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白地図の測量剣士 ~命綱を切られた地図描きは、歩いた階層を剣にする~  作者: 雅龍(がりゅう)
第二部 開拓団コンパスと鏡の森

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18/27

旗より先に台所

「団を作る。ただし、このままだと金が三か月でなくなる」


 シンが帳簿を机に広げた朝、バルトは三杯目の粥を飲み込みながら言った。


 「旗は赤にしようぜ。強そうだ」


 「待って。先に決めることがあるでしょう」


 フィオナの手帳が、机にばしんと叩きつけられた。


 「記録室はどこ。食材は誰が買うの。薪代は。給金の締めは」


 「……旗は?」


 「後!」


 黒鉄の第五層の保守室を記録室に、第八層の休養区画を台所にする。そこまではすぐ決まった。決まったあとで、全員が固まった。湯気の立つ鍋を囲んだまま、誰も皿を洗おうとしない。


 「洗うのは、いちばん最後に食べ終わった人にしよう」


 「それ、バルトが毎回当たるわね」


 「食べるのが遅いからでしょう」


 「お前らが速すぎるんだ!」


 二人が押し問答をしている間に、鍋の底が焦げついた。バルトが焦げの欠片を指でつまんで口に入れ、重々しく頷く。


 「料理人が要る」


 「要るわね」


 「あと、この焦げは俺のせいじゃねえ。シンが目を離したからだ」


 「俺?」


 「地図を見て、鍋を忘れた」


 反論できなかった。ただ、シンは鍋をひっくり返して、底の焦げ方を眺めた。左半分だけが真っ黒で、右半分はほとんど白いままだった。


 帳簿の数字も深刻だった。B級昇格の報酬と地図の売上を足しても、三人分の食費と薪と道具代で、三か月ともたない。フィオナが鉛筆の尻で額を叩いた。


 「心当たりがあるわ。ギルド裏の食堂に、膝を悪くした元工兵の料理人がいるって」


 バルトが勢いよく立ち上がった。


 「肉は焼けるのか。連れてこい、今すぐ」


 「今すぐは無理よ!」


 皿を洗わずに外へ飛び出そうとしたバルトを、フィオナが襟首を掴んで連れ戻した。皿は、結局シンが洗った。


***


 ダリウスは、ギルド裏の食堂で鍋を睨んでいた。三十八歳、無精ひげ。左膝には鉄と革を組んだ装具をつけている。元は魔装工兵で、いまは日雇いの調理人だ。昼の仕込みの最中に現れた三人を、彼は一瞥もせずに迎えた。


 「何の用だ」


 「第八層の台所で、毎日の食事を作ってほしいんです」


 シンが頭を下げると、ダリウスは鍋の蓋を取り、ひと匙を味見してから、無言で紙を突き出した。


 「見積書だ」


 細かい字がびっしりと並んでいた。食材費。燃料費。調味料。予備の鍋。保守用の工具。最後の行だけが太い字で、日給は銀貨八枚、月に四日は完全に休むこと、分け前は他の団員と同率、と書いてある。


 フィオナが声を出さずに数字を追って、顔をしかめた。


 「高いわ。けど、妥当ね」


 「安く使うなら他を当たれ。うまい料理は安売りしねえ」


 ダリウスは腕を組んだ。


 「もうひとつ。若い連中は無茶をする。俺は止める、何度でもな。うるせえと思うだろうが、それも仕事のうちだ」


 左膝をぽんと叩くと、装具がからんと鳴った。シンは見積書を最後の行まで読んで、途中の一行で目を止めた。


 「この保守用の工具は、火口の掃除にも使えますか」


 「火口?」


 「第八層のかまどです。鍋が左半分だけ焦げました。炎が片側に寄っている気がします」


 ダリウスの眉が、ぴくりと動いた。見積書から顔を上げて、少年を上から下まで眺める。


 「……口金に煤が詰まると、炎は偏る。そこに気づいたのは誰だ」


 「焦げ跡を見ただけです。バルトには、俺が目を離したせいだと言われましたけど」


 「半分は当たってるな」


 ダリウスは首の後ろを掻いた。それから、見積書を指先で弾いた。


 「で、値は。叩くなら今のうちだぞ」


 「値切りません。全部、その条件でお願いします」


 「あ?」


 「止めてもらえるなら、助かります。俺は自分では止まれないので」


 食堂の喧騒が、一瞬だけ遠のいた。ダリウスは、少年の旋毛をしばらく見下ろしていた。


 「……変なガキだ。こっちはな、半分に叩かれると思って、倍の額を書いたんだぞ」


 「えっ」


 フィオナが、うっかり吹き出した。


 「ごめんなさい。この人、見積書は読むのに、駆け引きは読まないの」


 「ったく。値切らねえ奴は、金を払わねえ奴より怖い。……分かった、行く。ただし、俺の鍋は俺が運ぶ」


 その日の夕方、第八層の台所に着いたダリウスは、荷を解くより先に火口を外した。細い針金で口金の煤を掻き出し、元に戻して火を入れる。炎は、五分で左右そろって青く立った。


 「焦げの犯人は、これだ。小僧のせいじゃねえ」


 「……悪かった」


 バルトが、頭を掻いた。


 その夜の食卓には、骨付きの塊肉を赤い酒と香草で半日煮込んだ皿が出た。匙を入れただけで、肉がほろりと崩れる。バルトはひと口食べて固まり、そのまま何も言わなくなった。皿は三回空になった。


 翌朝、台所の壁に一枚の紙が貼られていた。


 『台所の掟

 一、食事の前に地図を広げるな。

 二、鍋の前で目を離すな。

 三、残すな。

 四、皿を洗うのは、いちばん最後に食べ終わった者。(おかわりは三杯まで)』


 「四番、俺だけ狙い撃ちじゃねえか!」


 「文句があるなら、早く食え」


 ダリウスは、振り向きもせずに言った。フィオナが紙の端に、鉛筆で小さく『五、食事中の手帳は没収』と書き足す。


 「それは私にも当たるんだけど」


 「書いたのは、お前だ」


 「ええ。守れる自信はないわ」


 笑いの輪の外で、バルトが四番の下に、自分の名前をこっそり署名していた。洗い物の係を、自分から引き受けた印だった。誰も気づかないふりをした。


 シンが外套を取りに立つと、ダリウスが鍋をかき回しながら言った。


 「遠征に出るなら、台所の鍵を誰に預けるか決めとけ。火の消えた台所は、三日で傷む」


 鍵の束は、シンの手の中にあった。第五層の記録室、第八層の台所、水と灯りの弁。預けられる相手は、一人しか思い当たらなかった。


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