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白地図の測量剣士 ~命綱を切られた地図描きは、歩いた階層を剣にする~  作者: 雅龍(がりゅう)
第二部 開拓団コンパスと鏡の森

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20/27

白い罠の中

「出発の前に、これを止める」


 シンは第五層の記録室で、台座に手を置いた。


 「運転権を切る。灯りと水路が半日止まる。剣の力が設備に縛られているなら、今日ここで分かる」


 フィオナが砂時計を立てた。半日で戻せなければ、保守班が困る。試すなら、手早くやる必要があった。


 遠征の途中で設備が止まる日が、来ないとは限らない。そのときになって丸腰だと知るより、足場のある今日のほうがいい。台座の光が、ふっと消えた。部屋の空気が冷え、灯りが半分落ちる。


 「風呂は!?」


 「風呂は第八層の別系統よ、バルト。止まるのはこの第五層の灯りと水路だけ」


 「湯が冷める……」


 「そんなに早く冷めるわけないでしょ」


 シンは足元の小石を拾って、念じた。小石が、掌にずしりと沈んだ。


 「使える」


 試験場へ移って、大岩に触れる。ここなら崩れても、誰にも当たらない。重さを増すと、岩は地面にめり込み、床がみしみしと鳴った。重さを抜くと、岩はふわりと浮いた。バルトが口を開ける。


 「俺が三人がかりでも動かねえ岩だぞ」


 「運転権がないのに動かせてるのよ」


 フィオナが、静かに嬉しそうに言った。


 「記録と運転は、別の欄。設備を手放しても、貴方の剣に宿った記録は消えない。貴方を縛る設備は、ないの」


 シンは拳を握って、開いた。ずっとどこかで、怖かったのだと思う。この力が、設備の気まぐれで取り上げられるのではないかと。


 「それなら、俺が歩いた道は、全部、誰でも読める地図にしておく。運転権が誰の手に渡っても、道は残るように」


 「とんでもなく面倒な仕事よ」


 「知ってる」


 「付き合うわ」


 シンは記録室の壁に、歩いた道の図を一枚貼り出した。誰でも読める場所に、誰でも読める形で。


 シンが台座に手を戻すと、第五層の灯りと水の流れる音が、半日待たずに戻ってきた。バルトが叫ぶ。


 「風呂は!?」


 「戻ったのは、この階の灯りと水路よ! 第八層の湯は、最初から止まってないの!」


***


 シンは入口の大木の根元に、最初の目印の杭を打った。誰でも読める地図の、最初の一点だった。


 鏡晶の樹海に着いたのは、昼過ぎだった。木々の樹皮が鏡のように光を返し、枝から枝へ光が跳ねて、あたり一面に星屑を撒いたように見える。


 「きれい……。でも、すごく甘い匂い。樹液でしょうか」


 「鼻を信用しすぎないで。この森は、匂いも光も嘘をつくから」


 フィオナの忠告が終わる前に、ティナの耳がぴんと立った。


 木の根元に、縄の罠にかかった幼い獣がうずくまっていた。子犬ほどの大きさで、白い毛並み。額に小さな角のようなこぶがある。


 脚には細い縄が食い込み、血が滲んでいた。日が傾けば、森は暗くなる。罠を張った誰かが見回りに来る前に、外してやりたかった。


 罠は、獣道の高さに合わせて張ってあった。引き縄の位置も、杭の打ち方も、素人の仕事ではない。シンはその仕掛けを帳に写し取ってから、獣に目を戻した。フィオナは結び目の形だけを、別の頁に描いている。


 駆け寄ろうとしたティナの肩を、シンが押さえた。


 「急に近づくと、怖がる」


 シンは水筒の蓋を開けて地面に置き、後ろへ下がった。獣は唸り、後ずさろうとして縄に引かれ、きゅう、と鳴いた。バルトがそわそわと身を揺らす。


 「俺が切ろうか」


 「待ってくれ。もう少し」


 光の粒が、獣の毛の上で淡く揺れる。やがて水の匂いに惹かれたのか、獣が鼻先を水筒へ伸ばし、ぴちゃ、と喉を鳴らした。


 「バルト、今だ」


 巨体に似合わない慎重さで、バルトが刃を当てた。ところが、縄は切れなかった。細い針金が編み込んであり、大槌の刃先が滑る。獣が身を固くした。


 「貸せ」


 ダリウスが腰の袋から小さな鋏を出し、針金を一本ずつ噛み切っていった。


 縄がほどけると、ティナが背中の袋から薬草を出して、脚の傷に貼った。白い獣は一瞬縮こまり、それからそろそろとシンの足元へ寄って、足首に鼻をこすりつけた。ダリウスが目を丸くする。


 「幻獣の子だ。カルクという。霧や虚像の濃淡を嗅ぎ分けるって話だが、実物は初めて見た」


 獣はシンの膝に飛び乗って丸まり、手を伸ばしたバルトを完全に無視して、その頭によじ登った。赤茶の短髪の上に、白い毛玉がちょこんと座る。バルトは石になった。


 「名前、つけないと」


 「スノウ。白いから」


 「単純」


 「いいだろ」


 スノウはバルトの頭の上で、ふわあ、と欠伸をした。バルトは動いたら落ちると本気で信じて、夕方まで、そのまま歩いた。


 野営の焚火のそばで、ダリウスが拾った縄の切れ端を、指で何度も確かめていた。


 「……まだ新しい。結び目も、素人の仕事じゃねえ」


 「誰かが、この森で罠を張ってるってこと?」


 「幻獣の子は高く売れる。そういう商売をする連中は、いる」


 ティナが森の奥へ耳を向けた。


 「さっき、風が変でした。誰かが木の陰で、息を止めたみたいな」


 全員が暗がりを見た。鏡のような木々が、焚火の炎を何十にも増やして映している。その中のどれかに目が混じっていても、おかしくなかった。


 シンは、膝の上で眠るスノウを抱き直した。罠の主は、獲物が消えたことに、もう気づいているはずだ。見回りに来るのは、夜明け前だろう。


 「迎え撃つか、先に離れるか」


 バルトが小声で訊いた。シンは首を振った。


 「まだ決められない。この子をどこに隠すかが、先だ」


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