第37話 宰相グスタブの招待
現在の帝国宰相『グスタブ・ソーンブルク』はその実権を失って久しい。
本来、帝国宰相は臣下の最上位。皇族ならざる身でたどり着ける最高権力者だ。皇帝の威光の元、政治の一切を取り仕切ることが許され、思うままに権勢を振るえる。
だが、今玉座には誰も座っていない。先帝が崩御してからの3年間で宰相の実権は名ばかりのものとなり、帝国の実務は各派閥の長老たちの合議によって運営されている。
おかげで現在の帝国は内政、外政ともに滞りまくりだ。貴族も民も大迷惑している。
こうなったのもすべて皇太子でもあった第一皇子を失った先帝が後継者を指名せずに亡くなったせいだが、ほかにも理由はいくつかある。
その中でも特に大きいのが、宰相グスタブが成り上がりの新興貴族であり、後ろ盾が先帝のみであったことだろう。
……あくまで比較的にではあるが、ジークリンデの父先帝『バルドル六世』は改革志向の皇帝だった。
具体的には皇帝自ら政を行うべく大貴族の影響力を弱め、帝都に権限を集中しようとしていた。
帝国宰相に新興貴族であるグスタブを選んだのもその一環。宰相は先帝の手足として帝国の内政を司り、改革を行うはずだったのだが……その顛末に関しては御覧の有様だよ! というほかない。
そういうわけで今や帝国宰相は張子の虎、置物、ハンコ押しマシーンと化している。
そんな帝国宰相からの招待状がジークリンデのもとに届いた。
…………ハンコ押しマシーンについては少し親近感を覚えるな。最近騎士団の運営はメロヴィくんとコドール卿、ローレルに任せっぱなしだ。
「……見えてきましたね」
ダンス教室の翌昼、揺れる馬車の中でジークリンデが言った。
彼女の言葉通り進行方向の窓の外には帝国宰相府の荘厳な建造物が視界に入りつつあった。
帝国様式の石造りで形作られた宰相府。かつては帝国の政治の中心であり、数多の謀略劇の起きたその場所はどうにもすすけて、影の中にあるように見えた。
グスタブからの招待をジークリンデは受けた。
これは招かれれば断らないというジークリンデ当人の誠実さの現れではあるが、オレからの助言の結果でもある。
オレはジークリンデに今回の招待を受けるように進言した。
相手は腐っても帝国宰相だ。実権はなくとも彼との縁を繋いでおけば利用価値はあるし、向こうもその腹積もりだろう。せいぜいこちらの有利になるように使わせてもらうだけだ。
それになにより、戦槌の間の一件について探りを入れておきたい。
……やはり、こういう時のためにもオレの手元においておける諜報部隊が必要だな。
数分後、目的地に到着する。扉が開くと、そこには予想通りの人物が待っていた。
「ようこそおこしくださいました、第一皇女殿下」
お辞儀をしてオレ達を迎えたのは帝国宰相『グスタブ・ソーンブルク』卿その人。
白髪交じりの茶髪に豊かに蓄えた顎髭。向こう傷こそないものの元外征騎士らしく精悍な顔立ちをしていた。
老いた熊、という原作での表現を思い出す。確かにその通りの人物だ。
穏やかで威厳があるが、実のところ、瞳の奥の炎はまだ消えていないと見える。
「……グスタブ殿。いくひさしく」
「二年ぶりでございます。こうしてお越しいただきましたこと、臣として恐悦の至りでございます」
オレに手を引かれジークリンデが馬車を降りると、ふたたびグスタブ卿は首を垂れる。
さすがは宰相閣下。なかなかに隙がない。表は紳士的にしつつ、テーブルの下では足を蹴飛ばすくらいでなければ宰相など務まらないとうことか。
「貴公の招きであれば、わたしはいつでも応じよう」
そんなグスタブ卿だが、ジークリンデの返答には一瞬だが目を見開いた。
無理もない。これまでのジークリンデであればこういう時は黙り込んでしまうか、「大義」とか「よい」とか一言返すだけだった。
だが、今は違う。
ときどきオレと練習しているからな。その成果が出たというわけだ。
というか、本来、ジークリンデのコミュニケーション能力はそう低くはない。むしろ、語彙力や発想力、対応力は地頭の良さも相まって原作ゲームでも上位に入るくらいだ。
彼女に不足しているのは経験と自信。苦手だと思い込んでしまって会話や社交を避けるから余計に下手になってしまっただけだ。だから、オレと練習がてら経験を重ねるだけでずいぶん成長できた。
具体的には、こういう時の定型文を決めておいたのが、さっそく役に立った。これに頼りきりになるわけにはいかないが、そのためにオレがいるから問題はない。
ただそうだな。やってやったぞ、的な感じでオレの方を振り返らなかったら完璧でしたぞ、ジークリンデ様。超絶かわいいけどね!
