第35話 ダンスウィズヤンデレ
ジークリンデに訪れる最初の災厄、それが『帝国宰相暗殺未遂事件』だ。
この事件が起きるのは外征軍の戦勝と帰還を祝う『祝勝記念式典』でのこと。
乾杯の音頭を取った帝国宰相『グスタブ・ソーンブルク侯爵』が祝杯をあおった直後に吐血し、昏倒した。宰相は一命こそ取り留めたものの、酒杯に毒が仕込まれていたことは明白であり、即座に暗殺未遂事件として捜査が始まった。
原作『帝国物語』においてこの事件の捜査は比較的中立の立場である主人公『聖女フレイン』に託される。そうして聖女は紆余曲折の末に、犯人を突き止めるのだが……実のところ、犯人が誰かはオレにとって、いや、第一皇統派にとっては重要じゃなかったりする。
重要なのは、原作におけるこの事件で第一皇統派の政治的立ち位置がまずくなるという点だ。
かといって、事件そのものを未然に防ぐのにもリスクがある。
リスクの一つは原作においてこの事件の犯人がルートごとに異なるという点だ。
なので事前に犯人を張っていてもそれが大外れだとかなり面倒なことになる。さすがに帝国といえども罪を犯す前の罪人を捕らえていいという法律はない。
犯人が特定できるのは暗殺未遂が起きてから。事前に動けばどんな影響があるか分からない。
もう一つ宰相暗殺未遂が起きなかった場合の展開の予想が難しいというのもある。
原作において『帝国宰相暗殺未遂事件』はあらゆるルートで共通して起こるイベントだ。それが起きなかった場合、そのあとにどんな影響があるのかは原作知識があっても予想が難しい。
なので、次善の策としてことが起きても確実に犯人を捕縛できるように備えるという方針をオレは取っていた。帝国宰相には悪いが、彼の暗殺にどのような方法が用いられるのかを見届け、犯人を特定してから動くとそう決めていたのだ。
そのためにオレは赫奕剣騎士団の戦力を拡充させて、優秀な人材を集めていたのだが……、
オレの知る限り『戦槌の間』の解放は今から三か月後の出来事のはずだ。そのつもりで準備をしてきた。
現時点では外征軍は帝都に帰還していないし、そもそも祝うべき大戦果自体がまだ発生していない。
繰り返すが、今はまだ春だ。だから、戦槌の間の解放もそれに付随して起こる『帝国宰相暗殺未遂事件』もまだまだ先のことのはずだった。
だが、エイラ殿下の情報には真実味があった。
情報源は彼女の支援している画家や建築家等の複数筋。今から一か月ほど前に宰相府から目ぼしい人物への仲介の要請があり、そのうちの数人が興奮した様子で戦槌の間のことを殿下に話したというのだ。
エイラ殿下にこちらを騙して利するようなことはない。
これがクレイグの話であれば疑う余地もあるが、そうでない以上は信じるほかない。
……明らかに想定外の事態だ。
だが、対応できないわけじゃない。赫奕剣騎士団の戦力も上がっているし、こちらの人材も揃ってきている。
それになにより、オレがいる。
原作のように暗殺未遂事件が起きたとしても、オレがいる限り、ジークリンデが泥をかぶるようなことは絶対にありえない。
そういうわけであの後、駐屯地に帰還したオレはさっそく裏工作を始めた。
具体的には、リーヴァを帝都に呼ぶための急使を送った。
急使は人じゃない。リーヴァが飼いならしている鷹だ。至急帝都に来るようにという手紙を鷹の脚に結び付けて解き放った。
二、三日もすれば任務中のリーヴァに手紙が届く。それから彼女が帝都に走ると考えれば、今週中に到着すれば御の字だろう。
リーヴァにはかなりの無理を強いることにはなるが……なにか褒美を用意しておいてやるか。
やるべきことは他にまだまだある。
例えば情報収集。エイラ殿下も戦槌の間が解放されることは知っていても、それがいつごろになるかの正確な時期は知らなかった。そこを確かめておきたい。
それに解放の名目もつかんでおきたい。
そもそも戦槌の間が閉鎖されたのは皇帝が崩御したためだ。だから、封印を破るとしたらそれ相応の慶事がなければならない。
……そのことをいち早く把握できていないというのはよろしくない。
やはり、諜報部隊が必要だ。リーヴァを帝都に置いておくのは前提として、彼女を補助する人員もそろそろ探す頃合いか。
……あとは、あれだ。祝いの晩餐会となれば、ダンス、だな。
「難しい顔をしている。景気が悪いぞ、夫」
そんなふうに執務室で物思いにふけっていると、トモエに呼ばれる。
