第28話 友の敵は我が敵なり
すでに日も暮れて夕飯時だ。
魔石窟の周辺には簡易的な野営地が築かれている。鱗人達の食事を用意していたらこの時間になっていたので今日のところはここで夜を明かすことにした。
兵糧については元から多めに持ってきているから一日分を供出しても問題はない。
『鱗人』たちが飢餓状態にあることは一目見てわかった。
まず出迎えに出た3人だ。比較的栄養状態が良好な彼らでさえ瞳に力がなかった。
絶望と恐怖に打ちのめされたその様子はオレの記憶と完全に一致していた。
今から3年前の冬のことだ。
当時のオレは健在であった祖父に願い出て戦の度に同行させてもらっていたのだが、ある時、前線を突破した敵の一団が国境の砦に立て籠もったことがあった。
砦の守りは固く力押しで攻め落とすには時間が掛かる上に、犠牲も大きいと総大将であった祖父は判断した。
そこでとられた策が砦を包囲し、補給路を遮断しての兵糧攻め。つまり、相手の食料が尽き戦意をなくすまでひたすら待ち続けるというものだった。
戦とはおしなべて悲惨なものだが、それでもあの光景に勝るものはないと断言できる。それほどまでに飢餓状態に陥った砦の有様は悲惨だった。
やせ細った騎士たちは相棒であるはずの軍馬を解体し、積もった雪を食んでいた。意気軒高にこちらを挑発していた敵将が空腹に耐えかね、自ら命を絶つのをこの眼で見た。
あの時、祖父が降伏を許さなければ彼らは同胞の亡骸をも食料とみなしていただろう。それほどの極限状態だった。
その時の騎士たちと鱗人たちは同じ目をしていた。それゆえ一目で彼らが飢えているのだと理解できたわけだ。
おそらく『鱗人』たちは一週間は何も口にしていない。
この辺りは前線が近いせいか周囲にも獣はいないし、大人数の食料を賄えるほどの植生もない。食料を確保しようにもままならなかったはずだ。
であれば、彼らの望みも明らか。将を射んと欲すればまずは馬を射よというが、人心を掴みたいのならまず胃袋を掴むべしだ。
といっても、飢餓状態の人間にいきなり固形物を食べさせるわけにもいかないので騎士団の兵糧の一部を鍋にぶち込んで煮込んだものを振舞っている。
オートミール風の雑煮のようなものだ。
飢餓状態のときに消化の難しいものを摂取すると逆に死に至るというのは有名な話だ。実例もこの目で見た。
「…………事前に準備していたのですか?」
涙を流しながら無数の鍋を囲んでいる『鱗人』達を見て、ジークリンデが言った。
ヴェールで隠した顔が満足げであることが非常に誇らしい。彼女のこの顔が見られただけでやったかいがあったというもの。
「いえ。ですが、あらゆる事態を想定はしていました。兵糧は多めに持ってきていましたし。妹のおかげです。彼女が普段から領民に慕われているからこそできることです」
オレの答えに、なるほどと頷くジークリンデ。
食料供給による懐柔策そのものはアドリブだったが、それができるだけのリソースは事前に確保しておいた。
ここらへんは妹のユリアが普段から健全に領地経営をしてくれているからできることだ。備えあればうれいなしとはいうものの、余裕がなければ備えをするのは難しい。我が妹ながらよくやってくれている。
ついでに言えば、原作における『蛮族登用』イベントでもフレーバーテキストで『困窮した蛮族たちが助けを求めてやってきた』という一文があった。
これだけの文章では困窮の具体的内容は分からないが、この世界で困窮と言えば自ずと可能性は絞られる。飢饉か疫病、もしくは戦災。そのどれにせよ、食料は必須だ。そう思い、万が一の可能性を期待して兵糧を多めに用意しておいたのだ。
だが、これをジークリンデに言っても混乱させるだけなので言及はしない。それにジークリンデの提言がなかったら普通に攻め込んでいた可能性が高い。今の状況はやっぱりジークリンデの手柄だ。
「……民草の安らかなることはよろこばしい」
少し考えた後、ジークリンデが一言だけそう呟いた。
ああ、やはり、彼女こそが我が主。帝国の玉座に唯一相応しき方……!
今のこの時代、この世界で蛮族を民として扱うのは帝国中、いや、世界中探してもジークリンデただ一人。その慈悲深さ、高潔さはどんな宝石よりも価値がある……!
だから、オレはジークリンデに仕えている。彼女がそのあり方を曲げずに生きられるように。
なので、これから行う具体的な交渉は全てオレの責任だ。その結果がどうなろうとジークリンデが責を負うことはない。
なに、ちょっとばかし弱みに付け込んで労働力として確保するだけの話。この世界ではありふれた、悲劇にも含まれないようなただのイベントだ。
◇
鱗人達に食事が行き渡ったのを確認してから、オレはトモエとユリアを引き連れて群れの長のもとを訪れた。
トモエの役目は護衛だがこれに関しては体面として以上の意味はない。
重要なのはユリア。鱗人達を魔石鉱山の鉱夫として雇うのなら彼らを領民として扱うことになる。その場合の最終判断はやはり普段から領地を守るユリアが下すべきだ。
そんなユリアだが緊張で表情も動きも固い。こういう交渉に関してはむしろユリアの方が慣れてるはずなのだが、今回は相手が相手だ。無理もない。
「深呼吸だ、ユリア。深呼吸」
見かねて声をかけるが、言葉が返ってくることはない。しばらく無言でいたが、ユリアはまっすぐに前を見たまま、こう言った。
「……そう言う兄上は随分と楽しそうですね」
「そう見えるか?」
「ええ。とても。領地では見たことがないくらいに」
……ふうむ。これは、ヘソを曲げている?
