第5話 いつもの日常?
「間久部君。今日、時間ある?」
終業の挨拶が済んだ直後、天使さんが僕の机の前に立った。
「ありません」
速やかに断りを入れる。
「まだ何も言ってないでしょう」
不服そうな表情だ。だが、
「時間の有無を尋ねられたので、お答えしました」
そう答えるも、構わず天使さんは言葉を続ける。
「今日はお仕事?」
「休みです」
「じゃあ、あるじゃない」
ない、ともう一度言うべきか迷った。
僕の午後には、何もしないという重要な予定が入っている。
ただ、それをこの人に理解してもらうには、おそらく午後いっぱいかかる。
「河川敷の清掃で、少し人手が足りないんだって。無理にとは言わないけど、あなた、力もあるし」
「お断りします」
「袋を運ぶだけでも助かると思うの」
「お断りしています」
「分別の説明ができる人も足りないらしくて」
「役割を変えれば承諾するわけではありません」
天使さんは、そこでようやく僕の顔をよく見た。
眉が寄る。
「……顔色、悪いわね」
「ですから、帰って休みます」
「そういうことは先に言ってよ」
先に断った。
そう指摘しても、きっと「理由を言わないと分からないでしょう」と返される。
彼女に悪意がないことは、僕も理解していた。
困っている人がいる。
自分たちにできることがある。
ならば、やればいい。
天使翼は有名人だ。
彼女の中には、ほとんど迷いがない。
巻き込まれる側の都合は、善意の勢いに押されて、ときどき後回しになる。
「翼、今日の清掃、来る?」
廊下から女子生徒が声をかけた。
「ごめん。少し遅れる。間久部君を送ってから行くね」
「送る必要はありません」
「ふらふらしてる人を一人で帰せないでしょ」
「ふらふらしていません」
「昨日、階段の踊り場で目を閉じてた」
見られていたかのか。
こういう所がめざといのだ彼女は。
「思索に耽っていたのです」
「鞄、落としてたじゃない」
反論に使える材料が尽きた。
廊下の女子生徒が苦笑する。
「了解。あんまり無理させないであげてね」
「分かってる!」
何がどこまで分かっているのか、尋ねるのはやめた。
天使さんは鞄を肩へかけ、当然のように僕を待った。
彼女は校内のどこにいても声をかけられる。
風紀委員の仕事を頼まれ、行事の手伝いを頼まれ、落とし物を預けられる。
たいていの相手には、名前を呼んで応じる。
ただ、並んで帰る相手は、あまり見かけなかった。
誰かと話していても、別の誰かが困っていると、彼女はそちらへ行ってしまう。
残された側の笑顔が少し困ったものに変わるところを、僕は何度か見ていた。
「ほら、帰るわよ」
「僕を送ることは、風紀委員の業務に含まれるのですか」
「あなたの生活態度を見るようにって、委員長から任されてるもの」
その委員長へ話を持ち込んだのは、僕の扱いに困った教師たちだ。
自分たちで持て余した生徒を、別の生徒へ預ける。
教育機関として、その判断はどうなのだろう。
「任務に忠実ですね」
「引き受けたんだから、ちゃんとするわよ」
天使さんは、何でもないことのように答えた。
僕は鞄を持ち直した。
彼女がそう言うことは、尋ねる前から分かっていた。