……一応、駐屯所内に彼女の私室兼寝室は用意してあるんだが、もっぱらオレの勤務中はオレの部屋でたむろしている。
まあ、今さらトモエにまで秘密にしなきゃいけないこともそうないので別に構いはしないのだが。
「少し予定外の案件が浮上してね。君こそ使い走りをするなんて珍しいじゃないか」
「ふむ。あの姫御が困っているのを見ると放っておけなかった。許されたい」
珍しく謝ってくるトモエ。整った横顔に似合わない申し訳なさが滲んでいた。
「別に怒っちゃいない。護衛として問題がなかった、とは言わないが、君のことだ。きちんと危険はないと確信しての事だろう」
「……うん」
なんと。本当にらしくない殊勝さだ。
こういうところはやっぱり武士だな。ものすごく好ましい。
好ましいが暗い顔は似合わないので、励ましておく。
「トモエ。君の夫にはまだなれないが、君のことは信じている。付き合いは短いが、股肱の臣だとも思っている。だから、頼むぞ」
「わかってる。妻として、内も外も支えるつもり」
……言いたいことの半分も伝わっていない気がするが、ふんすと気合を入れなおしているしよしとするか。
だいたい戻るのが遅れた理由もトモエらしいものだ。
指定された一件目の店に砂糖が置いてなかったから、二件目にいき、それでもなかったから三件目にまで探しに行っていたのだそうだ。
「ところで、トモエ。君、正装の類は持っているか?」
「じーくりんで殿が着ているような服の事? なら、持っていない」
「着物でも構わないんだが……それでもないか?」
オレの問いに、トモエがかぶりを振る。
少しは荷物があったようなのでと期待したが、さすがに駄目だったか。こればかりはこちらで用意してやるしかあるまい。
「明日にでも仕立て屋にいくぞ。君のドレスを用意する」
「………なぜ? いや、答えなくていい」
こちらを見てにっこりとほほ笑むトモエ。
……この感じ、なんか勘違いされている気がする。
「そうかそうか。もう祝言のことを考えてくれているのか。たしかに祝言の時は、このトモエもきちんとおめかししないといけない」
すごく嬉しそうだし、満足げだ。
…………これに水を差すのはすごくすごく心が痛む。確かに男が女にドレスを贈るとなればそういう意味にとられてもおかしくない。というか、それ以外の解釈は難しいか……、
だが、勘違いさせたままというのも酷だ。ここはちゃんと事実を伝えておくか。
「ドレスは、晩餐会のためだ。面倒だが、あれには細かい決まりごとが多いんだ。服装とかな」
「……我が夫は無粋だ」
案の定、トモエは頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
か、かわいいな、こいつ。いや、前世で外伝小説を読んだ時からそういうところもあるのは知っていたが、こうして実際に目の当たりにするとこう、感慨深いものがある。
「そうむくれるな。そういう服はあって困るものじゃないし、君の好みのものが用意できるように取り計らう」
「……それでは足りない」
やっぱりすねている様子のトモエ。
うーん、どうしたものか。一応、トモエは部下なわけだし、オレが機嫌を取るというのも本末転倒の感はあるが……やっぱり、なんだか放ってはおけない。
「どうせなら、仕立て屋について来てもらう。ついでに、なにか贈り物も欲しい。かんざし、とか」
「…………まあ、オレに買える物なら構わないが」
「うん。トモエが誰の妻であるかわかるものがいい」
……そういう意図だったか。
…………まあ、褒賞の類と考えればそうおかしなこともないか。だが、贈るにしても特別な意味合いの無いものにしないといけないな。髪飾りとかにしとくか……、
「それと、服はわたしの好みではなくあなたの好みで選ぶ。婚姻とは相手の色に染まるものだろう?」
不意に、トモエが微笑む。
妖艶な笑み。普段とは違う、どこかこちらを弄ぶような、あるいはくすぐるような、そんな印象だった。
背筋がぞくりとする。
トモエの新たな魅力に感動しているのか、あるいは、何か本能的な、無意識からの警告なのか……、
「ふむ。だったら楽しみだ。近いうちに仕立て屋に行こう」
「あ、ああ。そうだな」
かと思えば、トモエはいつもの調子に戻る。
なんなんだ……? 離宮でのジークリンデもそうだが、こういうのが最近の流行なのか?
