第21話 八神
「……そんなに変な会社なの?」
天使さんに尋ねられ、僕はポケットへ伸ばしかけていた手を戻した。
「会社そのものは、有名です。バイオ医薬工学の分野では、特に」
スラップス。
ここ数年で急成長を遂げた、新興の大企業。
製薬会社として知られているが、生体細胞の研究にも強く、医薬品の開発と販売だけに事業をとどめてはいない。再生可能燃料をはじめ、クリーンエネルギーに関する研究にも資金を投じている。
僕がその名をはっきりと記憶したのは、日本企業との共同研究が報じられたときだった。
人工心筋の生成。
移植時の拒絶反応を起こさないと発表されたその成果は、大きく取り上げられた。中には、クローン時代の幕開けなどという、研究内容より随分と先まで走った見出しもあった。
発表と実用化の間には、長い道のりがある。
それを差し引いても、注目すべき企業であることに変わりはなかった。
その企業が、今度は霊を作ったという。
「先日、人工霊体の生成に成功したと発表しています」
「人工……幽霊を作ったってこと?」
「発表をそのまま受け取るなら、そういうことになります」
天使さんは眉を寄せた。
「でも、幽霊って、亡くなった人とかの……」
「ええ。人や動物の魂そのもの、あるいは、それに相当するものと考えられています」
「じゃあ、誰も死んでないのに?」
「そこが問題です」
少なくとも、公表された内容ではそうなる。
既にある霊を捕らえたのでも、どこかから呼び寄せたのでもない。
人間の手で、新たな霊体を生み出した。
それを何と呼ぶべきなのか。
生成。
製造。
あるいは、誕生。
使う言葉によって、扱っているものの意味まで変わってしまう気がした。
「報道では、新たなエネルギー事業につながる可能性があると話題になっています」
「……魂を、エネルギーにするの?」
天使さんの声が、少し低くなった。
「そこまで具体的な利用方法が示されたわけではありません。霊体を人工的に生成できるなら、その現象や、発生する力を利用できるのではないか、という段階でしょう」
もっとも、期待を語る記事の中で、その霊体に意識があるかどうかを気にしていたものは少なかった。
再現性。
安定供給。
生産効率。
見慣れた言葉が並んでいた。
何を生産するのかという一点を除けば。
「魂の創造か」
八神が、口元を緩めた。
「神の領域へ、白衣を着て踏み込もうというわけだ。結構なことじゃないか」
声音には、感心とも揶揄ともつかない響きがあった。
僕はその顔を見る。
「霊能力者が関わっているのですか」
「さて」
「まさか、八神さんが?」
八神の左目が、こちらを向いた。
「私が何だと?」
「研究に関与しているのではないか、と伺っています」
「買いかぶられたものだな」
否定にはなっていなかった。
僕は膝の上の資料を揃え直した。
「先に申し上げておきます。法に触れる依頼なら、僕は関わりません」
隣の天使さんへ、一度だけ視線を向ける。
「天使さんにも、関わらせるつもりはありません」
「間久部くん、私だって――」
「妥当だ」
八神が言った。
僕は続けようとしていた言葉を止めた。
「……同意されるのですか」
「してはいけないのか?」
「いえ。ただ、もう少し面倒な返答を予想していましたので」
「君の中の私は、ずいぶんな人物らしい」
日頃の言動を振り返っていただきたかった。
八神は、座席の背へゆったりと身体を預けた。
「違法な仕事はしない。結構だ。その線は、自分で持っていなさい」
意外なほど、あっさりとした言い方だった。
「ただし、命や魂に手を伸ばそうとした者が、今まで一人もいなかったわけではない」
「それは、承知しています」
「錬金術のホムンクルス。道教に伝わる僵尸術。死者に働きかけるネクロマンシー。範囲を広げれば、イタコやシャーマンの降霊、陰陽道の式神もある」
長い指が、肘掛けの上で一つずつ折られた。
「生む、呼ぶ、宿す、使役する。それぞれ違う行為ではあるが、人が命や魂の在り方に干渉しようとする点では、そう遠くない」
「昔から、似たことを考えていたんですね」
天使さんが言うと、八神はうなずいた。
