第23話 研究と依頼と
ハイヤーを降りて最初に思ったのは、眩しい、ということだった。
白い外壁と、一面に張られたガラス。
午後の陽光を受けた建物は、空の青さまで自分の一部に取り込んでいるように見えた。
正面の自動扉を抜けると、冷たい空気が頬に触れた。
受付で八神が名を告げる。女性職員はすぐに端末へ目を落とし、僕たちを奥のロビーへ案内した。
こちらも、白が基調だった。
床も壁も明るく、ガラス張りの壁面からは、手入れの行き届いた植栽が見える。照明は天井や壁の内側に隠され、受付からここまで、目につく場所に配線一本見当たらなかった。
物が少ない。
その分、置かれたものには、いちいち意図が感じられた。
「うわぁ……」
天使さんが、感嘆の声を漏らした。
視線の先には、赤いソファーがあった。
幅の広い帯を途中で捻り、そのまま固めたような形をしている。座面らしき窪みはあるものの、どちらから腰を下ろすのが正しいのか、すぐには分からない。
「これ、座っていいやつ?」
「ソファーなら、そうでしょうね」
「間久部くんにも分からないんだ」
「家具の用途を推理した経験は、あまりありませんので」
天使さんは横へ回り込んで眺め、それから隣のオブジェへ目を移した。
幾つもの金属の輪が、互いをすり抜けるように組み合わされている。
輪の内側に輪があり、その向こうにも輪がある。見る角度によって、どこが繋がっているのか分からなくなった。
「こっちもすごい。これ、どうやって作ったんだろう」
「触らないほうがいいですよ」
「近くで見ようとしただけですー」
「そのままでお願いします」
天使さんが、伸ばしかけた手を止めた。
「……高いの?」
「恐らくは……」
「そんなに?」
「あちらの絵と同じ基準で選んでいるのなら、気軽に弁償できるものではないかと」
壁には、小さな絵が一枚だけ掛かっていた。
広い余白に、青と灰色の線が重なっている。
天使さんは絵を見た。
僕を見て、もう一度、絵を見た。
「あれ、そんなにするんだ」
「ええ」
「何か、うまく言えないけど……」
「言わないほうがいいと思います」
言いたいことは、大体分かった。
彼女は背中へ両手を回すと、少し距離を置いて絵を眺め直した。
触らないための姿勢らしかった。
「麗」
振り向くと、八神が例の赤いソファーに座っていた。
「これは、なかなか具合がいいぞ」
「そうですか」
「見た目で決めつけるのは、感心せんな」
「まだ何も言っていませんが」
「顔に書いてあった」
長い脚を組み、奇妙な曲面に身体を預けている。
こうして見ると、確かに座るための場所に見えた。
ただ、この人が家具に合わせているのか、家具のほうがこの人に屈しているのかは、よく分からない。
「私も座ってみようかな」
天使さんが近づいたところで、奥の扉が開いた。
「お待たせいたしました。所長がお待ちです」
八神が、名残惜しそうでもなく立ち上がる。
結局、ソファーの座り心地は分からないままだった。
通された部屋は、ロビーとは随分と趣が違っていた。
深い色の木材で覆われた壁に、厚い絨毯。
書棚には背表紙の揃った専門書が並び、窓辺の大きな執務机には、書類が几帳面に積まれている。
白いロビーが来訪者へ見せるための場所なら、こちらは長く腰を据えるための部屋だった。
向かい合わせに置かれた革張りのソファーの前で、三人の男女が僕たちを待っていた。
中央の男性が、一歩進み出る。
アジア系の顔立ちをした、色黒の初老の男性だった。
短く整えられた髪には白いものが交じっているが、姿勢はよく、こちらへ差し出された手にも迷いがない。
「ようこそ、お越しくださいました。所長の李畔吃です」
リフォンチー、と名乗った男性は八神と握手を交わし、僕たちにも順に挨拶した。
その隣にいた女性は、ドレッドヘアを編み込んで後ろへまとめていた。
鼻梁から頬にかけて浮いたそばかすが印象的な美人で、僕と天使さんを見たときだけ、僅かに目を細めた。
「生物開発部門長の、グレッダ=ゴールです」
笑みは礼儀正しかったが、長くは続かなかった。
挨拶を終えると、すぐに八神へ視線を戻している。
最後の一人が近づくと、窓からの光が少し遮られた。
「エネルギー開発部門長、マイケル=カースです。お会いできて光栄です」
白人の大男だった。
肩幅だけなら、僕を三人並べても足りないかもしれない。
握手をすると、こちらの手がほとんど隠れてしまった。
三人とも白衣を着ていた。
年齢も、顔立ちも、体格も異なる彼らの右胸に、同じ緑色のマークが刺繍されている。
勧められたソファーへ、八神を中央として腰を下ろす。
今度は、座り方に迷う必要はなかった。
「それでは、早速ですが」
李所長が、机の上に用意されていた資料を配った。
「今回お願いする業務と、研究協力の範囲について、確認させてください」
僕も一部を受け取り、表紙をめくる。
最初に記載されていたのは、提携事業における販売補助と接客だった。
続いて、生成した人工霊体の運用記録。
「実際に人が接する環境で、どの程度、想定どおりに動くか。そこを調べていただきます」
