↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
間久部くんの受難   作者: Undo
スラップス
PR
30/46

第30話 夜の研究所

零時。


 車を降りた僕は、目の前の建物を見上げた。


 白い壁。

 ガラス張りの正面。

 照明を落とされたロビー。


 何度も出入りした入口だった。


「……ここ、ですか」


 スラップス社の研究所。


 八神は頷いた。


「間違いないな」

「天使さんが、ここに?」

「そのはずだ」


 どっちだよ。


 八神が、正面へ歩き出した。


 僕は慌ててコートの袖を掴んだ。


「待ってください」

「今度は何だ」


不満気な八神の身体ごと止める。


「そのまま入るつもりですか」

「我々の仕事先だろう。入館証もある」

「そういう問題ではありません」


 正面の向こうに、警備員の姿が見えた。


 昼間なら、挨拶をして通る場所だった。


「店では、帰ったと聞きました。研究所へ戻るという話は、誰もしていません。もし本当にここにいるのなら、なぜですか」

「入って聞けばよかろう?」

「相手が何を知っているかも分からないのに、僕たちが探していると知らせるのですか」


 八神が、僕を見た。


 少しだけ、口元が上がる。

 嫌な顔だ。


「では?天才くんは、どうするかね」

「……まず、裏へ回りましょう」


 言ってから、建物を見上げ直した。


 本当に、ここなのだろうか。


 今朝、天使さんはここを出た。

 そのあと、店へ行き、昼食もスタッフと取っている。


 それが、なぜ。


「八神さん。もう一度だけ聞きます。ここだという根拠は」

「星の導きだ」


 即答だった。

 合法的に人を殴る方法を本気で探したい衝動に駆られた。


 僕は息を吐いた。


 この問答を続けても、時間しか減らない。


 建物の脇へ向かう。


 八神は、楽しそうでも、気負っているようでもなかった。

 夜の散歩に付き合っているような足取りで、僕の隣を歩いた。


 研究所の裏手にも、明かりはあった。


 通用口。

 搬入口。

 窓のない壁面の上には、幾つもの設備が取り付けられている。


 時折、巡回の警備員が通った。


 そのたびに足を止め、姿が遠ざかるのを待つ。

 自分たちの足音が、やけに大きく聞こえた。


 八神は何も言わなかった。

 僕も、口を開かなかった。


 植え込みの脇を抜けようとしたとき、靴の先が何かに引っかかった。


 身体が前へ傾く。

 何とか踏みとどまり、振り返った。


 疲れている。


 そう思って足元を見て、動きを止めた。


 金属が見えた。

 土と落ち葉の間に、平たい取っ手のようなものが埋まっている。


 屈んで、周囲を払った。

 指先に、まっすぐな継ぎ目が触れた。


「八神さん」


 声を落とす。

 八神も、そこへ目を向けた。


「ほう」

 

