第36話 やることが、やることがおおい
聖女『フレイン』が『キリアン・シグヴァルト』にダンスのレッスンを請う、なんてイベントは原作にはない。
オレとしても全くの想定外の事態で一瞬パニックになりかけた。だが、ジークリンデの騎士として無様をさらすわけにはいかない。冷めたお茶を一気にあおり、気を落ち着かせた。
まずは状況を把握せねばならない。そこでフレインを落ち着かせ、話を聞くことにした。
フレイン曰く、近いうちに城で開催される宮中晩餐会に招待されるという報せが内々に届いたとのこと。
耳打ちしたのはおそらく宰相府の人間。あちらとしてはせっかく招いた聖女がその時になって恥をかかないようにという気遣いなのだろう。
……その宮中晩餐会とやらが件の『戦槌の間』で行われるものであることはまず間違いない。これは想定内。戦槌の間の解放という大イベントに戦神の巫女を招かない理由がない。
原作でもあったイベントだ。聖女であるフレインには宮中行事において彼女を補佐する人員も付けられてはいるのだが、原作においては任意の攻略対象を教師役に指名することができ、それにより分岐が起きていた。
だというのに、聖女フレインはこの世界線においてはこの『キリアン・シグヴァルト』をダンスの教師役に選んだらしい。
…………いや、そりゃ困ったら頼れとは言ったけども。
…………名誉ではある。名誉ではあるが、無理だ。なにが無理ってオレは別に踊りの達人じゃない。舞踏会でのダンスだって基本を押さえているだけで、それ以上のことはさっぱりだし、興味も正直ない。
なのでここは助けを借りることとする。なに、我が騎士団には一人いるんだ。踊りも含めて礼儀作法に通じた万能王子がな!
というわけで、任せたぞ、メロヴィくん! 君に決めた!
ちなみに、メロヴィくんはオレの頼みを二つ返事で受けてくれた。こういうときに慕われているというのは役に立つ。
…………言い方が悪いが、舞踏会の成功はジークリンデのためになる。許せメロヴィくん。その代わり、特訓の件は必ず話を通すぞ。
そんなわけで翌日の昼、早速、オレは原作主人公とイケメン万能王子を引き合わせたのである。
「はい、はい、そこで足を下げて、そうです、そこです。お上手ですよ、聖女様」
「は、はい、こ、ここですね、ええ、ええ……」
目の前では原作通りの取り合わせでメロヴィくんのダンスレッスンが行われている。
最初は、と言うか今もぎこちないままだが、どうにか形にはなっている。メロヴィくんの教え方が上手いというのもあるが、原則通りフレインの呑み込みが早い。運動神経のものが違うというか、余計な固定概念がないのがいいのだろうか。プレイ中に驚異的な速度で技能を習得できるだけのことはある。
というか、あれだ。オレが教えなくてよかったな。すぐに追い越されて悪評混じりの威厳が崩壊しかねない。
ましてやそんなところをジークリンデに見られたら恥ずかしさで憤死ものだ。
それになにより、原作ファンとしては感慨深いものがある。こうして場所こそ違うとはいえ原作でおなじみのイベントを再現できたわけだしな。懐かしくて思わずほっこりしてしまうくらいだ。
メロヴィくんと『聖女フレイン』とのダンスレッスンイベントは『帝国物語』のプレイヤーの大半が目撃することになる恒例行事のようなものだ。
なにせ、メロヴィくんは多くのプレイヤーが最初に攻略するキャラ。初期の好感度が高うえに、上がりやすく、また下がりにくい。性格もほかのように複雑骨折していないので選択肢も素直だ。
だから、どんなへたくそなプレイをしていてもこのイベントは発生しがちだし、イベント自体もそれからの展開に繋がっていく重要なものだ。
