証明を持ち帰る
翌朝の迷宮ギルドは、祭りのようだった。
「黒鉄の甲竜、討伐成功だ!」
「鉄鷲団が、あの化け物を仕留めたんだと!」
酒場の真ん中、樽の上に立っているのはギルバートだった。額と腕に包帯を巻いているが背筋はまっすぐで、曲がった大剣を見せびらかすように肩に担いでいる。
討伐者の記録は、今日の日没に確定する。それまでに覆せなければ、甲竜を倒したのは鉄鷲団になり、シンは仲間を見捨てて逃げた地図描きのまま、図の信用ごと消える。
「紙一重だった。尾の一撃を受けたとき、俺はもう死を覚悟した」
聞き入る客たちが、おお、と唸る。
「だが団員を守るために、俺は退かなかった。背中の継ぎ目を見つけ、渾身の一撃を――」
「待て待て、地図描きはどうした。団長と一緒に入ってった黒髪のがいたろ」
酒場の誰かが言った。ギルバートは、悲しげに目を伏せてみせた。
「あいつは崩落のときに逃げた。仲間を見捨てて、一人で。……残念な話だ」
同情のため息が広がった。そのとき、入口の扉がきい、と開いた。
「おはようございます」
松葉杖をついた少年が、荷運びの青年に肩を借りて立っていた。酒場が静まり返り、ギルバートの顔から微笑みが剥がれ落ちる。
「シンさん、足が、もうちょっと休んでからの方が」
「大丈夫」
マテオの心配を片手で制して、シンは酒場を横切った。杖の先が、こつ、こつ、と木の床を叩く。
「生きていたか。よく顔を出せたものだ、逃げた腰抜けが」
樽の上から、笑いを無理やり貼りつけた声が降ってきた。
「逃げたのは、俺ですか」
「違うとでも?」
「ええ。違いますね」
シンはそれ以上言い返さず、奥のカウンターへ向かった。
カウンターの向こうで、帳簿を睨んでいる男がいた。五十がらみで、片眼鏡。嘘と誇張を三十年聞き続けた者だけが持つ、乾いた目をしている。検証官のハロルドだ。
「第五層の完全踏破と、ボス討伐の報告です。検証をお願いします」
「同じ報告が、もう一件来ているのだがな」
「聞こえていました」
シンは懐から布包みを出し、カウンターに置いた。中身は麻縄で、端は鋭い刃物でほとんどまっすぐに断たれている。ほつれも、引きちぎれた跡もない。
「崩落のとき、俺の命綱は団長が握っていました。切れたのは、岩に擦れたからじゃありません」
「崩落でちぎれたに決まってる! 証拠になど――」
樽から飛び降りたギルバートが迫ってきた。ハロルドは縄を一瞥して、あっさり頷いた。
「縄だけでは、誰が切ったかは決められん。断面のことは覚えておく」
羽根ペンが走り、ギルバートの頬がひくりと痙攣した。
「討伐は、噂では決められん。口なら誰でも言える」
「はい。だから、現地へ行く前に一つお願いがあります」
シンは白紙を二枚、ハロルドの前に置いた。
「名乗り出た二人に、同じ問いを別々に書いてもらってください。甲竜のどこに、どの向きから刃を入れたか。それを封じておいて、現場の残骸と突き合わせてほしいんです」
片眼鏡が、きらりと光った。
「倒した者なら、手が覚えている。書けるか、団長殿」
ギルバートの喉が、ごくりと鳴った。酒場中の視線が、一斉に樽の上の英雄へ集まる。
「……書くさ。書いて、証明してやる」
ギルバートは衝立の陰へ回り、羽根ペンで一行だけ書きなぐった。シンは反対側の席で、短く書いた。
ハロルドは二枚を別々に折って蝋で封じ、懐に収めた。
「俺の班が同行する。道案内はおまえだ。一つでも嘘があれば、その場で追い出す。団長殿も来てもらう」
ギルドの外に出ると、昨夜の少女が壁にもたれて待っていた。亜麻色の髪に鉛筆。腕には、また別の古文書の束がある。
「私も行くわ。あの帳の文字を現地で読ませて。ついでに、貴方が嘘をついてないか見張ってあげる」
「見張るんだ」
「見張るのよ。私、嘘が大嫌いだから」
フィオナはそう言って、胸を張った。目の下に自分も隈を作っているのを、隠そうともせずに。
***
黒鉄の巨坑の第五層に、検証官の班と、むっつり顔の鉄鷲団が並んだ。ハロルドの班が五人、鉄鷲団が八人、そこにシンとフィオナとマテオが加わって、総勢十六人になる。
