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白地図の測量剣士 ~命綱を切られた地図描きは、歩いた階層を剣にする~  作者: 雅龍(がりゅう)
第一部 最後の0.8パーセント

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三人の重撃

守護機の拳は、まだ振り上げられたままだった。バルトの盾は割れ、膝は笑っている。それでも立っている。三人分の十秒が、シンの手の中にあった。


 床を蹴り、足の裏から重さを外す。壁、天井。守護機の真上の、高い天井の面に、靴が着いた。


 赤い灯りが下から見上げてくる。首のない胴がぎしぎしと軋んで向きを変え、腕を伸ばしたが、届かない。足を床に埋めたまま、天井を歩く少年を見上げることしかできなかった。


「あいつ、天井歩いてやがる」


 バルトが口を開けたまま呟いた。守護機が唸り、拳を天井へ振り上げたが、当たらない。


 シンは拳の軌道の外を、一歩で渡った。風はない。父に叩き込まれた足運びで梁を踏み、腰から次の歩を出すだけだ。


「フィオナ、灯りは!」


「赤! 拳が戻るまで六拍!」


 シンの足が、背中の継ぎ目の真上で止まった。守護機の足は割れた石に埋まり、床板を沈める余地はもうない。ただ、足が動かないせいか、胴は激しく震えていた。


「バルト! 足を!」


「おうよ!」


 バルトが砕けた盾を投げ捨て、大槌を両手で振り上げた。腕は痺れ、膝は笑っている。


 それでも槌を埋まった脚の付け根へ叩き込むと、がん、と重い音がして、脚が石の割れ目へさらに沈んだ。これで、床板は二度と沈まない。


「いま!」


 フィオナの声と同時に、シンは天井を蹴った。落下しながら、刃に重圧を集める。


 継ぎ目へ、一直線に入った。ずん、と深く重い手応えがあり、守護機の胴の内側で軸が折れた。赤い灯りが明滅して、ふっと消える。腕が床に落ち、ごおおんと反響が部屋を満たして、やがて静けさに沈んだ。


 シンは着地して、片膝をついた。右手が痺れて、刀の柄を握ったまま、指が開かない。守護機の胸の穴の奥には、割れた歯車と細い軸が見えた。荷重を床に逃がす機構は、すべて足元の板の下に集まっていたのだ。


「やった、のか?」


 バルトが大槌を取り落とした。


「やったわよ!」


 フィオナが駆け寄ってシンの肩を叩いた。力が強すぎて痛い。泣いているのか笑っているのか、自分でも分かっていない顔だった。


 倒れた守護機の背後で、最後の観測点が光っていた。シンが歩いて掌を置くと、かちり、と音がした。


【黒鉄の巨坑 全十層 測量認証率 100.0%】

【階層主権 安定化済み】


 光が巨坑全体を走り、壁の奥から、遠い歯車の音が地鳴りのように聞こえてきた。何百年も止まっていた何かが、動きはじめる音だった。バルトがその場にへたり込んで笑い出す。


「あー、腹減った」


「第一声がそれ?」


「勝ったら腹が減るだろ」


 バルトの両腕には、盾の割れた縁で擦った傷が幾筋も走っていた。フィオナが包帯を出して、無言で巻きはじめる。大盾は、鉄の板が三枚に割れて床に散っていた。


「盾、直るかな」


「直す。そのために、報酬を取りに行くんだ」


 シンが答えると、バルトは顔をくしゃくしゃにして笑った。


***


「黒鉄の巨坑、全十層、完全踏破。階層主権の取得を、ギルドは公認する」


 ハロルド検証官が、分厚い書類に判を押した。片眼鏡の奥の目は、昨日の測量図の細かさを、まだ疑っているようだった。


「同時に冒険者等級をB級に昇格する。図の写しは、ギルドが買い取ろう。若いのに、大したものだ」


 シンが第十層の測量図を卓に広げると、ハロルドは片眼鏡を押し上げて、図の隅の書き込みを読んだ。守護機の足元の床板、沈む順番、補強のない隅の場所。


「司門の機構まで、描いてあるのか。次に挑む者が、これで何人も助かる」


 それは、シンが一番欲しかった評価だった。


 ギルドの広間は、噂を嗅ぎつけた探索者と商人と新聞屋でごった返していた。助けを求めてフィオナを見ると、彼女は肩を揺らして笑っている。


「全部答えなさい、有名人」


「勘弁してくれ」


 人垣の端で、帽子を握りしめた古株の探索者が、もじもじと近づいてきた。「仕様書みてえな図」と鼻で笑った、あの男だった。


「すまなかった。入口の三歩の図で、うちの若いのが助かった。新人には全員、あれを持たせてる」


「ありがとうございます」


 男はそそくさと人垣に消えた。壁際では、鉄鷲団の残党が数人こちらを睨んでいる。シンは目を逸らさず、フィオナに袖を引かれた。


 そのとき、ハロルドが懐から小さな筒を取り出した。


「もうひとつ、伝えておく。君が全十層を閉じた昨日、ギルドの古い通信機が反応した。黒鉄が完全に起動したことで、他の施設へ応答が走ったらしい」


 筒から出た紙片には、古代文字が数行並んでいた。フィオナが覗き込み、目を見開く。


「『鏡晶系統、不通』。別の迷宮が、応えていないってことよ」


「不通ってことは、前は通じてたのか」


「ええ。誰が、いつ切ったのかは分からないけど」


 広間のざわめきが、遠のいた気がした。シンは白地図帳を開いた。最初の頁は金色に染まり、その隣に、まだ何も描かれていない白い頁がある。指で触れると、紙は冷たかった。


「行き先が決まったな」


 バルトが骨付き肉をかじりながら言った。


「どこだ?」


「鏡晶の樹海。切れた線の先を、測りに行く」


第一部「最後の0.8パーセント」完。次回から第二部「開拓団コンパスと鏡の森」です。

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