一覚えている定型文を口にする。
それこそある詩人に言わせれば『辺境貴族に共通する直截さ』なのだろうが、そんなことをほざくやつのすまし顔には無骨な右拳をくれてやればいいのだ。
シンプルイズベスト。言葉を弄して誤解を生むくらいなら、単純な言葉を用いる方がよほど賢い。
「――ええ、よろこんで」
そんなどこまで言っても辺境貴族なオレに、ジークリンデは応えてくれる。その顔には今まで見た中で一番の笑顔が浮かんでいた。
まったく、心臓に悪い。オレの心臓が強くなかったら、あまりの魅力にショック死していたかもしれない。全並行世界で初の萌えショック死だ。歴史に残るぞ。
無論、オレの記憶にはきちんと焼き付けた。
月光に照らされた、月の女神さえ嫉妬する、あえかなる笑顔を。
「では、一曲」
感動を胸にしまってジークリンデの手を取り、彼女の腰に手を回す。
そうして、ゆっくりとステップを踏む。無音のままゆっくりとオレとジークリンデは円舞を始めた。
互いに位置を入れ替えながら、だんだんとリズミカルに。
心臓の音さえ聞こえてしまう距離だ。しかし、ジークリンデの美しさと暖かさをここまで間近に感じてしまって、オレは今後の人生大丈夫だろうか? もうこれを越える多幸感はオレの人生では味わえないかもしれないぞ。
そうして踊るうちに、聞こえるはずのない音色がオレ達を祝福してくれる。
細やかな弦楽器の音。それは幻聴であり、『戦槌』や『槍の冠』と同じ『遺物』でもある。
はるか昔、アースリア城はまだなく、この地が未だただの小高い丘であったころの話だ。
『太祖帝』グリムニル1世はこの場所でで覇業を志した。この戦乱絶えぬ九界樹大陸に、己の国を打ち立てると。
そんな彼を祝福するために月の女神が奏でたのが、この音色。馬の尾を弦とした楽器を弾き、その前途に幸あれとあまねくすべてに言祝いただのという。
そんな伝説を事実と証明するのが、月の間の『残響』。五百年もの間残り続けている神の偉業だ。
この音が聞こえるのは大きな志を抱くものだけとされており、ジークリンデも、オレも女神の基準に適っている。
ジークリンデは帝位を、そして、帝国の平和を志している。
オレはそんなジークリンデを支え、この命を捧げると決めている。
であれば、この音が聞こえぬはずがない。そう思ってあえて誰もいない月光の間でジークリンデにダンスを申し込んだのだ。
我らの信念を証明するのは我ら自身と、月の女神のみ。
それがいい、それでいいんだ。志とはひけらかすものではなく己に対して証を建てるものだと教えてくれたのは、ほかならぬジークリンデなのだから。
◇
そうして、夜は更けていき、晩餐会はつつがなく終わった。
警備の仕事が終わり、宰相および槍の冠への責任は赫奕剣騎士団の手から離れた。
そのことを確認してすぐさま、オレは騎士団に命を下した。
命令の内容は『ヨルドバーン公爵家令息イーライ・ヴェル・ヨルドバーンの拘束』。ブラン卿の自白はオレの予想通りの内容であり、彼は丁寧に証拠の類、イーライからの書状などを保管してくれていた。
そのおかげもあって、イーライの拘束は拍子抜けするほどに簡単だった。
なにせ、自らの邸宅で酔いつぶれていたからな。大した護衛も駐留してしなかったので、あっという間に制圧できた。
……イーライはともかく父親であるヨルドバーン公爵自体は帝都外の実力者。現状どの帝都内のどの派閥にも特別肩入れしていないが、だからこそ正面からの抗争にならなかったのは幸運といえる。今の段階なら拘禁した息子を交渉の材料にできるからな。
だが、本当の意味で事件が起きていたと知ったのは赫奕剣騎士団の駐屯地に戻った夜明け前のこと。
留守を任せていたメロヴィくんが青ざめた顔で伝えたその凶報の内容は、『宰相グスタブ卿、危篤』と『槍の冠の強奪』というものだった。
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