まあ、そんな大事なイベントを赫奕剣騎士団の営庭なんてむさくるしい場所で再現することになるとは思ってもみなかったわけだが……まあ、他に自由に使える場所もないしな。今日の調練が終わっていてよかった。
「ふむ。円の動きだ。華美なだけなように見えて、武に通じるところもある」
一方、隣で見物しているトモエはまた違う観点でレッスンを見ている。
なるほど。円の動きか。
現代格闘技の中にはダンスの動きやエッセンスを取り入れたものがあると聞いたことがある。さすがは武の化身たるトモエだ。参考になる。
確かにダンスは意外にというか、かなり難しい。
互いに手を取り合い、ステップを踏みつつ、一定のスペースを闊歩するというのは実のところ優れた運動神経とリズム感がないとできないものだ。実際、オレはダンス下手だし。しゃーないな、この肉体の初期武力全貴族中最下位だし。
しかし、これはジークリンデに同席してもらうのもありだったか? 今日は久しぶりに離宮で休まれているが、今からお呼びしてもいいかもしれない。
武と舞との共通点についてなんて彼女も興味を持つだろう。
無論、皇族でもあるジークリンデは幼少期から舞踏のいろはを叩き込まれているし、実はかなりのダンス好きでもあらせられる。原作では相手がいないので披露される機会はほとんどなかったが、オレがその相手を見つけてくるのもありだ。
「さて。キリアン、そろそろ我々も練習をしよう」
「はい?」
ふいに妙なことをトモエが言い出す。
我々も練習……? 我々ってどの我々だよ?
「我々に決まっている。踊り方を教えてほしい」
「なら順番を待て。メロヴィくんもさすがに分身はできない」
してほしいけど、という本音は胸にしまっておく。オレにも慎みはある。
正直、あと2人くらいメロヴィくん相当の人材が欲しい。そうなってくれればオレも全身全霊をジークリンデのためだけに仕えるんだが……、
「貴方のそういうところ、どうかと思う」
とぼけているのを見抜いてトモエが言った。さすがに不機嫌だ。
……さすがにオレも観念のしどきか。ダンスは正直へたくそだが、基本くらいは教えられる。
「わかったよ。一曲踊っていただけますか、お姫様」
椅子から立ち上がり、トモエに右手を差し出す。
貴族としての礼儀作法に則ったダンスの誘いだ。こんなことをする機会が巡ってくるとは思ってもなかったが、まあ、格好くらいはついただろう。
「っ! そう、ぜひ、付き合ってもらおう!」
その右手をトモエは満面の笑みで握り返す。
……綺麗だ。オレのトップオブザトップはジークリンデであり、それが揺らぐことはないが、その上で見惚れる。
トモエは原作でも、この世界でも笑みと言っても好戦的な笑みばかりで、こういう日常的な、穏やかな笑みのイメージはほとんどない。
ないからこそ、この笑顔には計り知れない価値がある。オレに絵の才能があれば絵画にして子々孫々に受け継ぐことにしただろう。まあ、脳みそのSSDには永久保存しておいたけどな。
そんなわけで、トモエの手を取り、ダンスのレッスンを始めたのだが――、
「――ふっ、キリアン、緊張しているな。そこはもっとトモエに任せていい」
開始一時間で完全に追い抜かれた。
もはやトモエのステップと体捌きは達人の域に達している。オレとの差は原作のキリアンと今のオレの差以上に開いてしまった。
つまり、教えることはもう何もない。なのに、こうしてワルツに付き合わされている。というか、
「――ぐっ!?」
ぶん回されている。武勇100の膂力で。おかげで全身の筋肉がギリギリと悲鳴を上げ続けている。
さながら雪崩の如しだ。大雪山回しと名付けてはどうだろうか?
ダンスってもっとこう甘酸っぱい感じじゃなかった? こう、手と手が触れたり、頬が接触したり、互いの心音を感じ取ったりするもんじゃないの? なんかオレだけ災害の体験学習させられてません?
