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白地図の測量剣士 ~命綱を切られた地図描きは、歩いた階層を剣にする~  作者: 雅龍(がりゅう)
第二部 開拓団コンパスと鏡の森

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鏡晶の頁

最後の観測点は、谷の岩壁の奥にある。夕方になると谷の水が通路へ流れ込むので、足首が浸かる前に点を閉じて戻らなければならない。


 細道には光が一筋も届かなかった。ランタンはダリウスの腰に一つだけ下がっているが、油が少ないので、点けるのは最後の測量のときと決めてある。


「光に頼るな。手で触って進め」


 シンが先頭に立ち、壁の凹凸を指でなぞった。足の裏で床の傾きを確かめながら、一歩ずつ進む。


 細道は肩幅ぎりぎりで、バルトは荷を胸に抱えて横向きに進んだ。岩壁の継ぎ目に触れるたび、シンは指先でその位置を覚えていく。


 暗闇では、仲間の音だけが頼りだった。バルトの太い呼吸、フィオナの鉛筆の音、ダリウスの膝の装具のきしみ、スノウの小さな足音。


 ふいに、背中の布がちょんとつままれた。


「……フィオナ?」


「違うわ」


「私です」


 ティナだった。声が少し震えている。


「ごめんなさい、暗いの、苦手で。歩数を数えてたら怖くないので、ずっと数えてます」


「いいよ。つまんでろ。数えた分は、あとで教えてくれ」


 足元の水は、少しずつ増えていた。入ったときは靴底が濡れる程度だったのに、いまはくるぶしの手前まで来ている。


***


 通路の突き当たりは、真っ暗な小部屋だった。中央に、見慣れた金属の円盤が据えてある。


 掌を置こうとして、シンは手を止めた。まだ、頭の中の線が全部は閉じていない。ここで焦って置けば、数字がずれたまま記録されてしまう。


 壁の厚みは、バルトが大槌の柄で叩いた音の重さで測れる。天井の高さは、小石を真上に投げて、戻ってくるまでの間を数えればいい。来た通路との角度は、壁沿いに手を滑らせて曲がりを数えれば出る。


 残るのは谷との位置関係だった。ここでは目が使えないので、さっき打った杭が頼りになる。


「谷の縁の杭から、ここまで三百二十歩です」


 ティナが小声で言った。


「傾きは、一度半。床で水を流したときと同じ、ごく緩い坂だ」


 シンが続けると、フィオナが暗闇で鉛筆を走らせた。


「杭の位置は地図に落としてあるわ。そこから横にどれだけ進んで、縦にどれだけ下がったかを足せば、この部屋が谷のどこにあるか出る」


 長い沈黙のあいだ、シンは目を閉じて、頭の中で線を結んだ。壁、天井、通路、谷。汗が顎を伝って、足元の水へ落ちた。


「……出たわ。谷の岩壁の裏、杭から見て真下の少し奥」


「閉じた。いける」


 掌を置く。かちり、と音がした。


【鏡晶の回廊・第八層 測量認証率 100.0%】

【階層法則《鏡晶》 記録】


 暗闇の中で、円盤だけが青く光った。互いの顔がはっきり見えて、全員が思わず笑った。


 青い光が壁の古代文字を浮かび上がらせ、フィオナがすぐに顔を寄せる。


「読める。『光は、嘘をつかない。嘘をつくのは、見る者の目』」


「詩か」


「保守者の標語みたいね。鏡の森は、光に頼って近道する人を追い返すための階層なのよ」


「近道をしなかった俺たちは、合格か」


「合格。ただし満点は、ティナが行き止まりへ連れていった分だけ引いて……」


「ええっ!」


「冗談。満点よ」


 ティナが安堵のあまり、シンの背中に額をぶつけた。バルトが、盾の縁を指で叩きながら言う。


「暗い中を、声だけ頼りに歩いたのは悪くなかった。見えない分、仲間が近かった」


 誰も茶化さなかった。ただ、ダリウスだけが「感想は戻ってからだ」と言って、足元の水を靴の先で蹴った。


***


 水が増えているので、試すのは短くしなければならない。


 フィオナが十秒を数える。バルトが盾を構え、ティナが耳を立て、ダリウスが背中を守るあいだ、シンは納刀して帳を開き、《重圧》を外して《鏡晶》を装填した。


「……九、十」


【再同調 完了 装填:《鏡晶》】


 抜いた刀の表面に、薄い光の膜が張った。


 ダリウスがランタンを点け、部屋の隅の床に置く。弱い光が一本の筋になって壁を打った。シンが刃をその前にかざすと、光がぐにゃりと曲がった。


 刃の角度を変えるたびに、光は右へ、左へ、上へと折れる。バルトが歓声を上げた。


「光を、剣で曲げてる」


「円盤を支えてる柱の裏へ、回せるか」


 シンは壁の出っ張りを使って、光を柱の裏へ送った。暗がりがぱっと照らされ、古びた荷物がひとつ転がっているのが見えた。


「何十年も前の探索者の荷物ね。光が届かない場所を、剣で読めるんだわ」


 シンは足元の小石を拾い、膜に向かって放った。石は薄い光をすり抜けて、ごつ、と床に落ちた。


「石は止まらない。光と魔力の波にだけ効くんだ」


「便利だけど、使いどころは選ぶわね」


「迷子捜しには、便利ですよ!」


「迷子になるのは、だいたいお前だろ」


「バルトさんもです!」


「俺は迷子じゃねえ。ちょっと遠回りしてるだけだ」


「使える場所では、強いよ」


 バルトが膜を指でつつこうとして、ぱしっと弾かれた。


「冷てえ」


「冷たい光なのよ。焼けるんじゃなくて、曲がるの」


「ランタンより強い光でも、曲がるのかしら」


「外で夕日を受ければ分かる」


 ダリウスが足元を見下ろした。水は、もう足首に届いていた。


「感心してる場合か。出るぞ」


 帰り道は、ランタン一つで足りた。シンが刃で光を折り、曲がり角の先まで先に照らしてやったからだ。水が膝へ上がってくる前に、全員が細道を抜けた。


 谷の向こうで、光の筋が夕暮れの色に変わっていく。さっきまで虚像だった広間が、本物の姿でそこにあった。


 そして、谷のこちら側の木陰で、何かがぎらりと光った。


 夕日の反射ではなかった。人の目だった。


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