任せる十秒
作戦の朝、食料は最後の一日分になっていた。これで届かなければ、補給に戻るしかない。
三日かけた観察で、守護機の周期は割れていた。部屋の外から、入口の隙間から、縄で作った覗き窓から、フィオナは手帳に正の字を書き続けた。
胸の灯りが緑から赤に変わり、拳が出るまでが十二拍。振り終えて構え直すまでが六拍。
「その六拍が、貴方の動ける間よ。外れたら、拳を避ける足場が一歩ずれる」
フィオナが手帳を閉じた。彼女は三日目の夜、机に突っ伏して寝てしまっていた。
手帳の最後の頁には細かい周期表がびっしり並び、端がよだれで少し滲んでいた。シンが毛布を掛けると、遠くで見ていたバルトは何も言わず、焚火に薪をくべた。
作戦は単純だった。荷重を逃がす床板があるのは、守護機の立つ位置の真下だけだ。補強のない北東の隅へ誘い込めば、逃がす先がなくなる。そこへ重圧を通す。
もうひとつ、避けて通れない問題が残っていた。足を埋めた守護機の前で、静風から重圧へ切り替える十秒だ。その間、シンは剣の力を使えず、動くこともできない。
「その十秒、殴られ続けるのは俺だな」
バルトが先に口にした。シンが頷くと、彼は盾の凹みを撫でて、にやりと笑った。
「いいぜ。盾が持つかは、やってみなきゃ分からねえけどな。ただ、数える声は途切れさせるなよ。数が聞こえてりゃ、あと何発耐えればいいか分かる」
「止めないわ。私が数える」
フィオナが短く答えた。シンは二人の顔を順に見て、小さく頭を下げた。前の晩には、杭と縄を伝って入口から隅までの距離を、何度も歩いて確かめてある。避ける足の置き場は、一歩ずつ頭に入っていた。
***
シンは《静風》を装填して、第十層に入った。風が背中を押し、足音が消える。赤い灯りが、こちらを向いた。
「来い」
拳が来た。速い。けれど読める。左へ半歩、風に乗って滑るように避けると、拳が床を砕き、破片が頬をかすめた。
続く六拍の隙に右へ回り込み、守護機の足元を、少しずつ北東の隅へ寄せていく。
「あと二歩!」
遠くでフィオナが叫ぶ。守護機が拳を振りかぶり、シンはわざと半歩だけ足を残して、拳の軌道を隅のほうへ傾けさせた。守護機は的を逃さず、体ごと追ってくる。
風圧が頬を叩き、静風を纏っていても紙一重だった。速さは風が与えてくれるのではなく、脚と読みと度胸で稼ぐものだ。腰から出し、膝で止めず、重心は臍の下に置く。
拳が右肩の布を裂き、痛みが遅れて来た。
「こっちだ、デクノボウ!」
バルトが横から飛び込み、大槌で守護機の脚を打った。ごん、と鈍い音がして、巨体が傾く。片足がそのまま隅の石へ踏み込み、古い石組みがぐしゃりと割れた。足は膝まで床にめり込み、抜けない。
「かかった!」
その直後、守護機の反対の腕が、入口のほうへ振られた。拳が通路の天井を打ち、岩が崩れて、帰り道の一部が塞がった。
「しまった」
「落ち着いて! 手すりの道は半分残ってる!」
フィオナの声は震えていたが、はっきりしていた。先に打った杭と縄が、崩れなかった側の通路に伸びている。矢印も、白く見えていた。
赤い灯りが、一度だけ点滅した。苛立ちのような仕草に見えた。機械が苛立つはずがないのに、とシンは思った。
「バルト、そのまま足を押さえてて!」
「応!」
バルトは槌の柄で、守護機の埋まった膝を内側から押した。足が抜けようともがくたびに、床の割れ目が広がる。重い機械は、自分の重さで、自分の足を深く沈めていった。
***
守護機は片足を床に埋めたまま、動きを止めていた。荷重を逃がせない足場に、ようやく縫い止めた。
けれどいまの装填は《静風》で、重圧ではない。
「バルト、フィオナ! 十秒、預ける!」
「任せろッ!」
納刀して、帳を開く。すっと風が消え、肌がむき出しになるような心細さが背中に落ちた。
「一!」
フィオナの声が響き、守護機の拳が振り上がった。バルトが割り込み、大盾を前に腰を落とす。拳が盾を打ち、ごおおんと重い音が部屋を満たした。バルトの足が、床をえぐりながら後ろへ下がる。
「二、三! 灯り、赤になった! 次、六拍で来る!」
盾の表面に、亀裂が走った。バルトは歯を食いしばって持ち替え、二撃目を受ける。
「四、五、六!」
十秒は、思っていたよりずっと長かった。静風の膜が消えた体は、拳の風圧だけでも震える。それでもシンは、帳から目を離さなかった。
顔を上げれば集中が切れ、最初からやり直しになる。その間、バルトは殴られ続ける。見ない。信じる。見ないほうが、ずっと怖かった。
耳には、すべての音が届いていた。盾の軋み、バルトの歯ぎしり、震えを押し殺したフィオナの声。やがて盾が、割れる音を立てた。
「七! 八!」
バルトの膝が落ちかけた。それでも彼は、盾の残骸を捨てて、腕で拳を受けた。
「九……!」
フィオナの声が、一瞬止まった。止まって、それからいっそう強く響いた。
「十ッ!」
【再同調 完了 装填:《重圧》】
シンは顔を上げた。守護機の真上の天井が、静かにそこにあった。あの背中の継ぎ目は、上から見れば丸見えだ。




