第44話 ジークリンデ、激怒
招待客のリストの中に、『イーライ・ヴェル・ヨルドバーン』の名を見つけた時点で、暗殺の対象が宰相ではなくオレかもしれないという可能性は考えていた。
といっても、この時はあくまで思考の片隅に置いていたというだけであまり真剣には考慮していなかった。
いくら原作とは比較にならないほどにジークリンデに尽くしているとはいえ、オレは所詮一塊の従者にすぎない。自分の命を軽んじるつもりはないが、帝国宰相と比べれば雲泥の差だからだ。
だが、実際に招待客を見た時点で、いや、その中にあのイーライがいないことに気付いた時点でわずかな疑念が確信へと変わった。あのイーライが何かを企んでいる可能性が高い、と。
イーライはオレにビビり倒しているが、同時にそれ以上に目立ちたがりで自己顕示欲が有り余っている。だから、帝都で開かれる大規模な催しには必ず顔を出す。それが呼ばれておきながら欠席というのは妙だ。
何かを企んでいる、そう考えて間違いない。恐らくは事が起きた時にその場にいなければ自分に疑いが掛かることはないと、そういう浅はかな考えゆえだ。
むしろ、アイツ本人がこの場にいたほうが暗殺が成功していた可能性が高いと考えると皮肉な話ではあるか。まあ、所詮はイーライだ。必死で考えてもこれが限界だろう。
そもそも、実はイーライがオレの暗殺を試みるのはこれが初めてのことじゃない。
学生時代にも三度ほどあった。集団リンチされかけたり、毒を盛られたり、訓練用に刃を潰した剣をオレの時だけ真剣に入れ替えられたとかな。ほかにもオレが気づいてないだけで計画そのものはあったかもしれない。
ともかく、イーライはオレの暗殺を企図し、今回の晩餐会をその機会と見定めた。
子飼いの貴族を脅迫したか、あるいは買収し、オレの背中を毒ナイフで刺すという計画だったのは間違いない。おそまつではあるが、実行犯を切り捨てる前提で動いたのはイーライにしては賢いと褒めてもよい。
まあ、その計画も無残に失敗し、実行犯も我が手中に落ちたわけだが。
さてさて、どうしたものか。できればイーライだけじゃなくてその父親であるヨルドバーン公爵にまで累を及ぼしてやりたいものだが――、
「随分と楽しいそうなことで。命を狙われた直後なんですから、もうちょっと殊勝になされたほうが可愛げがでますよ」
コドール卿が言った。呆れたものだとため息交じりだ。
「むぅ。そんなに楽しそうな顔をしていますか」
「ええ。新しいおもちゃを前にした童といった感じですな。私は構いませんが、気にする者もいましょうよ」
「……気を付けます」
いかんな。また悪だくみがまた顔に出ていたか。
アースリア城の片隅にある物置の前でのことだ。
オレに殴られ、メロヴィくんに制圧された件の下手人はこの物置の中に拘束されていた。というか、メロヴィくんが絞殺しそうな勢いだったので、ここに保護したと言う方が正確かもしれない。
茶色の髪を額の辺りで切りそろえた青年だ。帝都の貴族らしく戦も細く、服装も地味。うだつの上がらない弱小貴族といった風情があった。
本来の手はずであれば赫奕剣騎士団の駐屯地に連行すべきなのだが、まだ晩餐会が続いている都合上、ここに一時的に留め置いていた。
別の動きがあることを警戒して会場にトモエとメロヴィくん、さらに騎士たちの大半を残している。今ごろ、ホストでもあるグスタブ卿から事情の説明があり、混乱は収束しているはずだ。
ジークリンデの傍を離れるの心苦しいが、こればかりは高度に政治的な案件でもある。オレでなければ判断できないことも多い。
「ともかく、話を聞いてみましょう。近衛の連中が来る前にできることはしておきたい」
「ですな。もっともそう手間がかかりそうにはありませんが」
コドール卿と共に物置に入る。
狭い物置の中心には椅子に縛り付けられた青年の姿がある。オレのハイキックを喰らった右頬は腫れあがっているが、話すのに支障はないだろう。
その両隣には赫奕剣騎士団の騎士が見張りを務めている。しっかりとした立ち姿は原作の弱小騎士団のそれとは思えない。彼らを鍛えているトモエに感謝だ。会場内で事件が起きた後の動きの迅速さも褒められるものだった。
「2人ともご苦労だった。外で見張りを任せる」
オレが命令を下すと、2人の騎士は甲冑の胸を叩いて敬意を示す。
……なるほど。一応、副団長として敬意を勝ち取れているらしい。少しうれしいぞ。
「さてと。窮屈な思いをさせて申し訳ないな。えーと何卿だったかな?」
オレが正面に立つと、コドール卿が暗殺未遂犯の猿轡を外す。