グレッダ女史が説明した。
「指示への応答、動作の正確さ、周囲の状況による変化。研究室内では分からないことも多いので」
「不具合が起きた場合も、記録するのですね」
「ええ。むしろ、そのときに何があったかを残していただくことが重要です」
僕が頷くと、彼女は天使さんにも目を向けた。
「記録方法は、担当者が説明します。専門知識を前提とした仕事ではありません」
「分かりました」
天使さんが、膝の上で資料を持ち直した。
次は、祓屋を対象とした新規医療品の販路確保だった。
価格を抑えて提供する代わりに、服用後の経過や副作用について、協力者から報告を受ける。
その連絡先を確保し、継続して記録を集めるのも、依頼の一部らしい。
「こちらは、主に八神さんのお力をお借りしたいと考えています」
「顔を繋げばよいのだな」
「はい。使用の判断と経過の確認は、担当の医療スタッフが行います」
李所長の返答に、八神は軽く頷いた。
ここまでは、分かる。
必要なのは労働力と、この業界に通じた人間の人脈だ。
けれど、それだけなら、この人でなければならない理由にはならない。
「次に、研究へのご協力についてです」
李所長が一枚、紙をめくった。
現役祓屋の身体能力、および霊能力の数値化。
条件を変えた際の出力の比較。
霊素体の研究対象としての提供。
その下には、測定項目と観測方法が並んでいた。
「まずは八神さんご自身の測定。それから、可能であれば、お持ちの呪具の提供をお願いしたい」
僕は資料から顔を上げた。
八神は、静かに話を聞いていた。
「提供、というのは、どこまでを指すのですか」
僕が尋ねると、グレッダ女史が該当箇所を示した。
「今回の契約では、合意した条件で研究対象を提示していただく、という意味です。所有権の移転でも、無期限の貸与でもありません」
「測定のために傷をつけたりは?」
「予定していません。それが必要になれば、別の協議になります」
隣で、マイケル氏が大きく頷いた。
「最初に知りたいのは、維持の仕組みです。我々の人工霊体は、出力を高めるほど、形態の維持が難しくなる。安定させようとすると、今度は消費が増える」
資料の図を指す。
生成に必要な量と、維持するための量。その二つを示す線が、条件の変化に応じて離れていた。
「三星剣は伝説の呪具として伝えられています。我々とは異なる方法で、その問題を解決している可能性があります」
「比較する対象が欲しい、ということですか」
「ええ。もちろん、同じものを作れるとは考えていません。ですが、何を見落としているのか、その手掛かりが得られるかもしれない」
言いながら、マイケル氏の視線が八神へ向いた。
この人の関心は、初めからそこにあるのだろう。
物販も接客も、運用記録も、事業には必要なのだと思う。
そのうえで、彼らが八神を招いた一番の理由は、ようやく明らかになった。
「後半には、研究計画の全体像をまとめています」
李所長に促され、頁を進める。
霊素体の研究による、エネルギー枯渇問題への貢献。
短期的な利用計画と、長期的な供給予測。
事業化によって見込まれる経済効果。
そこに並んだ数字は、大きかった。
もっとも、確定した成果ばかりではない。
幾つもの条件を満たした先に置かれた予測値だ。実現に至るまでの空白も、読めば読み進めるほどに目についた。
添付された書面には、経済省の署名があった。
クリーンエネルギーに関する国家事業。その一環として、この研究は進められているらしい。
「随分と、大きな話だな」
八神が言った。
「目標は大きいですが、段階を踏む必要があります」
李所長が応じる。
「今回の協力によって、どこまで先へ進めるのか。それを見極めたいのです」
八神は、また資料へ目を落とした。
頁をめくる。
少し戻って、別の箇所を読む。
僕はその横顔を見ていた。
行きの車では、先方に聞けと言われた。
実際に聞けば、答えは得られた。
ただし、答えの中には、また知らないものが含まれている。
人工霊体を維持する仕組み。
それを、剣の形で成立させているもの。
八神が持っている三振りは、そもそも何なのか。
研究者たちの疑問は、思っていたほど、僕の疑問と遠くなかった。
八神が顔を上げる。
天井のあたりへ目を向け、指を一本折った。
少し考えて、もう一本。
資料へ戻る。
次の頁をめくり、今度は二本、続けて折る。
誰も声をかけなかった。
李所長は机の上で両手を組み、マイケル氏は八神の指先を見ている。グレッダ女史の手元では、ペンが止まっていた。
天使さんまで、神妙な顔になっている。
何か、重要な判断をしているのかもしれない。
そう思って待っていると、八神は最初の頁まで戻り、首を傾けた。
そして、鼻歌を歌い始めた。
僕は隣を見た。
至って真剣そうな顔をしていた。
それが、かえって嫌だった。
短い旋律が、もう一度繰り返される。
李所長が、組んでいた手を解いた。
「あの、八神さ――」
「報酬は?」
李所長の声を遮って、八神が言った。