「……そうだ。君に踊りも教えおかねばなるまいな。念のため、だが」
「踊り? 剣舞なら得意だけど」
戦槌の間が解放されるとなればそこで行われるのは、まず間違いなく晩餐会であり、晩餐会にはダンスが付き物だ。
オレやトモエはあくまでジークリンデの付属品だが、それでも機会がないとは言い切れない。であれば、ジークリンデに恥をかかせない程度にはしておかないと。
ちなみに、剣舞というのは刀を手にしての模擬演武のようなもの。それ自体は価値があるし、オレも見てみたいが、宮中晩餐会で披露すべきかと言えば答えは間違いなくノーだ。
一応、オレは踊れる。これでも貴族だ。そういった教育は受けた。上手いか、好きか、と聞かれればノーと言うしかないけれど。
「ふむ……確かこの国では男女で踊ると聞いた。なら、楽しみだ」
いつも通りの無邪気な笑みに、内心安堵する。
オレもオレで事態の急変に少なからず心を乱されていたのだろう。そんな時に揺るがないトモエの在り方はオレの立ち位置を確かめさせてくれる。
実際、かなり助けられている。それを考えればドレスや贈り物の出費も痛くない。
「副団長! 客人が見えておられます! ああ、お待ちを! まだ――!」
突如として、騎士団員の悲鳴めいた声が響く。誰が来たのかと思考をめぐらせる間もなく、扉が開いた。
「キリアンさん! 助けてください! アタシに、踊りを教えてくださーい!」
現れたのは、原作主人公である『聖女フレイン』。困り果てた顔で、スカートを振り乱していた。
……原作でこんなイベントあったかな? そういうのはちゃんと攻略対象のイケメンにやってもらえばいいのに、なんでオレを攻略しようとしているんだろう、この人……、
◇
『第一皇女ジークリンデの日記から抜粋』
今日はエイラとわたしの騎士を引き合わせることができた。
わたしが従者を選ぶと告げた時からエイラもキリアンに会いたがっていたから、いい機会だった。
今回のことはエイラの提案でもある
エイラにはわたしの気持ちを話してある。最初はただ相談したかっただけだったのだが、すぐにエイラの方からこう言ってきた。「お姉さまを手伝いたい」と。
………恥ずべきことだ。わたしはエイラがこう言ってくれると期待して、すべてを話した。
品位に欠ける行いだ。誠実さの欠片もない。でも、それでキリアンをわたしのものにできるのならそれでかまわない、そう思ってしまった。
でも、エイラはそんなわたしの気持ちを理解し、受け入れてくれた。こんなに出来た優しい妹は他にはいない。運命の女神はわたしに過分な姉妹を授けてくれた。
そんなエイラが言うには、こういう時はまず『相手の気持ちを確かめつつ、少しずつ相手を囲い込む』のがいいそうだ。
…………今回のお茶会では、エイラにそれをやってもらった。
感触としては、悪くない、と思う。
そもそもキリアンの忠誠は汗の一粒にいたるまでわたしに捧げられている。あとはそこに、愛が加われば完璧だ。
エイラが言うには、その芽はあるらしい。キリアンは熱い忠義心の持ち主だけど、それと同じくらい愛情深くもあると。
よかった。すごくすごくうれしい。キリアンの瞳にわたしが写っていると思うだけで、心に春の風が吹く思いだ。
…………でも、キリアンがわたしより先にトモエのことを話した時には逆の心持ちだった。
冬の荒野のような、あるいは燃え滾る火山のような。そんな冷たくも熱い、激しい衝動だった。
…………よくない、よくないことだ。でも、そうだと分かっていても、止められない。
わたしは浅はかだ、浅はかで醜い。こんな妬みに突き動かされるわたしを知ったら、キリアンはきっと失望する。
……いいえ。いいえ、違う。キリアンはわたしを見捨てない。ほかの者たちとは違う。わたしの騎士はずっと、わたしの騎士でいてくれる。
近く開かれる『戦槌の間』での晩餐会はいい機会になる。
『戦槌の間』で踊ることには特別な意味がある。キリアンとわたしで、その習わしを復活させる。そうすれば、みんなが理解するはず。彼が一体だれのものなのか、を。
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