怯え切った瞳がオレを見つめる。まだ手荒な真似はしていないのだが、オレの蹴りがよほど効いたのか、あるいは日ごろの行いの賜物か、だな。
「名乗りは大事だよ。せっかく晩餐会での暗殺なんて大それた真似をしたんだ、史書にただの失敗した間抜けとして記録されるのは嫌だろ?」
「わ、わ、たしは、わわわ、わた、しは」
恐怖で顎ががくがく震えてまともにしゃべれない様子の捨て駒くん。彼の頭の中を想像するにこれから生爪を剝がされて、水中に沈められると思っているんだろう。
まさかそんなことはしない。だいたい必要ないしな、今回の場合は。
「かわいそうに。コドール卿、縄を緩めてあげてください。我々は野蛮人じゃないんだ。礼を失してはいけない」
オレの言葉通りにコドール卿がきつくしてあった縛りを多少なりとも緩める。完全に解放して自害などさては面倒だが、これくらいなら問題はない。
先に断っておくが、こいつに優しく接するのは下心ありきの行動だ。
言ってしまえば一人二役で『いい警官、悪い警官』をやる。オレの風聞についてはこいつも重々承知だろうから、そんなオレに温情を掛けられると警戒心も緩みやすいと計算してのことだ。
実際、被疑者の震えは少し治まった。これで多少は下も回るだろう。
「さて、改めてお尋ねしましょう。貴方のお名前は?」
「の、ノイアーです。ノイアー・ブラン……」
「ほう。ブラン子爵家の方でしたか。これは失礼をば。こんな場所で椅子に縛り付けるなど、してはいけませんね」
つり上がりそうになる口角を右手で隠す。
ちょろい。もとい、口が軽い。これなら情報を引き出すのはそう難しくない。
おそらくこの告白に嘘はない。なにしろ、簡単に確認できることだ。ここで偽名を名乗っても何の意味もないことくらいはこの哀れな捨て駒にも理解できている。
彼に残された選択肢はもはや二つ。あとは、こちらにとって都合のいい方に誘導していくだけでいい。
「しかし、ブラン子爵家といえば、確かヨルドバーン侯爵閣下のご配下ではありませんか? どうでしたか、ブラン卿? 自分の記憶に何か間違いがありますか?」
「あ、ああ、いや、それは、その……」
オレの確認にという名の誘導尋問に、今更言葉を濁すブラン卿。
殊勝なことだ。こんな雑な計略の使い捨てにされたというのに、まだ忠誠心の欠片が残っているらしい。あるいは、羞恥心か? まあ、なんにせよ、暗殺をしくじったうえに自死すらできなかった時点でその後の抵抗に意味はない。
「ふむ。記憶違いでしたか。いやはや、失礼しました」
「ひぃっ!?」
オレが足を組むと、意図を察してコドール卿が大げさに剣の鍔を鳴らす。
ふたたびブラン卿の奥歯がガタガタという音色を奏で始めた。
「しかし、ブラン卿。自分と貴方は初対面のはず。それがどうして、後ろから短剣で刺そうとするなんて……何か特段の事情がおありなのですか?」
「それは……あの、わたしは……」
表面的には温情を示しつつ、自白、いや、告発への道を整えていく。
瞳を見ればわかる。なけなしの忠誠心はすでに風前の灯火だ。あとは背中を少し押してやるだけでいい。
問題はどうやってこちらの望む答えを口にさせるか、だ。
「ブラン卿。実を言えば、自分は貴方を罰したいとは思っていないのです。人の恨みを買っていないと断言できるほど清廉潔白な生き方はしていませんから」
「あ、あ、は、いえ、その」
「ですが、あれだけ多くの目撃者がいるのです。警備を担う立場としてはあなたの罪を問わないというわけにはいきません。ですが、ですがですよ、ブラン卿。一体どのような罪に問うかは、自分に一任されているのです」
正確には、皇族であり赫奕剣騎士団の団長であるジークリンデが最終決定を行うのだが、彼女から警備を一任するという言葉をもらっているので実質の決定者はオレだ。
そのことをブラン卿は信じるしかない。いや、信じたい、というべきか? 追い詰められた人間は都合のよい選択肢に抗えないものだ。
「コドール卿。今回のブラン卿の凶行には一体どのような刑罰が考えられましょうか」
「貴族間の争議であれば死罪は免れるかもしれませんが、まあ、皇族方のいらっしゃる場でのことですからな。ジークリンデ殿下が、いえ、バルド殿下が訴えを出されれば、九族にいたるまで死をたまわるやもしれませんな」
「なんと……」
大げさに痛ましいことだという表情を浮かべるオレ。臭い芝居だが、効果的だったのはブラン卿の青ざめた顔が教えてくれていた。
ちなみに九族というのは4親等以内の親族全員を指す。つまり、一族郎党皆殺しだ。場合によっては先祖の墓を暴くし、年若い子供でもさえも首を刎ねられる。この統一帝国においては親の罪は子に波及するし、子の罪も親に及ぶのだ。