しかし、楽しそう、か。確かにそうかもしれない。
オレは転生してからの年月の全てをジークリンデの従者となるための修行に費やしていた。体を鍛え、知恵をつけ、精神を磨いた。
そのおかげで無事従者となり本懐を果たしているが……確かにそれ以前とは比較にならないほどに充実しているのは事実だ。
だからといって、それまでの人生になにもなかったわけじゃない。
でも、そんなことも妹に伝えられていないのなら兄であるオレの落ち度だ。
「――オレがあの人の従者としてやれているのは、お前のおかげだ」
「……ええ。わかってますよ、そんなこと」
「でも、それだけじゃない。オレにとってお前とこの領地のことはオレの命よりも重い。そのことは分かっていてくれ」
オレの言葉にユリアが立ち止まる。オレの顔をまじまじと見てそれからまた足早に歩き始めた。
……妹にオレの意図の通りに伝わっているのかは正直分からない。でも、何かが伝わったと思いたい。
ああ、くそ、ジークリンデ相手ならバッドコミュニケーションなんてありえないのに。許せ、妹よ、すべては兄の未熟さゆえだ。
「妹のことは任せて。義姉として言い聞かせる」
そんなオレの悩みを知ってか知らずか、トモエが胸を張る。やはり大きい……ではなく、頼りになりそうに見えるが、逆効果にもなりそうな気がする微妙なところだ。
というわけで、問題を抱えつつもオレたち3人は鱗人たちの群長との会談に臨んだ。
「――再び会えて光栄だ、群れの長よ」
彼らの待っている焚火の側で言葉とジェスチャーで敬意を伝える。
立場としては食料を供与したこちらが上だが、それはそれだ。礼儀の通じる相手にはきちんと礼儀を守る。それが文明人というものだ。
すると、長達もオレに対して彼らのやり方で敬意を返してくる。
交渉の滑り出しとしては悪くない。こういう場においてはできるだけ感情を排すべきだが、結局人間は感情の生き物。互いに好感情を抱いているのならそれに越したことはない。
「では、あなた方の降伏について話し合おうじゃないか」
なので、その好感情を利用して単刀直入に本題に入らせてもらう。
何事においても主導権を握るのは基本だ。相手に敵意がなく立場的にも敵対する必要がないとしても、交渉である以上は状況を動かすのはこちらでなくてはならない。
――と、意気込んでは見たものの、今回の場合は交渉に入る前に結果は決しているようなものだった。
こちらの出した『魔石窟周辺の土地への居留と入植の許可、それと引き換えの鉱山での労働力供出』という提案を鱗人は受け入れた。
条件闘争も要求もなし。こちらの言い分をあまりにもあっさりと受け入れるものだから、むしろ、こちらの方が困惑したくらいだ。
これには二つほど理由がある。
一つは、鱗人達の困窮がこちらの予想を上回るほどに深刻だったこと。
とりあえず腰を落ち着けて暖を取れる場所を確保できるのならほかのことはどうでもいい、そう考えてしまう程度には彼らは追い込まれていたのだ。
もう一つは食料供与という懐柔策が想定上の効果を発揮したためだ。
蛮族の多くは法よりも情を優先する。一見するとそれは野蛮さの表れのようにも見えるが、反面、彼らは受けた恩を決して忘れず身内を見捨てない。
そんな彼らにとって一宿一飯の恩義、それも命を救われたという事実は相当に重い。それこそシグヴァルト家のために戦場に立ってくれと頼んでも断りはしないだろう。
その恩人が住む場所を提供し、仕事までくれた、鱗人達からしてみればこの交渉はそのようにさえ見えているかもしれない。
…………まあ、事実を箇条書きにするとそうなるか。
いや、一応、魔石採掘の仕事が危険であるということも説明はしたんだが、意に介した様子はない。なんでも彼らにとって魔石は身近なものであり、掘り出す程度のことは子供でも簡単なのだそうだ。
なるほど。ゲームにおける蛮族特性とはそういうカラクリだったわけだ。
なんにせよ、こちらとしては鱗人たちが魔石鉱夫として働いてくれるのならそれに越したことはない。労働の対価についても魔石産業の儲けから出すということで同意ができたので、問題はない。
というか、対価がなくとも働くと言い出すし、その上でさらなる協力を申し出てくるのでこちらの良心がとがめたくらいだ。
しかし、なにもかもが順当だったわけじゃない。
そもそもなぜ鱗人たちが困窮し、この魔石窟に流れ着いたのか。彼らを迎え入れる以上はその問題と無関係ではいられない。
つまり、鱗人の敵は我らの敵。結局のところ、戦いは避けられないのだ。