「物語の中でも、何度となく試みられている。メアリー・シェリーなどは、その代表だろう」
「フランケンシュタイン?」
「そう。人はずっと、生命を自分の手で作るという想像から離れられないらしい」
天使さんは、少し考えるように視線を落とした。
「そう言われると……急に出てきた話でもないのね」
「そのとおり」
八神の話は、もっともだった。
ただし、僕の質問には答えていない。
過去にどれだけの人間が魂について考え、どれだけの術や物語を残してきたか。
そんなことを知らないから、不安になっているのではなかった。
僕が気にしているのは、八神に依頼が来たことだ。
ほかでもない、この人。
八神という男に。
便宜上、そう考えているが、性別すら確かなことは聞いていない。
年齢は不詳。経歴も不明。事務所の経費について尋ねると、説明の代わりに笑うことがある。
雇用主として信用できるかと問われれば、回答には慎重を期したい。
ただ、祓い屋としての実力まで疑っているわけではなかった。
働き始めて、まだ二、三か月。
その間、依頼が途切れたことはない。
一件ごとの報酬は、相当に高額だ。
知っている。
帳簿をつけているのは僕なのだから。
そして、その金額に対して、仕事内容がよく分からない。
名家と呼ばれる家の地下室へ行き、水を撒く。
使われなくなった病院の周りを、ぐるりと一周する。
ひどいときには、事務所から一歩も出なかった。
ビデオ通話をつなぎ、画面の向こうをしばらく眺める。
八神が指を鳴らす。
終わり。
請求書を作るよう言われた僕は、業務内容の欄を前に、しばらく考え込んだ。
指を鳴らした代金。
正直にそう書けば、別の問題が起きそうだった。
悪霊や悪神を相手に、息詰まる攻防を繰り広げる。
傷つきながら術を放ち、最後の力を振り絞って勝利する。
そういう、漫画で見るような場面には、一度も立ち会っていない。
もちろん、立ち会いたくもない。
ないのだが、だからといって、目の前の仕事が理解できるようになるわけではなかった。
一度、天使さんにそのまま説明したことがある。
彼女は最後まで真剣に聞いた。
そのあと、近くの警察署と職業安定所の場所を調べ始めた。
『借金のことも、ちゃんと相談したほうがいいわ』
あのときは、止めるのに苦労した。
それでも、依頼人は満足していた。
『どこへ頼んでも駄目だったんです』
『これで、どうにか納期に間に合います』
『今後とも、どうぞよろしくお願いいたします』
深々と頭を下げる者もいた。
何度も礼を言う者も、泣き出す者もいた。
水を撒いただけ。
歩いただけ。
指を鳴らしただけ。
そう見えているのは、僕のほうなのだろう。
もっとも、請求額については、ときどき抗議が来る。
『もう少し何とかなりませんか』
そう言われるたび、僕は決まった返答をする。
『料金については、八神へ直接お願いいたします』
担当者へ取り次ぐ。
適切な事務処理だと思う。
そして、僕には、帳簿や依頼人の言葉よりも確かな根拠があった。
陽光覇剣。
霧氷月影。
あの二振りを、僕は見ている。
群れ集まった浮遊霊。
人を獲物として扱う、女郎蜘蛛の怪異。
あれらが放っていた害意を、忘れることはできない。
こちらの都合など関係なく入り込み、奪い、食らおうとする気配。
逃げなければならないと理解していても、身体が思うように動かなかった感覚。
八神は、それを一振りで消した。
競り合いなどなかった。
瞬きを挟めば、何が起きたのか分からなくなるほど、短い決着だった。
剣が強いのだと言ってしまえば、話は簡単かもしれない。
けれど、強い力を持つことと、それを扱えることは同じではない。
振り回されている様子はなかった。
力に呑まれている気配もない。
必要なときに抜き、必要なものを斬り、何事もなかったように収める。
あの力は、確実に八神の制御下にあった。
僕にはまだ、この人の強さの全貌など分からない。
分からないままでも、並の祓い屋ではないと判断するには十分だった。
その八神に、スラップスが仕事を依頼した。
文字起こしと、データ整理を。
納得できるはずがなかった。