そこら辺のことはブラン卿も知っているはずだが、おそらく黒幕から都合のいいことだけ聞かされていたのだろう。
成功すればおとがめなし、失敗しても政治工作で死罪は免れるとかそんな感じか。騙す方も騙す方だが、信じる方も信じる方だな。
「それはさすがに気の毒というもの。ですが、ブラン卿が協力してくださらぬということであれば、こちらとしては弁護のしようもなく……」
ブラン卿の血色は蒼を通り越して死人の白へと変化している。
もはや思考の余地はない。忠誠心など跡形もなく吹き飛んで、もはや、むき出しの自己保身だけが彼を動かしていた。
「ま、待ってくれ! い、いや、お待ちください! シグヴァルト卿!」
「おや、どうされました、ブラン卿」
落ちた。
ふふ、オレの尋問テクニックも捨てたもんじゃない。修行自体に山賊やら傭兵相手に練習しておいてよかった。
まあ、この程度のことで忠誠心を捨てるブラン卿に思うことがないでもないが、なに、相手があのイーライではな。まっとうな主君に付けなかったのは、彼の不幸だ。
「すべて、全てお話しします! ですからどうか、家族の! 母と妹の命だけはどうか! どうか!」
「ええ、ええ。ブラン卿、貴方は実に家族思いだ。さ、コドール卿、縄を解いて差し上げて――」
そうして情報を引き出そうという時に物置のドアが開く。
誰だ? 邪魔をしないように言ってあったはずだが――、
「――殺しなさい、今すぐに」
背後に立っていたのは、ジークリンデだった。
我が主、我が君、我が推し。だというのに、オレは一瞬、彼女が彼女であることを認識できなかった。
なぜならば、響いたその声があまりにも冷たく、烈しい怒りを秘めたものだったからだ。
◇
ジークリンデの日記(後日執筆)より抜粋
かつてないほどの怒りだった。
今まで何かにいらついたり、腹を立てたことこそあったが、怒りで我を忘れるなんてことはあれが初めてのことだった。おそらくはあれが本当の意味で怒るということなんだろう。
誰かに殺意を抱くというのも初めてだった。
あの瞬間のわたしは、あの犯人を殺したくて仕方がなかった。いいや、それだけじゃない。この世に存在するありとあらゆる責め苦を味わ急てから首を刎ね、その首を柱に掛けてさらしてやろうとさえ考えた。
皇族としてあるまじきことだ。
あくまで帝国の法に則り、適切な罰を下し、秩序を維持する。それが皇族としての義務であり、わたしの善しとするあり方だ。
そのように自分を律してきたし、その理想を実現しようとしてきたし、これからもそう生きるはずだった。
でも、あの時だけは違った。
ただ怒っていた。
ただ殺したかった。
怒りのままに罰してやりたかった。
だって、アイツはキリアンを殺そうとした。卑怯にも後ろから刺し殺そうとした。
許せない、絶対に。わたしの騎士を、わたしのキリアンを奪おうとするなんて、そんなやつは骨の一欠けら、髪の一房たりとて残しておかない。そのつもりだった。
一方で、同時に恐ろしさもあった。
自分が自分でなくなるような感覚。真っ白な布に鮮血をこぼすような、取り返しのつかない背徳感が確かにあった。
だけど、一番怖かったのはわたし自身がその変化に酔っていたこと。
キリアンのために殺す、そう思うだけで今までにないほどの酩酊感があった。ずっとずっと、この感覚に浸っていたいそう思えるほどに。
あの感覚は危険だ。
身を任せたら先にあるのは袋小路だとわたしの中の何かが告げている。皇帝たるものが歩むべき正道とは真逆の道だと。
だからこそ、抗いがたい。この甘美な海に深く沈むことがわたしにとっての幸福なのではないか、とそう思えてしまう。
ああ、告白してしまえば、わたし一人ではあの水底からは帰ってこられなかった。いや、違う、この言い方は卑怯だ。わたしは、帰ってきたくなかったんだ。
でも、そんなわたしをキリアンが引き上げてくれた。
手を取り、共に歩み、綺麗な思い出をくれた。この思い出がある限り、わたしはわたしのままでいられる。
あの音色が、耳に残る限りは。
(この頁については『熱愛女帝』の研究家の間でも解釈が分かれています。綺麗な思い出とは、著名なベルモンド伯によれば帝城内の『月光の間』でのなんらかの出来事を指しているのではないかと言われています。
ですが、その場で何が起きたのかを知るのは『熱愛女帝』ご本人とその終身騎士ご本人のみでしょう。帝国万歳)
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