「ふ、ふふふ、踊りも悪くない。それとも、相手がキリアンだからかな?」
「……満足そうで何よりだ」
でも、トモエが楽しそうにしているのでよしとするか。
原作外伝小説曰く『トモエは戦場では常に喜悦を感じている』のだそうだが、この楽しそうな様子とはまた違う、と思う。
トモエは戦士だ。彼女の本分は戦場にあり、それが揺らぐことはないが、ほかに楽しみがあってはいけないなんて決まりはどこにもない。
それに、これもいい鍛錬になっている、気がする。少なくともオレの耐久力と筋力は鍛えられている。
さらに30分ほど踊り続けたところでようやくひと段落着き、解放される。
「ふむ。《《今日は》》満足した。また今度やろう」
「…………光栄だな」
いい汗かいたと言わんばかりにつやつやしているトモエとは対照的に明日の筋肉痛を思い悲しげなオレ。
加えてトモエはまだまだ元気らしくいつもの金棒を担ぐと鍛錬に行ってくると元気に歩いていく。
これこそ悲しき才能の格差社会だ。さすがは武勇100、肉体のスペックも運動神経の精度もオレとは比較にならない。
幸い、今日の仕事は完了している。夜飯に肉を大量に食って、そのままベッドにもぐりこめば一歩も動けないなんて情けないざまにはならないはずだ。
「シグヴァルト卿」
そんな油断のせいだろうか。オレは声を掛けられるまで背後の気配に気づかなかった。
ぞくりという悪寒。戦場で背中に殺気を覚えた時のようなそれに、反射的に振り返った。
そこにいたのはメロヴィくんだ。声で気付けなかったのは彼の纏う雰囲気、声のトーンが普段とは全く違う、重たさをもっていたからだ。
湿り気、とでもいうべきか。心なしか夕暮れ空が少し曇って見えた。
「ど、どうした、メロヴィくん。な、何か問題か?」
尋ねながら、その背後のフレインを見やる。
彼女は休憩中らしく椅子に腰かけたまま、こちらを興味深そうに見ている。
…………そういや相違や原作でもよく盗み見とか、盗み聞きとかしてたな。情報が集まるんだよな、意外と。
「自分とも踊っていただけませんか?」
「お、おう? な、なぜだ?」
マジでメロヴィくんが何を考えているのか分からない。
男同士で踊って何か得あるか? いや、男女で踊っても得は別にないし、他人の趣向にどうこう言えるほど立派な人間でもないが……、
そもそも原作のメロヴィくんってこんな感じだったか……? オレの原作知識も摩耗してきているのか……!?
「――失礼ながら、シグヴァルト卿は舞踏はお得意ではないようで。ですので、僭越ながら、自分がコツをお伝えしたいのです。よろしいでしょうか?」
「な、なるほど」
納得できる理由ではある、か。
確かにオレは今回トモエにぶん回されてただけだしな。
……宮中舞踏会となれば求められるレベルも相応だ。オレもメロヴィくんに習った方がいいか?
その前に、少し空気を変えておくか。今のメロヴィくんはちょっと怖い。
「確かに舞踏は苦手だ。失望させたか?」
「い、いえ! そんなことありえません! むしろ、都の貴族が踊りや詩吟にうつつを抜かす間、シグヴァルト卿がひたすら武を磨かれ、知を蓄えられてこられた証拠! それを理解できずにあしざまに言うものなど、みな死ねばいいのです!」
「お、おう。ありがとう」
思ってたのと違ったが、じめっとした雰囲気からからっと怒っている感じになったので、少し安心だ。
「では、よろしく頼む。ジークリンデ様に恥をかかせるわけにはいかない」
「……はい。全力でお手伝いさせていただきます」
そうして、オレもメロヴィくんにレッスンを受けた。
先ほどまでとは違い、ソフトタッチの手つなぎに、穏やかだが流麗なダンス。自白してしまえば、互いに距離が近く心音まで聞き取れるし、メロヴィくんからやたらいい匂いがするせいで妙な気分になってしまった。
ちなみに、レッスン自体は結構辛口だった。さすがは真面目なメロヴィくんだ、何事にも手を抜かない。
おかげでオレの筋肉痛が増したのは言うまでもない。成長の痛みだ、甘んじて受け入れよう。
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