「道は、俺の描いた図で進みます。金色の線の上だけを歩いてください」
松葉杖の先で入口の床を指すと、先頭の検証員が疑わしそうに一歩踏み出した。カチ、と小さな音がして、足元の石がぼうっと光る。
淡い金色の光が、足の幅ほどに暗闇の奥へ延びていく。もう一歩進むと、その先の石が灯った。
「灯りの魔法か?」
「階層が、俺の測量を覚えているんです。図の線を歩くと、道が点くようになりました」
検証員は図面と床を見比べて、口をぱくぱくさせた。
「線と、光る床が、一致している。三年かけて二層分しか歩けなかった道が、半刻で」
「ええ、まあ、今日はそういう日で」
脇腹を、フィオナの肘がつついた。笑いを噛み殺す足取りは、徹夜明けとは思えないほど軽い。夜通しシンの地図の記号を質問攻めにして、一睡もしていないはずなのに。
しばらく進んだところで、中年の測量士が咳払いをして、シンの図を覗き込んだ。
「少年。この壁の補修点、西側が三歩ずれているぞ。数年前の落盤で動いたはずだ。私の測量簿に載っている」
「教えてください!」
シンが勢いよく頭を下げたので、測量士は面食らった。
「素直だな。直されて、嫌な顔もしないのか」
「間違ってる図をそのまま売るほうが、嫌です。測量簿、見せてもらえますか」
「……ああ。手伝ってやろう。ただし報酬は、晩飯をおごってもらう」
「安いですね」
「私はよく食う」
午後、一行はボス部屋に着いた。
甲竜の残骸は、そこに横たわっていた。割れた背中の装甲と、断ち割られた動力の幹。検証員たちは、ただ黙って見上げた。ギルバートは壁の影に張りついて、顔色は蝋のようだった。
ハロルドが懐から、封をした紙を二枚取り出した。
「先に、団長殿の分からだ」
蝋が割られる。紙には、一行だけ書かれていた。
『背の継ぎ目に、正面から跳んで一撃』
「背の継ぎ目は、七つある。どれだ」
「……それは、その」
「では、おまえの分だ」
二枚目が開かれた。
『背の第三継ぎ目、右から四枚目の板の下。上から落下しながら、斬り下ろし』
測量士が縄を張って、残骸の背を測った。割れた第三継ぎ目の位置は、床から人の背丈の三倍近くある。右から四枚目の板は、内側から弾け飛んで、断面は下へ向かって裂けていた。
「継ぎ目への単一の斬撃。刃は上方より、落下を伴う。紙の記述と、残骸が一致する」
ハロルドは、ギルバートの曲がった剣へ視線を移した。
「団長殿。あなたの記述では、背丈の三倍の高さに、正面から跳んで届いたことになる。曲がった剣で、どうやって」
「…………」
「回答は」
「……俺は、覚えていない」
蚊の鳴くような声だった。ハロルドは帳簿に判を押した。
「黒鉄の第五層、測量認証率百パーセント。ボス討伐者、地図描きシン。報酬、金貨八枚。異論は?」
沈黙があった。ギルバートは何か叫びかけて、口を開けて、結局何も出てこなかった。そのまま踵を返し、足早に出口へ向かった。
副長のロイドだけが、去り際に足を止めた。
「シン殿。……すまなかった」
それだけ言って頭を下げ、仲間のあとを追っていく。
「許したの?」
フィオナが小声で聞いた。
「分からない。でも、謝られたのは、嬉しかった」
彼女は少しだけ目を細めた。
帰り道の最後尾で、中年の測量士が、こっそり金色の線の脇に立ち止まった。
「少年。便所は、どの辺りだ」
「あっち、二十歩の右手です。金色の点線の先」
「……便所まで地図に載ってるのか。すごいな」
「載せておいて、よかった」
シンは真顔で言った。
地上に出ると、日没の鐘の手前だった。ギルドの前の広場に、ツルハシを担いだ男たちが、十数人も集まっている。
先頭に立つ髭面の巨漢が、シンの顔を見つけて、こちらへ歩いてきた。第五層の坑口を使っている鉱夫たちだと、マテオが小声で言った。
「あの人たち、何しに来たんでしょう。シンさんを殴りに、とかじゃ……」
シンは松葉杖を握り直した。第五層の図は、もう検証が通った。けれど、その図が鉱夫たちの仕事場に何をするのかは、まだ誰にも決められていない。
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