「殿下。そちらの精悍な騎士を紹介していただきますかな?」
ほら、グスタブ卿にオレが関与していることがばれた。
でも、許す。かわいすぎるからな。むしろ、これを見て許さないやつなんているか? いたらそいつは人非人だ、オレが断言する。
「ジークリンデ様が従者、キリアン・シグヴァルトであります。宰相閣下におかれてはご機嫌麗しゅう」
「そうか。やはり貴君が噂の騎士か。よい面魂をしている。グスタブ・ソーンブルクである。よろしく頼むぞ」
「宰相閣下がお聞きになった噂が良い噂であることを願います」
「良い噂だとも。第一皇女殿下は度胸と知謀を兼ね備えた従者を得た、とね」
珍しく褒められた。オレが喜ぶより先にジークリンデの方が先に嬉しそうな顔をしているのが、目に入った。
しかし、さすがはグスタブ卿。宰相らしい威厳たっぷりな態度だ。
……なるほど。やはり海千山千の政治家は違うな。気配も立ち居振る舞いも完成されていて、オレやバルドなんかとは比較にもならない。
……見習うべきだな。オレもこうした威厳を身につけられれば、それを従えているジークリンデの権威も増す。
「では、殿下。宰相府の中へ。一席設けておりますれば」
「厚意に、感謝する、宰相殿」
そうしてグスタブに案内されて宰相府の中へと入る。ジークリンデの定型文もまだおぼつかないところこそあるが、そんなところも慕わしい。
荘厳な廊下にはかつてのようにせわしく行き来する文官の姿こそないものの、主同様過去を忍ばせるだけの偉容はあった。
案内された先は、宰相府内の貴賓室。ここも立派な造りで皇族を歓待するにふさわしい場所だ。
というか、ここだけ手入れが特別に行き届いている。
調度品も流行のものを取りそろえ、絨毯も変えてある。それでいて急ごしらえだと思われないようにバランスをとって部屋の模様替えがされていた。
……なるほど。宰相としては第一皇統派を軽んじてはいない、とそう言いたいわけだな。
あるいは、ここだけは頻繁に使用しているのか……、
ジークリンデは上座に座り、対面にグスタブ卿が座す。
当然、オレの位置はジークリンデの背後。いつなんどきでも動けるように気を張っておく。
「それで、宰相殿。話とは、なんだろうか」
席についてすぐにジークリンデが切り込む。
もう少し相手の出方を伺ってからでもいいとは思うが、ジークリンデの実直さは時に奇襲めいた威力を発揮する。ぜひこの長所は伸ばしてもらいたい。
「さすがはジークリンデ殿下。振り下ろされる斧のごとし、ですな」
もっとも、相手は宰相。あくまでペースは乱さない。
だが、おためごかしを口にしても意味はないということは伝わったのか、グスタブ卿は神妙な顔で佇まいをなおした。
さて、何が鬼が出るか、蛇が出るか……、
「こたび、殿下をお招きしましたのは、殿下に内密の案件についてご意見をたまわりたいのです」
「……内密の」
おそらくは『戦槌の間』についてだろうが、そこまではすでに手に入れている情報だ。
知りたいのは、その理由と意図。そこを探れなければ今日の訪問の意味はない。
ジークリンデだけで引き出せればいいが、やはり、適宜援護は必要だろう。主君と従僕、阿吽の呼吸だ。
「ありていに申しますれば、来月、『戦槌の間』の解放を予定しておるのです。それにつきまして殿下の卓見をいただきたいのです」
やはり、その件か。ここまでは予想通りだ。
「…………なぜわたしに?」
「殿下は皇族方の中でも誰よりも有職故実に通じられたお方。その殿下のお言葉であれば、我が迷いも晴れる、そう愚考してのことでございます」
グスタブ卿の言葉にジークリンデは戸惑いつつも首肯する。
たしかにジークリンデは有職故実、つまり、宮中の習わしや決まりごとについて皇族の誰よりも詳しい。
これもまたジークリンデがどの皇族よりも真面目で勤勉な証拠だ。
しかも、意外に思われるかもしれないが、そういう礼儀作法にはかなりの実用性がある。
こうして宮中行事の際に頼られることでコネクションを築けるのはその分かりやすい一例だ。
……と、ここまでは表向きの理由と見ていい。
本当に有職故実だけが理由であるならばジークリンデは原作でも戦槌の間についての情報を得られていたはず。その描写がなかったということは別の理由がある。
おそらくジークリンデにこの話が回ってきたのは、この世界線においては第一皇統派と第二皇統派の同盟が健在だからだ。
この同盟によって現在の帝都の政情は膠着状態。そこでとりいる先としてグスタブ卿は我々同盟と最大勢力である第三皇統派を天秤にかけ、我々を選んだというわけだ。
…………それ自体におかしな点はない。ないが、他に意図がある可能性はあるか。
「…………先帝のご崩御から三年が経ちます。古き例にてらしても、喪は明けたと言ってもよいでしょう」
「おお、であれば、戦槌の間を開くことに障りはない、と」
そこで首を振るジークリンデ。それから少し考えてからこう続けた。
「理由が、肝要です」
「ふむ……理由、でございますか」
よしよし。ちゃんとコミュニケーションができているし、言いたいことも伝わっているな。
前までのジークリンデなら「無理です」とだけ言ってしまっていただろうが、これも練習の成果だ。事前に想定問答を伝えておいて正解だった。
「戦槌の間は、祝いのために開かれる場。未だ玉座が空白である以上、それ相応の吉事でなければ、許されません」
すごい、尊い、見事です、ジークリンデさま。ちゃんと詰まらずに言うべきことを最適な言葉で伝えられている……!
こんなに成長したジークリンデの姿を見られるなんて従者冥利につきるというものだ。
「……承りました。戦槌の間を開くその理由。ジークリンデ殿下にのみお明かししましょう」
グスタブ卿が声を落とす。そうしてオレとジークリンデにだけ聞こえる声で、こう告げた。
「『槍の冠』が見つかりました」
低いが、潜めた声だった。
にもかかわらずその声はオレの脳裏に何度も反響した。
『槍の冠』とは今から二百年前に失われた帝国随一の秘宝の名だ。
帝国の帝権と権威を示す王冠であり、身に着けたものに未来を見る『瞳』を与えるという『遺物』。これを奪い合い、多くの血が流れた。
だが、これが見つかるのは『帝国物語』の終盤のはず。それがどうして、今なんだ……!? 今までさんざん驚いてきたが、この世界に何が起きているんだ……?
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