 取っ手へ指をかけ、引いてみる。


 だが、動かなかった。


 力を入れ直しても、僅かに軋むだけだった。


「どきたまえ」


 僕は手を放した。


 八神の手には黒い西洋剣が握られていた。


 刀身の中を、光が一筋、流れた。

 同時に八神が剣を振る。


 力を込めたようには見えなかった。


 地面に、線が走った。


 土と、その下に隠されていた金属がまとめて裂けた。


 厚さがどれほどあったのか、分からない。

 ただ、そこにあるものの硬さが、剣にとって何の意味も持たないことだけは分かった。


 八神が切り離された蓋を脇に寄せる。


 蓋の下に、階段があった。


 冷たい空気が、顔へ触れた。


 地中の湿った匂いに、別の匂いが混じっている。


 薬品のような、清掃したばかりの床のような。


 僕は、暗い穴を見下ろした。


 なぜ、こんな場所に。


 そう思った直後、仕事中に見た幾つもの数字が、頭の中で繋がり始めた。


 物資の搬入が多かった。


 研究所なのだから、当然だと思っていた。

 けれど、見せてもらった設備と、そこで使われている量に対して、多すぎるものがあった。


 どこかへ運び出されている様子もない。


 ならば、保管しているのか。


 それにしては、倉庫に当たる建物が見当たらなかった。


 気になって、仕事の合間に会計の台帳まで覗いた。

 セキュリティはそこまで高くなかったので、色々手直ししたので、許して貰いたいが、渡された閲覧権限の範囲を越えていたことは、言い訳できない。


 だが、帳簿に計算の誤差はなかった。


 電力も、水も、施設維持費も、支出としてはきちんと記録されていた。

 不明な出費が紛れ込んでいたわけではない。


 そもそもの前提が違う。

 僕が見ていた施設の規模が、違ったのだ。


 見せられていない場所の分まで含めて、数字は初めから整っていた。


 頻繁に購入されていたものを思い出す。


 生理食塩水。

 水酸化ナトリウム。

 ホルマリン。


 研究所にあること自体は、不思議ではない。


 使い道も、一つではない。


 けれど、納入の頻度と数量が気になったからこそ、覚えていた。


 八神が、階段へ足をかけた。


「来るかね」


 僕は頷いた。

 それ以外の答えはなかった。


 階段は、深かった。


 途中で折れ曲がり、また下へ続く。

 地上の音は、すぐに聞こえなくなった。


 代わりに、低い振動が壁を伝わっていた。

 空調か、機械か。

 同じ音が、途切れず続いている。


 僕は手すりへ触れた。


 冷たかった。


 八神のコートが、少し先を揺れていた。


 どれくらい降りたのだろう。

 数分経った頃、階段が終わった。


 目の前には扉。


 金属製の、厚い扉。

 壁との隙間も、取っ手も、殆ど見当たらない。


 脇にはテンキーの端末があり、表示には十二桁分の入力欄が並んでいた。


 僕は立ち止まった。


 十二桁。


 数字だけだとして、一兆通り。


 全部試すなど、考えるだけ無駄だった。

 その前に、何らかの制限がかかるだろう。


 端末を見て、扉を見た。


 八神の剣で、また切れないだろうか。


 だが、扉の向こうに何があるか分からない。

 すぐ内側に人がいる可能性もある。


 では、どうする。


「さて」


 八神が前へ出た。

 嫌な予感がした。


「八神さん。少し待って――」


 指が動いた。


 一つ。

 次。

 さらに、次。


 迷いがなかった。


 軽い電子音が、続けて鳴る。


 僕は、呆れてその手を見ていた。


 十二回目の音がした。


 次の瞬間、端末の表示が変わった。


 扉の奥で、重いものが外れる音がした。


 低い振動が、足元へ伝わる。


 大きな扉が、ゆっくりと動き始めた。


 僕は、八神を見た。


「……何をしたのですか」


 八神は笑った。


 答えなかった。


 扉が開ききる前に、その隙間へ身体を滑り込ませる。


 僕は、足早に後を追った。



 寒い。


 最初に感じたのは、それだった。


 汗の残る背中へ、冷気が触れる。

 思わず肩を縮めた。


 広い部屋だった。


 薄い青色の光が、床へ落ちている。


 天井は高く、配管が幾重にも走っていた。

 機械の作動音と、水の流れるような音が、重なって聞こえる。


 円柱が並んでいた。


 人の背より高い、ガラス張りの円柱。


 一本や二本ではない。

 奥まで、幾列も続いている。


 中には液体が満たされていた。


 その向こうに、何かが見えた。


 僕は、最も近いものへ目を向けた。


 虎だった。


 胴体は。


 縞模様のある四肢が、液体の中で力なく曲がっていた。

 太い尾が、ゆっくりと揺れる。


 首の先にあるのは、牛の頭だった。


 角があった。


 閉じた瞼。

 大きな鼻面。


 それが、虎の身体へ繋がっている。


 僕は、足を止めた。


 作り物。


 最初に、そう考えた。


 模型か、標本。

 何かの展示のために作られたもの。


 けれど、皮膚も毛並みも、あまりに生々しかった。


 隣の円柱を見る。


 黒い牛の身体に、二つの頭があった。


 ライオン。

 その隣に、山羊。


 背後へ伸びた尾の先で、蛇が丸くなっている。


 頭の中に、知っている怪物の名前が浮かんだ。


 同じではない。

 だが、似せようとしているものは分かった。


 あるいは。


 似てしまったのだろうか。


 僕は、もう一つ奥を見た。


 人の形をしていた。


 腕があり、脚がある。


 その上に、頭が二つ。


 大きさが違った。


 片方がもう片方へ寄り添うように傾き、どちらも目を閉じていた。


 胸の奥が、冷たくなった。


 頭の数や、身体の形が恐ろしいのではなかった。


 ここにあるものは、いずれも、誰かがそうしようとして作ったものに見えた。


 揃えられた装置。

 管理のための表示。

 それぞれに付された番号。


 形にするまでに、何をしたのか。


 その間、これらは生きていたのか。


 今も、生きているのか。


 考えたくない問いが、次々に浮かんだ。


 資料室で読んだ言葉を思い出す。


 命の定義。

 魂の定着。

 生体との結合。


 頁の上では、文字だった。


 ここでは、目の前にあった。


 喉が動いた。


 吐き気を飲み込む。


 八神は、黙っていた。


 もう、冗談を言うような顔ではなかった。


 僕も、何も尋ねなかった。


 円柱の間を進む。


 靴音が、硬い床に響いた。


 どの中身も、目を閉じていた。

 眠っているようにも、そうでないようにも見えた。


 見続けることができなかった。


 だから、視線を逸らした。


 別の円柱へ。




 その瞬間、頭の中が白くなった。



 足が止まる。



 機械の音が、遠ざかった。


 見覚えのある髪が、液体の中で揺れていた。


 閉じた目。

 よく知っている、眉の形。


 今朝、最後に見たときには、こちらを見ようとしなかった顔。


 違う。

 そう思った。

 違うはずだった。


 僕は、ガラスへ近づいた。


 服も身につけず、両腕を力なく浮かべている。


 呼びかけようとした。


 名前が、喉から出てこなかった。


 円柱の中にいたのは、天使さんだった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。